大正7年 ●1918 24歳
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●住居 三重県鳥羽町
●職業 鳥羽造船所勤務 |
1月
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2月
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3月
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春 城山の済美寮に移る。◆
父母と妹・玉子は大阪からふたたび朝鮮に渡る。父は忠清北道沃川郡青南面南三里にあった知人所有の青南鉱業所を経営。◆ |
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4月
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5月
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6月
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7月
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8月
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27日 母方の祖母・本堂つま、牛込区新小川町の叔父・岩田豊麿の家で病死。六十九歳。葬儀のため上京する。◆
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9月
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秋 鳥羽造船所の同僚である鈴木茂、松村家武らと「鳥羽おとぎ倶楽部」を結成。鳥羽の劇場や小学校でお伽話の会を開いた。◆ | ||||||
10月
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15日 鳥羽町の扇座で音楽部大会が開かれ、坂手小学校教師の村山隆子が男性教師とオルガン、ヴァイオリンの合奏を行う。◆
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11月
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鳥羽町岩崎にあった松田という医師の別荘を借り、一人で住む。◆
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」を読む。◆ 15日 鳥羽造船所発行の雑誌「日和」第1号を発行。巻頭に編集者として「首途」を寄せる。◆
11月ごろ 朝鮮にいた弟の通と敏男が、古本屋を開く心づもりで父母のもとから上京。その途中で鳥羽に滞在し、兄弟三人で古本屋を経営する話がまとまる。◆
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12月
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「日和」第2号を出したころ、種々の事情から会社を辞めなければならなくなり、桝本卯平に「東京に出てしばらく勉強したい」と申し出る。奉書の紙に大きな文字で辞表を書き、支配人に手渡す。◆ |
掲載●2000年1月7日 最終更新●
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