明治27 1894 0歳
住居 三重県名張町
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月

21日 三重県名張郡名張町新町に誕生。太郎と命名される。父・平井繁男、母・きくの長男。ほかに祖母・和佐がいた。繁男は名賀郡役所に書記として勤務。

繁男は慶応3年2月生まれ(当時二十七歳)。明治26年7月25日(5月とも記載)、津市玉置町、本堂帆之助の長女・きくを娶る。

明治27年当時の正式な郡名は名張郡。郡役所は伊賀郡と合同で名張町に置かれていた。明治29年、名張・伊賀二郡が合併して名賀郡が発足。角川日本地名大辞典『24 三重県』

乱歩が生まれたとき、小柄だった繁男に大きな赤ん坊ができたと近所の評判になった。一家がいた長屋には、かつて人形師の安本亀八(初代)が住んでいた。伊和新聞「探偵作家の感無量」昭和27年9月

11月
12月
江戸川乱歩
 父母のこと(昭和32年8月)

 しかし、一人で国に待っている祖母は、父が卒業しても帰ってこないので、淋しさから癪をおぼえ、絶えずその発作がおこるようになったので、父は仕方なく学業を抛って、就職をして祖母と同居する決心をし、同じ三重県の名張町(今日名張市)にあった名賀郡の書記を拝命した。それは卒業後三年を経た明治二十五年のことであったと思う。そして、翌二十六年には妻をめとっている。これも祖母の懇請によったものであろう。

▼『わが夢と真実』昭和32年、東京創元社

掲載2000年1月7日 最終更新2003年 10月 3日 (金)