明治42 1909 15歳
住居 愛知県名古屋市
学年 愛知県立第五中学校二年三年
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年末 みずから印刷して雑誌「中央少年」明治43年正月号(2巻1号)を発行。

乱歩は巻頭冒険小説「怒濤」と画物語「悲しき思出」を発表。奥付の発行所は、名古屋市中区南伊勢町一丁目二番地 平井商店内 少年会本部(電話一四四〇)。

当時の少年雑誌の同人は、もっとも親密だった近所の友人・丹下高福(小学校同級生、中学は別)をはじめ、中学同級生の本荘実、ほかに年下の友人数人で、弟も加わった。

この年
健康診断で心臓が弱いことが判明、遠距離通学を避け、学校内の寄宿舎で生活することになった。
本荘実
 旧校舎時代備忘録(昭和13年10月)

或る日、彼の家へ行くと明倫中学生だつた丹下といふ少年が居合わせてゐたが、平井太郎が云ふのに三人で一つ探偵小説を作らうぢやないか、そしてそれを印刷して小学生に売ることはどうであらうかと。それで忽ち賛成して、さつそく三人合作になる変なものを作り上げ、それにどんなものだつたか写真版まで挿入してゲラ刷のやうなものを作つた。活字を買つて来て印刷したものであつたか、何処かの印刷屋に頼んで刷つてもらつたものであつたか今判然しない。それを各小学校の退校時間を見はからつて門前に待つてゐて小学生達に売つたものである。その時の事である。平井太郎はそれの広告を自分で書いて、そいつを電柱だの小学校の塀だのへ、ベタベタ貼りに廻つたものである。彼が糊の皿を片手に持つて処かまわず広告を貼るので、私はハラハラした。そんな事をすると巡査に叱られはしないかと思つたのである。(現在の様にその頃は街にポスターを貼るやうな事はしてはいなかつた)然し彼は平然として貼つてゐた。私は一見甚だ穏かなこの美少年が、街頭に於けるこの勇敢なる行為を驚異の眼で眺めたことを憶えてゐる。

▼「熱田中学校創立三十周年記念祝賀協賛会紀要」昭和13年、五中会

掲載2000年1月7日 最終更新2003年 10月 3日 (金)