大正11年 ●1922 28歳
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●住居 東京→大阪府守口町
●職業 日本工人倶楽部→「工人」編輯請負と庄司商工支配人→失業 |
1月
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2月
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2月ごろ 庄司雅行が農商務省を辞めて池袋に郊北化学研究所を設立、主としてポマードの製造販売を始めたので、それを手伝わなければならなくなり、工人倶楽部の書記長をやめて「工人」誌の編輯印刷だけを請け負うことになった。庄司の家に近い市外池袋八六六に住む。◆
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3月
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4月
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5月
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6月
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上旬 松村家武の世話で神田区錦町三ノ三、東岳館に十日ほど下宿。◆ 中下旬 松村が下宿していた神田区錦町三ノ三、向上館に二十日ほど下宿。ときどき庄司の家に顔を出したが、約束の俸給は支払われなかった。◆ |
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7月
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大阪の隆子が病気になったため、東京を引き上げて大阪府北河内郡守口町字守口六八九ノ三の父の家に住む。十一月まで失業状態のまま居候する。◆ 20日 「新青年」が飜訳探偵小説の増刊号を発行。数日間座右から離さず、「盛んだなあ、盛んだなあ」と呟きつづける。◆「新青年」の盛観
7月ごろから11月ごろまで この時期、神戸図書館の講堂で馬場孤蝶の講演を聴き、倒叙探偵小説に興味を抱く。◆「新青年」の盛観
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8月
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9月
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初めごろ 「二銭銅貨」と「一枚の切符」を書き終える。◆馬場孤蝶に原稿を送る 21日 この日から23日までかかって、大正11年の日記帳の余白に「一枚の切符」を下書きする。◆
26日 この日から数日間で、大正5年の日記帳の余白に「二銭銅貨」を下書きする。◆
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10月
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4日 「一枚の切符」と「二銭銅貨」の原稿を馬場孤蝶に送る。◆
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11月
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21日 二篇の原稿を博文館「新青年」編集部の森下雨村に送る。◆ 森下雨村から、原稿を受け取ったが多忙のため急には読めない旨の手紙が届き、折り返し手紙を出す。◆森下雨村に認めらる |
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12月
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森下雨村から「二銭銅貨」の「新青年」掲載を約束する手紙(2日付)が届く。◆ 父の世話で大橋鉄吉という民事弁護士の事務所の臨時雇いとなる。◆
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掲載●2000年1月7日 最終更新●
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