大正元年 ●1912 18歳
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●住居 愛知県名古屋市→朝鮮・馬山→東京
●学年 愛知県立第五中学校五年→早稲田大学政治経済学部予科 |
1月
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2月
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3月
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中学校卒業。◆
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4月
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5月
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6月
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父の経営する平井商店が破産。愛知県立第八高等学校入学を断念、父とともに朝鮮に渡り、馬山にいた父の旧友の家で一、二か月を過ごす。父は開墾事業を計画していた。◆ | ||
7月
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8月
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馬山から単身上京。麻布区一ノ橋付近に住む父の旧友・菅生辰次郎の家に居候し、早稲田大学予科中途編入試験に通う。菅生は名古屋時代、父の書生をしていた。◆ | ||
9月
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早稲田大学政治経済学部予科に入学。横浜市に住む叔父・岩田豊麿の世話で、下谷区湯島天神町の小活版屋・雲山堂に住み込み、学校の余暇に印刷を手伝うが、南京虫と過労のため三か月ほどで退職。◆ | ||
10月
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11月
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12月
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雲山堂主人の親戚の紹介で、小石川区春日町の下駄屋の二階にいた苦学生二人の仲間入りをし、四畳半に三人住まいで自炊生活をする。◆
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掲載●2000年1月7日 最終更新●
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