大正3年 ●1914 20歳
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●住居 東京
●学年 早稲田大学経済学部一年→二年 |
1月
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2月
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旧友数人を誘って肉筆の回覧雑誌「白虹」を創刊。大正3年2月号から一年あまりのあいだに五冊ほど発行する。◆
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3月
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「帝国少年新聞」の発刊を思い立ち、「主意書」「推薦状」などを印刷。菅生辰次郎の弟・邦三から二十円の出資を受けたが、資金がつづかず、印刷物もほとんど発送しないままに終わった。◆ | ||
4月
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5月
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叔父・岩田豊麿一家が横浜から上京、牛込区西江戸川町に家を借りる。祖母とともに同居。◆ | ||
6月
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7月
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8月
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8・9月ごろ 母が通、敏男を伴い朝鮮から上京。早大野球場裏に家を借り、素人下宿を開業。祖母とともに岩田家から移る。◆ | ||
9月
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9月ごろ 学校の余暇に憲政会院外幹事・川崎克の経営する「自治新聞」の編集を手伝い始める。◆
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10月
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11月
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11・12月ごろ 一家は牛込区喜久井町に移転。一、二人の下宿人を置く。◆ | ||
12月
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年末 父が朝鮮から帰り、家族が揃う。◆ | ||
この年
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大学二年当時、海外探偵小説を愛読し始め、飜訳を試みる。暗号文に興味をもち、上野図書館で調べたこともある。◆
「日本少年」に連載されていた三津木春影の冒険小説が作者死去のため中絶、続編が懸賞募集されたため、「悪魔ヶ岩」を下書きしたが、自信がなくて投稿はしなかった。◆ |
掲載●2000年1月7日 最終更新●
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