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探偵小説四十年 大正十四年の主な出来事 |
大正十四年度
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【一月】中旬、名古屋の小酒井氏をはじめて訪問、その足で上京、森下雨村氏を訪ね、「新青年」の寄稿家諸氏に会い、又、宇野浩二氏を本郷の菊富士ホテルに訪問。 |
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初出 新青年 昭和25年4月号 31巻4号 連載:探偵小説三十年 第7回 1950年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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小酒井不木、乱歩に葉書を出し、年頭に書簡で伝えられた来意に応諾する。 |
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近くに東上のよし是非御立寄り下さい(。)御待ちして居ます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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「新青年」新春増刊号の奥付発行日。「D坂の殺人事件」を掲載。 |
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乱歩、大阪から上京。途次、名古屋で小酒井不木を訪問する。 |
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小酒井不木、三十四歳。住居は名古屋市中区御器所町字北丸屋八二ノ四。 |
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その日は名古屋に一泊することなく、夜の汽車ですぐ東上したと覚えているが、それでも小酒井邸に五六時間はいて、いろいろ探偵小説の話をしたわけだが、どんな話が出たかは今少しも記憶がない。 |
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初出 新青年 昭和25年4月号 31巻4号 連載:探偵小説三十年 第7回 1950年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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関東の大震災の後、私は田舎から名古屋に移り住んだ。その翌年中、同氏はやはりポツリポツリ発表した。いずれも傑作ばかりである。私は、江戸川氏にむかって、探偵小説家として立ってはどうかということをすすめた。すると、森下氏あたりからも、その話があったと見え、同氏は「心理試験」の原稿を私に送り、これで探偵小説家として立ち得るかどうかを判断してくれというような意味の手紙を寄せた。
「心理試験」を読んで、私は、何というか、すっかりまいってしまった。頭が下った。もうはや、探偵小説家として立てるも立てぬもないのだ。海外の有名な探偵小説家だってこれくらい書ける人はまずないのだ。そこで、更に大にすすめたのであるが間もなく、一度上京して、色々な人に逢って決したい。その序に立ち寄るという手紙が来た。
私は大に待った。十四年の一月、とうとうやって来た。初対面の挨拶に頭の毛のうすいのを気にした言葉があった。私たちは大に語った。江戸川氏は、これから書こうとする小説のプロットを語った。それが、後に「赤い部屋」として発表されたものである。
同氏はこのとき、頻りに私に、創作に筆をそめるようすすめた。私も、創作をして見ようかという心が、少しばかり動いていたときであるから、とうとう小説を書くようになったのである。「女性」四月号に出た「呪われの家」がいわば私の処女作であった。 |
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初出 大衆文芸 昭和2年6月号 2巻6号 特集:江戸川乱歩特集(人および作品について) 1927年6月1日
底本 犯罪文学研究 小酒井不木 国書刊行会 クライム・ブックス 1991年9月30日 |
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乱歩、東京に到着。関東大震災のあと小石川の社長邸に移っていた博文館を訪れ、森下雨村と面会する。その夜は雨村邸で夕食をふるまわれる。翌晩か翌々晩、江戸川アパートの川向こうにあった鰻料理屋で、雨村らによる乱歩の歓迎会が催される。 |
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*16 江戸川アパート 昭和九年に完成した同潤会江戸川アパートのこととおもわれる。牛込区(現在の新宿区)新小川町二丁目にあり、江戸川に面していた。六階建てと四階建ての二棟があり、二百六十戸を擁したものだ。暖房、ラジオ、電話が各戸に備えられた近代アパートであった。その川向こうは小石川区江戸川町といい、江戸川乱歩の歓迎会としてウィットに富んだ場所選びだったと言えよう。 |
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初出・底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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森下雨村、「新青年」の寄稿家を集めて乱歩の歓迎会を開く。 |
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江戸川乱歩君の上京を機とし、一月十六日の晩に、江戸川の橋本に探偵小説同好者の集りを催した。会する者、田中早苗、延原謙、春田能為、長谷川海太郎、松野一夫の諸君、それに編輯同人の神部君と自分、全部で八人の小さい集りであつた。(星野、浅野、妹尾、坂本の諸君は通知が間に合はず、或は事故のため欠席) |
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註記 「雨村生」は森下雨村
初出 新青年 大正14年3月号 6巻4号 1925年3月1日
底本 「新青年」復刻版 大正14年合本2 本の友社 1999年3月10日 |
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皆初対面であったが、会って見ると、甲賀君の顔には見覚えがあった。先方でもオヤ君だったかというような顔をしている。話し合って見ると、甲賀君の本名春田能為、私の本名平井太郎では、お互に知り合っていたことがわかった。 |
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初出 新青年 昭和25年4月号 31巻4号 連載:探偵小説三十年 第7回 1950年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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乱歩の書き込み
【一月】上京探偵作家ノ会合ニ列シ、二山、本位田等ノ旧友ニ会ヒ、又ソノ節宇野浩二氏ヲ菊富士ホテルニ訪問ス。 |
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初出・ 底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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宇野さんはそこを仕事場にして毎日のように来ておられることがわかっていたので、私は玄関払いも覚悟の上で、とも角そのホテルへ入って行った。取次ぎに来意を告げると、宇野さんは快く私を部屋に通して下さった。 |
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初出 新青年 昭和25年5月号 31巻5号 連載:探偵小説三十年 第8回 原題:宇野浩二氏 1925年5月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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江戸川乱歩といふ名前を私が初めて知つたのは、たつた去年(大正十四年)の春のことだつたと思ふ。しかもそれは活字で見たのではなく、いきなり彼自身私の前に現れたのである。彼はその時から一年と経たない中に、かくも有名になつてしまつた。かういふ江戸川乱歩に何か見るところがあつて訪問された私は、少くとも光栄を感じなければならぬ。もつとも彼は初めから私にいはゆる文学青年のやうな感じを起こさせなかつた。何故といつて、一見して、私自身と余り年齢も違はなささうだし、その態度もいふことも、いゝ意味ですつかりをとなだつた。その時彼は懐から一冊の雑誌を出して、「ところで、自分はかういふものを書いてゐるものだが、読んで見てほしい」といつた。現在は大阪在に住んでいる、そして一両日前に東京へ来たのであるが今夜にも帰るつもりであるといつて、彼は雑誌(新青年)を残して帰つて行つた。
彼が帰つた後で、私はさつそく彼の置いて行つた雑誌を取上げて彼の名で書かれてある探偵小説を読んで見た。たしか「心理試験」だつたと思ふ。相当に感心したので、私は彼が私を尋ねてくれた名誉に報いるつもりで、当時報知新聞に彼を紹介する一文を書いたことがある。以来、江戸川乱歩とは誰か、彼はどこに住んでゐるか、と私はまるで縁者でもあるかのやうに、雑誌社の人とかその他のいろいろな人から尋ねられた。 |
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初出・底本 サンデー毎日 大正15年1月10日号 1926年1月10日 |
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牧逸馬、乱歩に手紙を出し、乱歩作品の翻訳に着手したことを伝える。『探偵小説四十年』に引用がある。 |
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大正十四年一月十九日附「(前略)お作の英訳は昨夜から少しづつ手をつけてをります。何しろ不完全な私の語学力には、荷が勝ちすぎてゐるのでございますから、果してうまく御名作の意を伝へることが出来るや否やを疑ひます。ですが、私としてはこれほどの名誉はございません。少し永くかかっても出来るだけ忠実ないいものを typeout したいと存じます。(後略)」 |
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初出 新青年 昭和25年5月号 31巻5号 連載:探偵小説三十年 第8回 原題:牧逸馬(林不忘)君 1950年5月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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牧逸馬は「心理試験」の翻訳を手がけていた。一月十六日の歓迎会で森下雨村から要請されたものか。 |
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因に二月号掲載の「心理試験」は英訳して、英米の探偵雑誌へ発表するつもりで、牧逸馬氏の手で目下飜訳中である。 |
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註記 「雨村生」は森下雨村
初出 新青年 大正14年3月号 6巻4号 1925年3月1日
底本 「新青年」復刻版 大正14年合本2 本の友社 1999年3月10日 |
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乱歩は「D坂の殺人事件」の執筆直後、つまり大正十三年の秋ごろ上京し、探偵作家の会合で同作品英訳の話が出たと誤認している。 |
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お作の英訳というのは、私の「D坂の殺人事件」の英訳のことである。それはあの短篇を書いた直後、私が上京したのを機会に、探偵作家の会合があって、その席上、森下雨村氏が、英訳してあちらの雑誌へ送って見ようではないかといい出され、ちょうど牧逸馬君がアメリカに永くいて英文が達者だったので、同君を煩わすことになったのである。 |
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初出 新青年 昭和25年5月号 31巻5号 連載:探偵小説三十年 第8回 原題:牧逸馬(林不忘)君 1950年5月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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兎も角東京へ行つて見まして大体様子が分り、不安が少くなりました。
留守中に小説家の平林初之輔氏から手紙が来てゐまして、同氏も新青年を毎号買つて愛読してゐることを知りました。文壇の人で同様の新青年愛読者は随分ある様です。宇野浩二氏、加藤武雄氏などもさうの様です。其他色々な方面に存外探偵好きの多いのを知つて一驚を吃しました。 |
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京阪神地方には大分同好者がある由で、主な人の名前なども聞いて参りましたから、いづれ往来して好きの道を語り合ひ度く思つて居ります。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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原稿の紹介には精々私も努力致します。原稿が出来て、差当りやり場のないやうな時には私のところへさういつて下さい。及ぶ限りのことを致します。又名古屋へも度々やつて来て下さい。探偵小説の話をすることは私にとつてどれ程たのしいものかわかりません。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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宇野浩二、乱歩に手紙を出し、「D坂の殺人事件」の感想を伝える。『探偵小説四十年』に引用がある。 |
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今日又、お送り下さった雑誌のお作も拝見しました。(註、D坂の殺人事件)お断り書きにあるやうに、終ひの方が少し略され過てゐるのを残念に思ひます。だけど構想としては面白いものだと思ひました。 |
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初出 新青年 昭和25年5月号 31巻5号 連載:探偵小説三十年 第8回 原題:宇野浩二氏 1950年5月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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宇野浩二、「報知新聞」文芸欄に随筆「江戸川乱歩」を二回にわたって発表する。『探偵小説四十年』に引用がある。 |
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一月×日、手帳の切れはしのような紙に「大阪からちょっと来た者、江戸川乱歩」としてあって、取次の番頭がいうには「この方が初めてだが、ちょっとお目にかかりたい」と伝えた。よく初めての、しかも大阪の人が来る日だなと私は思った。(中略)応接間で会って見ると、乱歩君はもっと若い人だろうという予期に反して相当の年配の人だった。〔註、三十二歳、但し頭髪はそのころから非常に薄くなっていた〕 |
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初出 新青年 昭和25年5月号 31巻5号 連載:探偵小説三十年 第8回 原題:宇野浩二氏 1950年5月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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探偵小説四十年 大正十四年の主な出来事 |
大正十四年度
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【二月】松本泰氏主宰の「探偵文芸」三月号創刊。翌大正十五年十二月号までつづく。[昭和二年一月号まで続刊] |
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註記 [ ]は新保博久による註記
初出 新青年 昭和25年4月号 31巻4号 連載:探偵小説三十年 第7回 1950年7月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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「新青年」二月号の奥付発行日。「心理試験」を掲載。 |
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本邦に於ける唯一の探偵作家である江戸川乱歩氏が本号から、連続短篇を発表せられることゝなつた。「二銭銅貨」に、近くは「D坂の殺人事件」に、読書界を驚嘆せしめたる氏が、いよいよ探偵作家として文壇に活躍すべき門出の創作である。切に諸君の愛読を望む。 |
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註記 「雨村生」は森下雨村。
初出 新青年 大正14年2月号 6巻3号 1925年2月1日
底本 「新青年」復刻版 大正14年合本2 本の友社 1999年3月10日 |
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小酒井不木、乱歩に手紙を出し、父親の癌治療について助言する。乱歩が非科学的な民間療法への不審を述べ、不木の見解を尋ねたのに答えたものか。 |
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御手紙拝見致しました。御親父様の御病気、レントゲンだとて決して保証は出来ぬのですから、先日も申しましたとほり、只今の治療を父上様の御気に向くだけさせてあげて下さるのが最もよいことゝ思ひます。そして出来るだけ御心を慰めてあげて下さい。それより外に何とも致し方がないと思ひます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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小酒井不木、乱歩に葉書を出し、「黒手組」の感想を伝える。 |
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新青年三月号只今到着早速「黒手組」拝見例の如く面白く拝読しました。筋に重きを置けとの註文あればその通りに作らるゝ腕前感服の外ありません。どうか探偵小説界のために御自重下さい。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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探偵小説四十年 大正十四年の主な出来事 |
大正十四年度
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【三月】(無産政党結成さる。四ヶ師団廃止。東京放送局開設) |
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初出 新青年 昭和25年4月号 31巻4号 連載:探偵小説三十年 第7回 1950年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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「新青年」三月号の奥付発行日。「黒手組」を掲載、作品末尾に「次号予告 赤い部屋……江戸川乱歩」。 |
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「新潮」三月号の奥付発行日。前田河広一郎「白眼録」が掲載され、「探偵物究明」の項で乱歩に言及。 |
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過般本欄に於て、探偵物心理に対する批評に対して、江戸川乱歩(匿名)君から平林君に宛てゝそれとなき弁明状があつた。同君「新青年」所載の「D坂の殺人事件」は興味をもつて読んだ一人であるが、僕の所懐が些か同君に徹しない恨みがあるから一言改めて述べたい。探偵物の興味は知的慾望の満足にある。但し複雑なる実社会の事象に於て、端的に知識は知識として游離しない。在来のすべての探偵物に於て(ウヱルシエーニンの如き、或ひはロプシンの「起らざりし事」等は別として)も、然るが如く、探査の権限が、いつも被治者階級の犯罪をそれぞれの現行法に準じて治者階級よりなさるゝにあつたことは、甚だ遺憾とするところである。世の探偵小説作家がこの探査形式の放射線を逆に使用して、治者階級のためにではなく、民衆全般の生活擁護のための探偵小説を書く勇気と識見とがないか。つまり、オルツイ夫人の「スカレツト・ピムパーネル」的探偵小説が、仏蘭西革命その物を毒する所以は、同夫人の低級な社会観に帰因する、といふ意味の議論である。(大正十三年度「新潮」より) |
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初出 新潮 大正13年3月号 42巻3号 1925年3月1日
底本 江戸川乱歩全集第三巻 平凡社 1932年1月8日 |
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「写真報知」三巻七号の奥付発行日。「恋二題」第一回を掲載。 |
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乱歩、「新青年」以外の雑誌に初めて寄稿する。森下雨村の紹介によるものか。誌上で優待され、稿料は「新青年」の倍額の四円だった。報知新聞編集顧問の野村胡堂が「写真報知」の面倒を見ていたが、原稿依頼は編集員からだった。 |
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探偵小説四十年 野村胡堂と「写真報知」 |
大正十四年
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この雑誌が私を大いに買ってくれたのは野村胡堂さんの指図によるものだと知ったのは、ずっと後のことで、それはたしか大正十四年の秋、再度上京した折に、報知新聞社を訪ねて野村さんに初対面したとき、このことがはっきりわかったのだと記憶する。 |
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初出 新青年 昭和25年6月号 31巻6号 連載:探偵小説三十年 第9回 原題:野村胡堂氏と写真報知 1950年6月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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乱歩、前田河広一郎「白眼録」への反論「前田河広一郎氏に」を脱稿、末尾に日付を記入。掲載は「新青年」五月号。 |
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小酒井不木、乱歩に手紙を出し、前田河広一郎「白眼録」の感想を述べる。 |
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御手紙の中に、前田河氏のことがあつたので早速新潮を取り寄せて「白眼録」を見ました。平林君に対しての御弁明を読みませぬからわかりませんが、前田河さんは少し見当ちがひな議論をして居られるやうですね。これは探偵小説をあまり沢山御読みになつて居ないからでせう。オルチーの小説が、フランス革命を毒したなどといふ議論には相手になるさへ野暮な気がします。フランス革命だらうが、支那革命だらうが、紅ハコベには問題ではないないぢやないでせうか。「被治者階級の犯罪云々」に至つては、何ともはや言葉がありません。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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小酒井不木、乱歩に手紙を出し、「赤い部屋」の感想を述べる。 |
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拝啓 昨日「新青年」が来まして「赤い部屋」早速拝誦、私の好きなルヴエルとチエスタートンの長所を一つにした珠玉のやうな名篇、いやどうも驚きました。本当にこの勢ひにて進まれたら、平林君の批評をそこのけにしてランドンなど蹴とばすことも糸よりも心易いでせう。御自重を願ひます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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小酒井不木、乱歩に手紙を出し、乱歩が書簡で問い合わせた「短時間に木乃伊にする方法」を知らせる。 |
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首を屍蝋化することは困難ですが脚や腕は雑作ないやうです。
水につけてから、出して乾せば丁度、ドラツグの看板位のものは出来ます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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「写真報知」三巻八号の奥付発行日。「恋二題」第二回を掲載、完結。 |
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乱歩、小酒井不木に手紙を出し、屍蝋に関する教示の礼を述べる。「新青年」六月号に「疑惑」を書く予定であること、不木「呪われの家」と探偵小説隆盛との感想を伝える。 |
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江原小弥太氏の「罪悪」といふ長篇探偵小説が出たかと思ふと、延原謙さんが「女学世界」に創作を発表される。松本泰氏の「探偵文芸」も仰せの如く講演旅行など、活躍する。仲々盛んなことです。愉快に存じます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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実は親父が段々悪くなりまして、出養生も甲斐なく先月末帰宅しまして、色々と用事もあり精神的にもへこたれて居りましたので、「新青年」六月号の原稿も間に合はず御断りした始末です。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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探偵小説四十年 大正十四年の主な出来事 |
大正十四年度
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【四月】春日野緑、西田政治、横溝正史の諸君と共に大阪に於て「探偵趣味の会」を起す。 |
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初出 新青年 昭和25年4月号 31巻4号 連載:探偵小説三十年 第7回 1950年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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「新青年」四月号の奥付発行日。「赤い部屋」を掲載。 |
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両三日前最後の試みとして、これ又迷信的なものですが、三重県の山奥の仙人みたいな人の所へ母親がついて参籠に参りました。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、春日野緑(星野龍猪)から手紙で誘われ、大阪毎日新聞社を訪ねて面会する。その初対面の場で、探偵趣味の会を結成する相談がまとまる。 |
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大正十四年四月ごろだったと思う。大阪毎日新聞社会部副部長の星野龍猪君(筆名、春日野緑、ルブランの保篠龍緒君とは別人)から突然、探偵趣味についてお話ししたいからという誘いの手紙が来た。 |
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初出 新青年 昭和25年6月号 31巻6号 連載:探偵小説三十年 第9回 1950年6月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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私が乱歩君にあつたのは余り前の事ではない、一昨年の冬頃だつたらう『二銭銅貨』などで乱歩君の名が知られるやうになり探偵小説も飜訳から次第に創作の時代へ移らうとしつゝある時であつた。あひたいという手紙を受けとつて、一夜私の家でおめにかゝつたのである。今日大阪を始め、京都、名古屋、東京等の各地に『探偵趣味の会』が出来て同好の士の集まりを見るに至つたのも実はその時私たち二人で相談して創めた事である『何か会をこしらへて面白く遊びたい』といふ願ひがいつの間にか大きなものになつて、座談会から講演会の形式になつたのもこの会の発展を物語つてゐる事であるが、最初『大に手伝ふよ』といつた乱歩君は、会合の都度顔は出すが一向しやべつてくれないのだ。『座談なら大にやる』人なんだ、が演壇には決して立たない、恥づかしがりやなのだ。その作品を通してみると、かなり凄い、やり手にも見えるが、実際はどうしておとなしいお坊つちやんだ。で、ちつともしやべつてくれないので会の度毎に、いつも私は司会者みたいにしやべり通してきたが、これぢや始めの約束が違ふと詰問しても結局だめだつた。その癖ちつとも憎めないところに、君の温容玉の如き人格があるのだらう。 |
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初出 大衆文芸 昭和2年6月号 2巻6号 特集:江戸川乱歩特集(人および作品について) 1927年6月1日
底本 江戸川乱歩全集第七巻 平凡社 1931年12月8日 |
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乱歩、森下雨村に手紙で探偵趣味の会のことを伝える。京阪神に住む探偵小説同好者の名前と住所を問い合わせ、京都の山下利三郎、神戸の西田政治と横溝正史を教えられる。 |
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乱歩、神戸で西田政治と横溝正史に会い、探偵趣味の会に入会することの承諾を得る。 |
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私が神戸の両君を訪ねたのは大正十四年四月十一日であった。横溝正史君からの古い手紙の綴りを見ると、四月十二日附のハガキに「昨日は失礼しました、云々」とあって、それがわかるのである。予め手紙で打合わせをして、道順なども知らせて貰った上、私は西田君の家を訪れた。 |
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初出 新青年 昭和25年6月号 31巻6号 連載:探偵小説三十年 第9回 1950年6月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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両人との初対面が四月十一日だったとするのは乱歩の誤認。西田政治と横溝正史もこれにもとづき、初めて乱歩に会ったのは四月十一日だったとしている。 |
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私は父の死後、自分の好みにまかせて家の中を改造して、二階の表の間を簡単な洋室にして長椅子などをおいていたが、その部室〔屋〕で三人が初めて話し合つた。いたつて、はずかしがり屋で初対面の人との座談などには自信が持てなかつた私は、その頃、弟のようにしていた横溝君の応援を求めて立ち合つて貰つた。その時の乱歩さんの印象は頭髪は薄いがどことなく俳優らしい風貌で、随分凝つた和服を着ていた。横溝君も私も和服だつたと思う。会談後、三人で連れだつて元町通りを歩いた。
それから後に、今度は私から乱歩さんの家を訪れた。京阪電車沿線の守口駅で降りたが、横溝君が前に一度行つたことがあるので案内してくれた。先日の答礼の意味もあり、また、その当時発行を計画していた「探偵趣味」の相談もあつたのだろう。何分にも三十年前のことで記憶が薄れている。 |
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初出・底本 探偵通信13 春陽堂 1955年8月10日 |
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初対面の乱歩さんは、当時すでにおツムこそ薄くなっておられたが、それが少しも苦にならないくらい、申し分なくハンサムでいられたばかりか、お人柄のよさが抜群で、それが私を魅了したらしい。
そのときのことを乱歩さんは「探偵小説四十年」にこう書いておられる。
「前略。西田君は今でもそうだが、余り喋らない方。横溝君も決してお喋りではなかったけれど、どちらかといえば横溝君の方がよく話した。私も続けて纏った話の出来ないたちなので、三人がポツリポツリと話したわけだが、話題は無論探偵小説であった。話の内容は殆んど覚えていない。しかし、嬉しかったことは三十年近くたっても忘れないもので、横溝君が私の『二銭銅貨』を読んだとき、宇野浩二が変名で書いたのではないかと思ったと語ったことである。後略」
この項を雑誌で読んだとき、私は全身に冷や汗をおぼえずにはいられなかった。
私もこのときのことをハッキリ憶えており、あとでしまった、失礼なことをいってしまったと、じぶんの生意気さについて後悔したものだが、ご当人の乱歩さんはそのことを、
「嬉しかったことは三十年近くたっても忘れないもので」
と、書いていられる。
このことによって、私が認められたのだとしたら、私の怪我の功名というよりも、乱歩さんのお心の寛さと、暖かさを示すものというべきであろう。いかに宇野浩二さんに、終生かわらぬ敬愛の情を抱いておられたにしても。 |
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初出 江戸川乱歩全集月報1 講談社 1969年4月1日
底本 探偵小説昔話 新版横溝正史全集18 講談社 1975年7月30日 |
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乱歩、小酒井不木に手紙を出し、阪神地方に住む探偵小説同好者の動静を伝える。 |
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大分以前に阪神の同好者の雑談会をやり度いと思立ち、二三の人々にも逢つて話して居たのですが、最近それが具体化して、明後日「大阪毎日」の楼上で十人計りの同好者が集つて話し合つて見ることになりました。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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川口松太郎、乱歩に手紙を出し、「苦楽」への小説執筆を依頼する。『貼雑年譜』に手紙のスクラップがある。 |
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乱歩による書き込み
「苦楽」編集主任川口松太郎君ノ手紙
スクラップされた手紙の抜粋
あなたが江戸川乱歩のペンネームで新青年にお書きなさる新探偵創作小説は続けて愛読してゐました。
それとなくお宅を調べてゐましたが宇野浩二さんからお聞きしましたのでこんなお願ひを致します。 |
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初出 貼雑年譜 江戸川乱歩推理文庫特別補巻 講談社 1989年7月25日
底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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川口松太郎、二十五歳。この春、「苦楽」編集長に就任した。 |
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大正一四年春、川口松太郎は『苦楽』編集長に就任する。山名によれば「久保田万太郎氏の推薦で」ということだが、川口自身はこの辺りの経緯については触れていない。ともあれ『苦楽』四月号の奥付には、「編集人 川口松太郎」の名前が記され、意欲満々の編集後記が彼の筆でしたためられている。これを期に、『苦楽』の表紙は従来のファッションプレートから山名文夫のイラストに変わり、内容もまた若い川口編集長の手でてこ入れされていく。 |
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初出・底本 モダニズム出版社の光芒 プラトン社の一九二〇年代 著:小野高裕、西村美香、明尾圭造 淡交社 2000年6月20日 |
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探偵小説四十年 「苦楽」と川口松太郎 |
大正十四年度
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これは「新青年」以外の雑誌からの二番目の註文で、(一番目は野村胡堂氏の「写真報知」であった。そのことは前項に詳記してある)その上「苦楽」が今いうような新鮮な感じの雑誌だったから、川口君の手紙は大いに私を喜ばせた。 |
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初出 宝石 昭和26年3月号 6巻3号 連載:探偵小説三十年 第1回 原題:「苦楽」と川口松太郎君 1951年3月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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「ドラツグの人体模型」のは苦楽に書かうかと存じます。併しどう考へても探偵趣味が乏しくなり相で困つて居ります。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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大阪毎日新聞社探偵小説同好者が会合を開き、探偵趣味の会が発足する。 |
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だが、聞く所によると、阪神地方には可也同好者があり、新青年の寄稿家なども多い様だ。一つ東京の向うを張って、こちらでも探偵小説同好者の会を始めてはどうだろう。そんな風に考えたものだから、その道では先輩の大阪毎日新聞の星野龍猪君に相談して見た。ところが、同君も大いに賛成して。新聞社にも数人同好者があるから、一つやろうじゃないかということになった。
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そこで「新青年」の寄稿家で御馴染の西田政治君や横溝正史君などにも相談して、兎も角第一回の集りを催すことにした。四月十一日、星野君の尽力で、大阪毎日新聞社の楼上の一室を借りて九人の同好者が集った。「新青年」関係では、西田政治君、横溝正史君、井上次郎君とその兄君、新聞社の人では星野君の外に「サンデー毎日」の大野木繁太郎君、社会部の伊藤泰男君、外に同好者井上勝喜君と私などであった。 |
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初出 新青年 大正14年6月号 6巻7号 原題:「探偵趣味の会」 1925年6月1日
底本 悪人志願 江戸川乱歩全集第24巻 光文社 光文社文庫 2005年10月20日 |
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小酒井不木、乱歩に手紙を出し、作品集刊行を勧める。 |
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それからこれは私の希望ですが、あなたの今迄発表されたものはもう相当の分量に達しましたから、集めて一冊の書物としてはどうでせうか。森下さんと相談するなり他の書肆と交渉するなりして産婆役をつとめますから、御内意を仰しやつて下さい。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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横溝正史、乱歩に葉書を出し、前日の礼を述べる。乱歩はこの葉書が初対面の翌日に書かれたものと誤認。山前譲「横溝正史と江戸川乱歩、その歴史的な出会い」に引用がある。 |
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昨日は失礼致しました。おかげで大変参考になる事が数々厶いました。何よりも刺戟になるのが一番嬉しく、此の勢で一つ何か書き上げたいものと思つてゐます。 |
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初出・底本 横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙 角川書店編 角川書店 2002年5月25日 |
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小酒井不木、乱歩に手紙を出し、乱歩から依頼があったらしい作品集の序文執筆に応諾する。 |
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小説集のこと、森下氏からさういふ話があつたのでしたら、早速森下さんへ私から手紙を出して其後の様子をきいて見ませう。そしてその都合で私の知つて居る他の書肆に交渉します。叢書では無論少し貧弱な感がありますから、すつきりしたものが拵へたいと思ひます。
序文云々のこと、書かせて頂ければこれに越した幸福はありません。いつでも、今でも、すぐ書きます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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数日、三重県関町附近の父の所へ参つて居りました。帰りに名古屋へ御寄りしやうと存じてゐた所、一寸急ぎの用事を頼まれ果しませんでした。残念に存じて居ります。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、小酒井不木に手紙を出し、小説の執筆状況を伝える。 |
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先日「盗難」といふのを写真報知へ送り、今「根のないダリヤ」とでも題するつもりのを新青年の分として書いて居ります。(「虎」といふのは長篇にしたいと思つて居ります。)「幽霊」は何とも御恥しいものでした。あんなものにも御批評を頂きまして恐縮致します。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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「新青年」五月号の奥付発行日。「幽霊」を掲載、作品末尾に「次号予告 虎(創作)……江戸川乱歩」。ほかに「前田河広一郎氏に」を掲載。 |
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乱歩、「読売新聞」文芸欄の「一日一傑 大衆作家列伝」第八回で紹介される。『貼雑年譜』に記事のスクラップがある。 |
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乱歩による書き込み
読売新聞文芸欄 大正十四年六月又ハ七月初
コノ一文ニヨツテ私ノ本名ガ広ク知ラレタタメニ旧友ナドノ訪ネテ来ルモノガ目立ツタ。
スクラップされた記事
[見出し]
江戸川乱歩──平井太郎
[本文]
出生地は三重県、本年三十二歳ですが年に似合はぬハゲ頭が特徴です(筆者曰く同様の傾向を持つといふ理由ではなしに宇野浩二氏は江戸川乱歩を称してポーより出でゝポーよりあをしテナ推賞の辞を呈してゐる)◇大正五年早稲田政治科卒業、商店の番頭会社員、お役人、新聞記者、化粧品製造業、古本屋、新聞社の広告取り、チヤルメラを吹いて売り歩く支那ソバヤなど一年平均二つ位の高速度で転々何をやつても長続きがしないが私が人一倍飽き性なのか、元来この世の中が面白くない様に出来てゐるのか、どちらかです。 |
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初出・底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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小酒井不木、「読売新聞」文芸欄の「江戸川乱歩──平井太郎」を見たこと、乱歩の作品集の出版を春陽堂に交渉したことを伝える。 |
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先日春陽堂に大兄の作品の出版を交渉しましたら、出版して見たいとは思ふが一度作品の一部分でも見せてほしいといつて来ましたのでこの手紙と同時に私の手許にある二銭銅貨その他六七種送つて置きました。勝手に取り計らつて事後承諾を求めた儀はご容恕願ひます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、小酒井不木に手紙を出し、作品集出版の尽力に礼を述べ、小説の執筆状況を報告、「苦楽」に寄稿したことを告げる。 |
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小説書けないで弱つて居ります。「苦楽」の七月号につまらないものを寄せて置きましたが、自分ながらゾツとする様な代物で何とも恥しく思つて居ります。例の「ドラツグ」は持ち扱つた末変な散文詩見たいなものにして了ひました。何とも相済みません。これはもう一つのと一緒に「小品二篇」と題して「新青年」に送りました。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、「苦楽」に「夢遊病者彦太郎の死」を執筆する。掲載は七月号。 |
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「夢遊病者」を書く前であったか、あとであったか、今はっきり記憶しないが、川口君が大阪市守口町の私の家を訪ねてくれたことがある。 |
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初出 宝石 昭和26年3月号 6巻3号 連載:探偵小説三十年 第1回 原題:「苦楽」と川口松太郎君 1951年3月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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数へると、そろそろ十年の昔になるが、僕がまだ大阪のプラトン社で苦楽編輯時代、大阪郊外の守口に江戸川乱歩こと平井太郎と云ふ人物がゐる事をつきとめて、いきなり訪ねて行つた事がある。
乱歩はもうその時からもう禿げてゐた。見るからに一癖あり気な面魂で、何処かに国士風の風格も感じられた。
彼に逢つて何より感心したのは、自分が原稿を書くと云ふ事よりも、先づ探偵小説を流行らせたいと云ふ熱意だ。 |
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初出 新青年 昭和10年1月号 16巻1号 1935年1月1日
底本 「新青年」復刻版 昭和10年合本1 本の友社 1992年2月25日 |
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「写真報知」三巻十四号の奥付発行日。「盗難」を掲載。 |
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小酒井不木、乱歩に手紙を出し、春陽堂から承諾の返事が来たことを伝える。 |
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同慶に堪へません。続けて三四冊出すことについて一度学兄の承知を経てからと思ひましたが、返事の都合上、「学兄も多分それに異存ありますまい。私からもすゝめてさういふことにして貰ひます」と書いて置きましたから、事後承諾で恐れ入りますが是非さうなさつて下さい。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、大阪毎日新聞社で開かれた探偵趣味の会の第二回会合に出席する。 |
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「趣味の会」昨夜開きました。「歎きのピエロ」の活動写真を見物したあとで、松竹座の地下室食堂で話しました。第一回に集つた人の外に、新聞社からと電報通信社からと一名づゝ同好者が来ました。初会十一人でした。 |
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註記 「初会」は正しくは「都合」
初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩による書き込み
十四年六月二日 大阪毎日新聞
「乱舞」ハ誤植デアル
スクラップされた記事の抜粋
[見出し]
「鏡」 探偵趣味の会
[本文]
「探偵趣味の会」第二回の集まり前回の課題「鏡」を各自創作してもちよつた
▽鏡にがい骨の笑顔が映る──Y博士の恐怖を描いたもの(神戸横溝生)
▽猫の嫌ひな男が夜金庫に映る夜光時計の光りを猫の片眼と思ひちがつてピストルを放ち誤つて妻を殺す(大阪井上君)
▽断崖から見た男の胸にバラの花がさしてあつたと思つたのは実は男の姿が池に映つてゐたものでバラの花は丁度男の胸のところへ映つてゐた(大阪井上勝君)
▽花嫁が抱いてゐた写真をどこへしまふかと思つてふすまの孔から見た見たのが、鏡に映つたものを見てゐたゝめにたんすのひきだしを間違へてトンデもない悲劇を起す(大阪江戸川乱舞君)
▽「懐中鏡を帯の間にはさんでおくと魔よけになる」といふ話を中心に二組みの夫婦を描いた小品(春日野緑君) |
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初出 貼雑年譜 江戸川乱歩推理文庫特別補巻 講談社 1989年7月25日
底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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乱歩、小酒井不木に手紙を出し、作品集の序文を長文にするよう依頼する。 |
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最初のつもりでは、先生の外に文壇の人の批評文などもつけやうかと思つてゐたのですが、それも気が利きませんから、止して、先生の丈けを御願ひしたいと存じます。どうか御願ひ致します。
書名は「二銭銅貨」としては如何でしやうか。御意見伺ひます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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「新青年」六月号の奥付発行日。「『探偵趣味の会』」を掲載。前田河広一郎「探偵物の思想系統──江戸川乱歩君に答う」を掲載。 |
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繁男、乱歩に手紙を出し、背もたれの角度が調節できる坐椅子の入手を依頼する。『貼雑年譜』に手紙のスクラップがある。 |
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乱歩による書き込み
死ノ三ヶ月前療養先ヨリノ父ノ手紙 病気ハ咽喉癌デアル
スクラップされた手紙の抜粋
一、患部ハ随分大キクナリマシタノデ相当苦痛デス |
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初出・ 底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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乱歩、大阪毎日新聞社で開かれた探偵趣味の会の第三回会合に出席する。 |
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つい御報告を怠つて参りましたが、本月六日に例の趣味の会を大毎で開きました。府警察の刑事課長、知能犯係長、医科大学の人、弁ゴ士など多数の来会者があつて盛会でした。少し新聞社流に雑騒になつた嫌ひはありますけれど。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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横溝君から私へ大正十四年六月十三日附来簡の一節、「どうも余りの盛会にすっかりくたびれてしまひました(中略)西田さんからのハガキに『会が隆盛におもむくのは嬉しい。そして、探偵趣味の会としてはこれが当然なのであらう。しかし、一体探偵小説同好者としての趣きはどこにあるのだらう』とありましたが、私も同感しないではゐられません。この間のやうな会も確かに面白い。しかし、月々の会合がいつもあんな様子だったら、私はどうしやうかと思ひます。 |
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初出 新青年 昭和25年6月号 31巻6号 連載:探偵小説三十年 第9回 1925年6月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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乱歩、三重県の山中で療養していた父を訪ねる。父は小屋を借り、母に付き添われ、ふたりきりで二、三か月暮らしていた。 |
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私たち夫婦は、弟妹などと共に、守口町の家に留守番をしていたが、六月ごろだったと思う。「新青年」に約束した原稿の締切が近づいて、苦労をしていた。天井の節穴をながめながら寝ころんでいて、その節穴から毒液をたらしたら、若しくはピストルを打ったら、外見上は「密室」のような形になるな、と考えているうちに、天井裏の散歩という着想が湧き上がって来た。それを、一つのお話に組み立てたのが「屋根裏の散歩者」である。
それが三分の二ほど書けたときに、山の中の父のところへ行かなければならぬ用件が出来た。どうしても延ばすことが出来なかった。しかし、父のところから帰ってから書くのでは、「新青年」の締切に間に合わない。私は仕方がないので、書きかけの原稿を持って山へ旅立った。そして、父の病室の隣りの部屋で、机もないので、赤茶けた古畳の上に腹這いながら、「屋根裏」の終りの方を書き上げ、大いそぎで、山の下の町から郵送した。 |
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初出 宝石 昭和26年4月号 6巻4号 連載:探偵小説三十年 第2回 1951年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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乱歩、父母とともに三重県鈴鹿郡坂下村(亀山市関町坂下)に滞在する。 |
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坂下村からの御ハガキうれしく拝見しました。御父上様の御容態心配に堪へません。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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一昨日父を伴つて山中へ参りました。そして先生の御はがき拝見致しました。序文、御忙しい中を甚だ勝手な御願ひで何とも申訳ありません。何卒よろしく御願ひ致します。 |
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註記 「山中」は正しくは「こちら」
初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、小酒井不木に手紙を出し、小説の執筆状況と不木「通夜の人々」の感想を伝える。 |
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次号には先生はルヴエル式の短篇二三御寄せの由承りましたが、小生は「屋根裏の散歩者」といふトリツクも何もないダラダラした変質者の告白みたいなものを送りました。それが甚だ長いもので七十七枚もあるのです。これ亦読者の退屈をまねく外に能のない代物です。それに後半は、関の方へ行つて、親父の側で筆を執つたりして、ついいゝ加減にやつつけて了つたものですから、後半丈けが単に筋書き見たいに無味なものになつて、何とも始末のつかないものです。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、小酒井不木に手紙を出し、作品集序文の礼を述べ、不木「女性」の感想と父親の容態を伝える。 |
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父は関の方でも見はなされまして、こちらへ帰り勧める者があつて、もう外に致方もなく、信心を致して居ります。信仰心などない人でしたが、それが此頃では中々信心家になつて居ります。病状は余程進みまして、舌の根が話と呼吸の出来兼ねる程はれて居ります。その割に身体が衰弱して居りませんので、猶更ら苦痛だらうと思ひます。病父をだしに使ふ様で心苦しいのですが、そんなことで頭が占領されてゐまして、この頃一向いゝ趣向が浮びません。実に無慈悲な病気もあつたものだと、時に変な心持になります。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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探偵小説四十年 大正十四年の主な出来事 |
大正十四年度
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【七月】春陽堂より処女短篇集「心理試験」を出版。 |
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初出 新青年 昭和25年4月号 31巻4号 連載:探偵小説三十年 第7回 1950年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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「新青年」七月号の奥付発行日。「小品二篇」を掲載。「編輯だより」に乱歩書簡の抜粋がある。 |
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暫く三重県の方へ旅行してゐたゝめ御無沙汰しました。それに父の病気や何かで長いものに筆をとる閑もなく、お約束した『虎』も半分程でそのまゝになつてゐますので、代りに『小品二篇』を差出します。『白昼夢』の方はかなり苦心をしたものです。御批評下さい。(江戸川乱歩) |
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初出 新青年 大正14年7月号 6巻8号 1925年7月1日
底本 「新青年」復刻版 大正14年合本4 本の友社 1999年3月10日 |
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「苦楽」七月号の奥付発行日。「夢遊病者彦太郎の死」を掲載。 |
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乱歩、大阪毎日新聞社で開かれた探偵趣味の会の第四回例会に出席する。 |
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去る四日趣味の会第四回目を開きました。来会者六十名、大毎の会議室でやりました。大毎の力で段々盛んになつて行きます。
この会からプラトン社の連中が加はりました。川口君などもなかなか好きな方です。今回君に勧めて会の半機関としてプラトン社から探偵雑誌を出す様話を進めて居ります。実現しさうな模様です。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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水谷準(本名納谷三千男)君は早大文科生ですが、休暇で小生の宅へ遊びに参り、四日の会にも六日の坐談会にも出ました。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、探偵趣味の会の座談会に出席する。会場は不明。 |
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坐談会からはよせ書きを御送り致して置きましたが、席上、探偵小説を盛んにする為には、何よりもいゝものを書くことが先決問題であること、それには、これまでの創作は余りじみなものばかりで、面白味に欠くる所がある故、もつとリユパン式の変化あるものを書かうということ、など申合せました。これは柄にもない小生の発議です。なんとかしてそんなものが書き度いと思ふのです。
大分前から、「サンデー毎日」にリユパン風の長い続き物をといふ注文を受けて居りますが、どうも柄にない為手がつけられずそのままにして居ります。併し、さういふものも書かなければ創作探偵小説の普及にならないと信じますので、何とかして書くつもりでは居ります。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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「読売新聞」文芸欄のコラム「ゴシップ」で探偵趣味の会の動向が紹介される。 |
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大衆作家江戸川乱歩氏、春日野緑、甲賀三郎、桂江洲氏等発起の「探偵趣味の会」は愈々機熟して大阪に発会式が挙げられた会名が示す通り探偵趣味に関する芸術趣味、科学その他一切を網羅するもので機関雑誌週刊「サンデーニユース」を発行会員の研究発表機関とすることになつて居る◇会費は一ヶ月五十銭会員の会合は月二回として一般的のと探偵小説の会とに分けられてゐる。同好者は誰でも入会出来るが目下の会員は馬場孤蝶、小酒井不木を初め医者、警察官、弁護士、俳優、新聞記者等あらゆる階級に亘つて約二百名近くになつてゐる |
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初出・底本 読売新聞 大正14年7月10日号 1925年7月10日 |
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色々御骨折り下さいました短篇集漸く出来上りましたから一部御目にかけます。実は出来上りましたら持参の上御礼に参上致し度いと心構えて居りましたのですが、父の病気が二三日来殊に悪く一寸家を明けることが出来ませんので、様子を見た上、若し出来れば数日中に一度お伺ひする積りで居ります。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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貴著「心理試験」昨夜頂戴致しました。装幀その他実に気持よく出来上り、ひとりうれしさにほゝ笑みました。この上はたゞ一冊でもよく売れるやうにしたいものだと祈るばかりです。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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小酒井不木、乱歩から葉書で来意を告げられ、返事を出す。 |
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御ハガキ頂きました。何といふ喜ばしいことでせう。鶴首御待ちします。御差支の突発しないやう祈ります。川口さんによろしく仰しやつて下さい。松原君へは私からも通知して置きます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、川口松太郎とともに名古屋を訪れ、小酒井不木と会う。 |
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昨日は多勢にておしかけ大変御馳走になりまして恐縮の至りで御座います。
お蔭様で、大変愉快でした。国枝、松原両君にもお逢ひ出来ましたし、甚だ有意義な聯盟の内相談も纏り、一夜の会合にしては可也の収穫で御座いました。御礼申上げます。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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川口君の御骨折で国枝氏にも御目にかゝることが出来、大衆作家聯盟の下相談の出来たことは全くの掘出しものです。松原君は家へ帰つて御父さんに叱られたさうです。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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川口松太郎、この日のことを「苦楽」十月号で記事にする。『探偵小説四十年』に引用、『貼雑年譜』にスクラップがある。 |
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乱歩による書き込み
「苦楽」十月号 川口松太郎君記
スクラップされた記事の抜粋
[見出し]
名古屋の会
[本文]
予め手紙で往復があつたので小酒井さんも国枝さんも僕たちの出かけてゆくのを待つて居て下すつた。何時も何時も用事は手紙ばかりで、名古屋と云へば大阪からは三時間で行かれる身が雑務に追はれ勝ちのお目にかゝる機会もなく、とうとう延々になつて漸く今日、お互ひがお互ひの顔を初めて見合せる段取になつたのである。
晩になつてから、名古屋ホテルの一室で夕食の卓子を囲みながら、雑誌のはなし、読物のはなし、探偵小説のはなし、文壇のゴシツプなぞ、話はそれからそれへとつきて行かない。 |
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初出・ 底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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川口松太郎、この夜のことを五十四年後に随筆に書く。 |
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その頃の名古屋ホテルは現在のような大建築ではなく、納屋橋近くの横町にひっそり建っている木造二階建てで、明治初期の古色蒼然たる古ホテルだ。その古めかしさに風情があって愛好する人多く、私も乱歩も好きだった。医学者で作家の小酒井不木と時代小説作家国枝史郎とが現地参加、大阪からは乱歩と私、東京からは横溝正史、今では堂々たる老大家の横溝がまだ二十二、三歳の青年で、私が一つか二つ上だったと思う。大正十四年の初夏だから今より五十五年前のこと、夢のように古い話だが生きているのは横溝と私だけ、横溝も中年期には弱かったが闘病に成功して命を取りとめ老いて益々人気盛んである。
この時の座談会では乱歩が大はしゃぎで、食事をはさんでのおしゃべりが十時頃までつづき、探偵小説の分野を大きく拡げたい野心と理想とで話は容易につきなかった。残念なのはその当時座談速記というものがまだなく、折角の名論も記録をとどめる方法を知らず、私なぞも喜んで話の中へ入ってしまい、記事にして発表する編集者の商魂を忘れたほどの青二才だった。
やがて話もつきて小酒井・国枝の両氏は帰宅し、私たちはそれぞれの部屋へ引き取ったが、話の面白さに昂奮してベッドへ入っても仲々寝られそうもない。そこへフロントから電話がかかって、
「恐れ入りますがちょっと下まで降りて来て頂けませんか」
というのだ。
「用事は何?」
「江戸川先生に御面会のお方なのです」
「そりゃア非常識じゃないか、今、何時だと思う、人を訪問する時間じゃない、断り給え」
と怒ってやるとフロント係はさもさも困ったように、
「私も再三申上げたのですが、どうしてもお帰りになりません、困ってしまいましたので」
「どういうお方なのだ」
「はい、もしよかったらそちらまで上って頂きましょうか」
「いやそれも困る、今時分に迷惑だが仕方がない、そこまで行くよ」
腹を立てながら階下へ降りて行くと、ホールにも既に人影はなくあたりはしんとしている。係と思ったのはホテルのマネージャーで、その前に一人の少女が立っている。
「誠に申しわけありません、このお方なのです」
ちょっと意外だった。夜中の面会強要とはどんな奴かと思ったが、仲々の美少女で態度もきちんとしている。
「このような時間に申しわけありません、もっと早く着く筈なのにバスの故障で二時間も待たされてしまいました。江戸川先生が名古屋へお見え下さる事は滅多に望めませんので失礼を顧みずうかがいましたが、御不礼がすぎるようでしたら今夜はあきらめます、家が遠方なので明日出直すのもむずかしく、今晩はホテルの部屋を取って明朝お目にかからせて頂きとうございますが、いかがでございましょう」
名古屋訛りが可愛らしいほど、挨拶もはっきりして単なる面会強要ではない。
「江戸川先生をご存じなのですか」
「いえお目にはかかりませんがお手紙を頂いた事がございます」
「では先生はあなたを知ってるんですね」
「さアおぼえていて下さいますか、心もとのうございます」
恥かしそうな目をしていう。ちょっと見ると十八、九の少女だが話し出すと言葉の様子が二十二、三か、色の白い目鼻だちのきっぱりとした美人だ。相手が真面目なので、
「少しお待ちなさい、乱歩先生は不眠症だからまだ起きているかも知れない、見て来て上げましょう」
おせっかいにも二階の乱歩の部屋をたしかめに行った。少女が美しく可愛らしかったので可哀そうになったのだ。乱歩はまだ起きていて、
「寝られそうもないので一杯飲もうかと思っているところだ」
という。
「可愛い少女が会いたいといってフロントへ来ているのだがどうしましょう」
「困るねこんな時間に」
「あなたに手紙を頂いた事があるといってましたよ、大分前らしいけれど」
「おぼえないな」
「服装もちゃんとしているし言葉づかいも丁寧で、いいかげんの者とは思えない、会ってお上げなさいな」
「いやにすすめるじゃないか」
「ホテルの部屋もちゃんと取っていて、今夜が失礼のようでしたら明朝お目にかからして下さいというのだもの、断われませんよ」
「じゃアまア連れて来給え、可愛い少女というのも悪くないから、その代り君も立ち合うんだぜ」
笑いながら承知し、おせっかいの私は少女を部屋へ連れて行った。夜中の初対面で挨拶はぎこちなかったが、話をしている内に乱歩も思い出したらしい。少女は古い手紙の一通と、小型の外国雑誌とを手提げの中から取り出した。手紙は乱歩のものに違いなかったが、外国雑誌にはポウの自筆書簡と肖像とが掲載されていて、
「これはアラン・ポウのラブレターだそうです、英文ですけれども、先生に差上げたいと思って持ってまいりました」
という。乱歩はすっかり喜んでしまってむさぼるように英文雑誌を読み出した。そうなればこっちの用は終ったのも同じなので部屋へ引き取って寝てしまったが、そのあと、乱歩と少女がどんな話をしたか、どんな事が起ったか聞きもせず乱歩も話さず、翌日の朝は勤めがあるため早い汽車で大阪へ帰る私と、昼近くまで寝ている乱歩とは別行動だった。彼はその後も「苦楽」のために「人間椅子」その他の名作を書いてくれて守口のお宅へも再三うかがって話し合ったが、ある日にふっと、
「名古屋で夜中に訪ねて来た娘さんがいたね」
と彼の方からいい出した。
「ええ、あの少女はあれからどうしました」
「少女じゃないよ、もう好い年の人で、名古屋では相当有名な金持のお嬢さんなんだ、名古屋の文学少女たちが同人雑誌を出していて、彼女も一作を書いている、読んでくれといって置いて行ったが小説は駄目だ、ものにならない」
「でも美人でしたね」
「うんあの翌日、八勝館へ連れて行かれて昼飯を御馳走になったが、今考えて見ると金持ちの不良だな、僕だから無事だったが、君だったら危険だった」
「危険結構だ、金持ちの娘で美人で文学好きの不良と来れば申し分なしだ、残念な事したな」
「今からでも遅くない。訪ねて行ったらどうだ」
「いや彼女の目標は江戸川乱歩だ、僕なぞ歯牙にかけないでしょう、あの時に持って来た英文雑誌はどうしました」
「あれは嬉しかったよ、ポウの自筆書簡は初めてだし、それがラブレターなんだから尚面白かった」 |
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初出・底本 小説新潮 昭和54年5月号 33巻5号 連載:忘れ得ぬ人 忘れ得ぬこと 第28回 1979年5月1日 |
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乱歩、大野木繁太郎の送別会に出席する。大野木は大阪毎日新聞社から東京日日新聞社に転勤。 |
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廿七日には大野木君送別の小集をやります。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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探偵小説四十年 大正十四年の主な出来事 |
大正十四年度
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【八月】「苦楽」編集長川口松太郎君と共に名古屋の小酒井さん訪問。
【八月】探偵趣味の会の機関誌「探偵趣味」大阪に於て九月号より創刊。 |
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初出 新青年 昭和25年4月号 31巻4号 連載:探偵小説三十年 第7回 1950年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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「新青年」夏季増刊号の奥付発行日。「屋根裏の散歩者」を掲載。ほかに「私の好きな作家と作品」の一篇として「日本の誇り得る探偵小説」を掲載。 |
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乱歩、川口松太郎に会い、プラトン社の内情を知らされる。 |
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ところで、甚だ残念且つ申訳のない御報告をしなければならないことを悲しみます。それは、プラトン社が、今つぶれるか続けるかの瀬戸際に際会してゐるといふことを、一昨日川口君から聞いたことです。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、大阪毎日新聞社で開かれた探偵趣味の会の第五回例会に出席する。 |
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昨夜例会を開きました。川口君の世話で探偵活動写真 through the Dark 八巻の映写あり、来会者七十名盛会でした。小倉から加藤重雄君も来会しました。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩による書き込み
十月号「苦楽」 編輯日誌
スクラップされた記事の抜粋
八月八日
探偵趣味の会が大阪毎日新聞社の楼上に開かれる。江戸川乱歩、春日野両氏の肝入りに依つて、探偵小説同好の士及び探偵小説作家、飜訳家、新聞雑誌記者などを会員に、仲々の盛会である。今夜は日米映画の好意に依つてメトロゴールドウヰンの「暗黒」と云ふ探偵映画の試写を見せたりした。会費五十銭でアイスクリーム、紅茶活動といふお添物があつて、夕涼みがてらのお遊びには持つて来いである。来月は友達を誘ひ合はして出掛ける事とする。 |
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初出・ 底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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川口松太郎が「乱歩讃」で探偵趣味の会の第一回会合としているのはこの日の例会か。 |
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ところがその時分、大阪毎日に星野龍猪、和気律次郎と云ふ二人の探偵作家がゐて、これ又探偵小説隆盛を計らうと云ふ野心に燃えてゐるのであつたから、これが乱歩と結び合つて大毎に『探偵趣味の会』と云ふグループをでつち上げた。
主として大毎関係の人材に乱歩が加はり、一般来会者をも歓迎する形式にして、大毎のホールにその第一回を開いた。来会者から五十銭くらゐの会費を取ると云ふので余興に活動写真を見せたが、たしかユナイトにあつたアルセーヌ・ルパンだとおぼえてゐる。 |
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初出 新青年 昭和10年1月号 16巻1号 1935年1月1日
底本 「新青年」復刻版 昭和10年合本1 本の友社 1992年2月25日 |
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乱歩、例会のあとプラトン社の社長中山豊三に会い、発行を予定していた雑誌「ストーリイ」などについて話し合う。 |
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会の後、プラトン社の中山社長が一度御逢ひし度いといふことで、星野君と一緒に逢ひ、色々事情を聞きました。
結局、「ストーリイ」の発行は暫く延期すること、その代りに「苦楽」の一部を探偵物のために提供し、会の報告等ものせ、尚ほ定価の七掛けで会に卸し、それを会員に配布してもよいこと。(普通卸は七掛半の由です)そして、不敢取、十月号は探偵小説集と銘を打ち、表紙等も全然色彩を換え、読物の外は殆と全部探偵小説で埋めることになつてゐるさうです。(これは少し冒険だと存じます) |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩、苦楽園ホテルで開かれた探偵趣味の会の会合に出席する。機関誌「探偵趣味」の発刊が決まる。 |
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取急ぎ申上げます。昨夜芝東園ホテルで小集を催し、会費は改めず、「サンデーニユース」は毎週続け、外に菊版三十余頁の「探偵趣味」を発行することに取りきめました。ポイント四段組みで充分つめ込みますから、原稿紙百枚以上這入ります。紙は厚手のラフを使ひ、体裁よく致します。
で、これまでの経過報告を兼ね、右発行のことと、会費徴収のことを書いた依頼状を印刷しました。明日は出来る筈です。この依頼状の連名十八名の内に先生の御名前も入れて置きました。専断の点は不悪御了承下さいませ。 |
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註記 「芝東園」は正しくは「苦楽園」
初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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乱歩の書き込み
大正十四年八月
依頼状
[タイトル]
『探偵趣味』発行につき御依頼
[本文の抜粋]
探偵趣味の会を始めてから、早いもので、五ケ月になります。此の間、大阪では毎月会合を開いて、講話だとか活動写真だとか面白い催しを続けて居りますが、他地方の会員諸君には、『サンデーニユース』を数回お送りしたばかり故、これでは会としての意味を為さぬとか、会費が高すぎるとか、色々議論もある様です。
これに対しては、大阪のプラトン社から、『ストーリイ』といふ探偵専門雑誌を出して、それに会員の作品を発表し又会の報告をものせ、会員には無料配布の予定で、同社でも已に、各方面に原稿を依頼し、紙まで註文して、もう発行するばかりになつてゐたのですが、残念なことには、ある事情の為に、当分その発行を見合せなければならぬ仕儀となりました。その代りに、同社では前から発行してゐる『苦楽』の相当頁を割いて、毎号探偵小説をのせることになつてゐるのですが、『苦楽』を会員に配布するのは稍不適当と思はれますので、同誌には、単に会員の作品を発表して行くに止め、別に純機関雑誌『探偵趣味』を発行することに、我々の間で話を極めました。 |
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初出 貼雑年譜 江戸川乱歩推理文庫特別補巻 講談社 1989年7月25日
底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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乱歩、小酒井不木に手紙を出し、前夜の会合の決定事項を報告、「探偵趣味」創刊号への執筆とアンケートの回答を依頼する。 |
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外に原稿紙一枚以内で、左の各項御答へ願ひます。甚だ愚問ですけれど、皆に回答を頼みました。
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1、探偵小説は芸術とは云へないか、どうか。
2、探偵小説の形式は将来どう変つて行くか、又変ることを望まれるか。
3、探偵小説目下の流行がいつまで続くか、すぐ駄目になるか、相当永続するか。
4、お好きな作家二三名、その代表作品一つづゝ |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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国枝史郎、「読売新聞」に「日本探偵小説界寸評」を発表する。 |
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探偵小説四十年 大正十四年の主な出来事 |
大正十四年度
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【九月】大阪市外守口町に於て父死去す。算え年五十九才。 |
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初出 新青年 昭和25年4月号 31巻4号 連載:探偵小説三十年 第7回 1950年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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「新小説」九月号の奥付発行日。「一人二役」を掲載。 |
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先月末から馬場孤蝶氏が来阪して居られまして、昨夜は歓迎の小集を催す筈の処、丁度雨天で集りが悪るく、大毎の平野君と松本長蔵君と小生の三人で、支那料理へ御同行して、色々お話しました。 |
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初出・底本 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 編:浜田雄介 乱歩蔵びらき委員会/皓星社 2004年10月21日 |
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繁男、永眠する。『貼雑年譜』に死去を通知する平井太郎名義の印刷葉書がある。 |
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書面の抜粋
父繁男儀病中の処十日午後八時遂に永眠致しました。 |
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初出・ 底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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最後には脳をおかされて、意識混濁が二日ほどつづき、何の苦痛もなく、いつとも知らず息をとめていた。父が最も気遣っていた、喉が脹れふさがって、呼吸困難に陥るということも、遂になくて済んだ。 |
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初出 宝石 昭和26年4月号 6巻4号 連載:探偵小説三十年 第2回 1951年4月1日
底本 探偵小説四十年(上) 江戸川乱歩全集第28巻 光文社 光文社文庫 2006年1月20日 |
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乱歩の書き込み
市外守口町外島六九四ニテ父死去。九月十日午後八時ナリ。十二日同所ニ於テ葬送、荼毘ニ附ス。行年五十九才 法号、高照院繁林寿栄居士。津市浄明院ニ葬ル。 |
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初出・ 底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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「写真報知」三巻二十六号の奥付発行日。「疑惑」第一回を掲載。 |
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探偵趣味の会の例会が開かれる。『貼雑年譜』に予告記事がある。 |
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乱歩の書き込み
大毎
記事の全文
[見出し]
探偵趣味の会
[本文]
二十日午後五時大丸六階会議室で九月例会を開く。本社社会部長文学士阿部真之助氏の「犯罪学のある頁」の趣味多き講演の後ユナイテツド社の厚意によりグリフヰス監督、カロル・デンプスター嬢主演、探偵劇「恐怖の一夜」九巻の未封切映画を試写する筈(無料)なほ同会で本月から発行する月刊雑誌「探偵趣味」は当日会場にて希望者に配布すると |
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初出・ 底本 貼雑年譜 第一分冊 東京創元社 2001年3月16日 |
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「写真報知」三巻二十六号の奥付発行日。「疑惑」第二回を掲載、完結。 |
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