明治43 1910 16歳
住居 愛知県名古屋市
学年 愛知県立第五中学校三年四年
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11月
12月
この年

寄宿舎時代、下級生二人と支那密航を企て、宿屋の二階に二、三日隠れるが、体操教師に見つかって五日間の停学となる。

昭和6年、第五中学校創立二十五周年記念講演のため名古屋に赴いたとき、停学事件を回顧した談話が5月4日付「名古屋毎日新聞」に掲載される。
 停学食つた頃/江戸川乱歩氏は語る(昭和6年5月)

その頃の空想に違ひないのだが支那へ渡つて事業を起さうと云ふ大それた計画を建てゝ下級生二人と三人打合はせて夫々親父の印を偽造して退学届を出し大須の近くだつたと思ふ或る小さな宿屋の二階にかくれて支那の地図を買つて来てプランを協議して二、三日過ごしてしまつた

今から考へると宿屋の主人が怪しんで徽章から思付いて学校に通知したものらしいが、かねて畏怖の念禁じ得なかつた体操の先生野田千太郎さんがのつそりあの大きな巨躯を二階の隠れ家に現はして一も二もなく伴返られてしまつた

それからが大問題で、僕は平素前にも云つたやうに善良さうだつたもんで五日間の停学で大したことはなかつたが下級生の二人は硬派の札付きだつたので余計に見込みが悪く退学を命ぜられてしまつた。僕は自分が主唱者だと名乗つて極力己が罪の軽過ることを云つたが停学より重くならなかつた。それが心苦しいと同時に仲間の奴の憤慨が気になりどうも日本刀を提げて通学途上に待ち伏せしてゐるやうな気がし停学に引続き暫くまた休んで怏々と楽しまなかつたものである。今から考へると実に変な成行だつたと思ふ

▼「名古屋毎日新聞」昭和6年5月4日

掲載2000年1月7日 最終更新2003年 10月 3日 (金)