大正8年 ●1919 25歳
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●住居 三重県鳥羽町→東京
●職業 鳥羽造船所勤務→三人書房経営→東京パック編集→支那ソバ屋経営 |
1月
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鳥羽造船所を退社。上京し、東京市下谷区坂町の潜竜館に下宿。◆
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2月
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東京市本郷区駒込林町六(団子坂上)に住み、古本屋・三人書房を営む。家族は兄弟三人、のちに母、妹・玉子、さらに鳥羽から隆子を迎える。◆
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3月
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4月
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4月ごろ 鳥羽から井上勝喜が上京し、三人書房で同居。◆ | ||||
5月
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7日 田谷力三後援会が浅草公園の金竜館で第一回観劇会を開催(主催者名義は日本歌劇研究会)。田谷が独唱し、石川千秋が純金のメダルを田谷に贈った。◆
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6月
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7月
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井上勝喜と智的小説刊行会を計画。朝日、読売、時事三紙に募集広告を出すが、挫折。翌年5月に再度計画する。◆ 雑誌「東京パック」の編集を引き受ける。◆
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8月
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夏 岩井三郎探偵事務所を訪れ、採用を依頼する。◆森下雨村に認めらる | ||||
9月
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10月
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11月
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このころまでに鳥羽造船所の給仕だった野崎三郎が上京し、三人書房二階に転がりこむ。生活が貧窮し、井上と二人、別々に支那ソバ屋を開業する。◆
村山隆子と結婚。◆
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12月
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掲載●2000年1月7日 最終更新●
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