二銭銅貨

 「二銭銅貨」には、重要と判断されるテキストの異同は存在しない。仮名遣いや漢字の用い方などを別にすれば、初出の形態が現行テキストにもほぼそのまま継承されているといえる。
 作品の発表から現在まで、むろん例外はあるにせよ、「二銭銅貨」の底本とされたのは初刊本『心理試験』収録のテキストであり、乱歩自身が校訂した桃源社版全集が刊行されて以降は、おおむねこの桃源社版のテキストが底本となって今日に至ったと見ていいだろう。

 以下、初出誌、初刊本、平凡社版全集、春陽堂版全集、桃源社版全集を照合するために、それぞれの冒頭四段落を引用してみる。

「新青年」春季増大号

 大正12年(1923)4月1日、博文館発行。4巻5号。
 「二銭銅貨」は244−263頁に掲載。
 タイトル「二銭銅貨」の右には「創作探偵小説」と書かれ、作品末尾には「──(一一・一〇・二)──」と脱稿の年月日(大正11年10月2日)を記す。
 挿絵三点を掲載するが、画家名は記されていない。
 つづく264−265頁には不木生(小酒井不木)「『二銭銅貨』を読む」、266−267頁には江戸川乱歩「探偵小説に就て」が掲載されている。

『あの泥棒が羨しい。』二人の間にこんな言葉が交される程、其頃は窮迫してゐた。場末の貧弱な下駄屋の二階の、たゞ一間しかない六畳に、一貫張りの破れ机を二つ並べて、松村武とこの私とが、変な空想ばかり逞しうして、ゴロ々々してゐた頃のお話である。もう何もかも行詰つて了つて、動きの取れなかつた二人は、恰度その頃世間を騒がせた大泥棒の、巧みなやり口を羨む様な、さもしい心持になつてゐた。
 その泥棒事件といふのが、このお話の本筋に大関係を持つてゐるので、茲にザツとそれをお話して置くことにする。
 芝区のさる大きな電気工場の職工給料日当日の出来事であつた。十数名の賃銀計算係が、一万に近い職工のタイム・カードから、夫々一ケ月の賃銀を計算して、山と積まれた給料袋の中へ、当日銀行から引出された、一番の支那鞄に一杯もあらうといふ、二十円、十円、五円などの紙幣を汗だくになつて詰込んでゐる最中に、事務所の玄関へ、一人の紳士が訪れた。
 受付の女が来意を尋ねると、私は朝日新聞の記者であるが、支配人に一寸お眼にかゝり度いといふ。そこで女が、東京朝日新聞社会部記者と肩書のある名刺を持つて、支配人にこの事を通じた。幸なことには、この支配人は、新聞記者操縦法がうまいことを、一つの自慢にしてゐる男であつた。のみならず、新聞記者を相手に、法螺を吹いたり、自分の話が何々氏談などとして、新聞に載せられたりすることは、大人気ないとは思ひながら、誰しも悪い気持はしないものである。社会部記者と称する男は、寧ろ快く支配人の部屋へ招じられた。

 原文は総ルビ、漢字は旧字体。二文字にわたる仮名の踊り字(繰り返し符号)は「々々」で代用した。

『心理試験』

 大正14年(1925)7月18日、春陽堂発行。創作探偵小説集第一巻。
 「二銭銅貨」は1−31頁に収録。
 作品末尾に「(十一年十月)」と執筆時期を記す。

『あの泥が羨しい。』二人の間にこんな言葉が交される程、其頃は窮迫してゐた。場末の貧弱な下駄屋の二階の、たゞ一間しかない六畳に、一張りの破れ机を二つ並べて、松村武とこの私とが、変な空想ばかり逞しうして、ゴロ々々してゐた頃のお話である。もう何もかも行詰つて了つて、動きの取れなかつた二人は、度その頃世間を騒がせた大泥坊の、巧みなやり口を羨む様な、さもしい心持になつてゐた。
 その泥
事件といふのが、このお話の本筋に大関係を持つてゐるので、茲にザツとそれをお話して置くことにする。
 芝区のさる大きな電気工場の職工給料日当日の出来事であつた。十数名の賃銀計算係が、一万に近い職工のタイム・カードから、夫々一ケ月の賃銀を計算して、山と積まれた給料袋の中へ、当日銀行から引出された、一番の支那鞄に一杯もあらうといふ、二十円、十円、五円などの紙幣を汗だくになつて詰込んでゐる最中に、事務所の玄関へ一人の紳士が訪れた。
 受付の女が来意を尋ねると、私は朝日新聞の記者であるが、支配人に一寸お眼にかゝり度いといふ。そこで女が、東京朝日新聞社会部記者と肩書のある名刺を持つて、支配人にこの事を通じた。幸なことには、この支配人は、新聞記者操縦法がうまいことを、一つの自慢にしてゐる男であつた。のみならず、新聞記者を相手に、法螺を吹いたり、自分の話が何々氏談などとして、新聞に載せられたりすることは、大人気ないとは思ひながら、誰しも悪い気持はしないものである。社会部記者と称する男は、寧ろ快く支配人の部屋へ
じられた。

 原文は総ルビ、漢字は旧字体。二文字にわたる仮名の踊り字(繰り返し符号)は「々々」で代用した。初出との違いはこの色で示した。

 初刊本の『心理試験』では、「二銭銅貨」初出テキストの誤植が訂正され、表記や用字の一部に手が加えられた。
 上の引用でいえば、「一貫張り」という誤記は「一閑張り」に訂正され(一閑は人名で、江戸初期に明から帰化した漆工)、「恰度」は「丁度」に、「泥棒」は「泥坊」に改められている。
 引用箇所以外にも、「昂奮」→「興奮」、「ポー」→「ポオ」といった書き換えが随所で行われているほか、句読点の異同もあり、初出テキストの不備が全篇にわたって訂されたという印象がある。

 文章に手を加えた箇所も、わずかだが存在する。いくつかを例示してみよう。
 [  ]内には、創元推理文庫『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩』の当該箇所を示しておく(以下同様)。

 『心理試験』は乱歩にとって初めての著書であり、乱歩の“活字好き”な性癖に照らしても、著者みずからが校正刷りに朱を加えた可能性は充分に考えられるが、「二銭銅貨」全篇の改稿箇所を見渡すと、文選の誤りが校正で見落とされてそのままになったと思われるものも少なくない。
 たとえば、

 といった箇所など、乱歩による改稿かどうかは疑問だといわざるを得ない。
 逆に間違いなく乱歩自身によって訂されたと考えられるのは、次の箇所である。

 下駄屋の二階に逼塞する青年に「インテリゲンチャ」は大仰すぎるとでも、乱歩は考えたのだろうか。いずれにせよ、初出と初刊のテキストにおけるもっとも大きな違いは、この 6 だといって差し支えない。

 なお、初刊本で発生した誤植には、「なにがし」→「なしがし」、「御冗談」→「御常談」がある。

『江戸川乱歩全集第一巻』

 昭和6年(1931)6月10日、平凡社発行。
 「二銭銅貨」は329−366頁に収録。
 作品末尾に「(大正十二年度『新青年』に執筆)」と初出を示す。

『あの泥棒が羨しい。』二人の間にこんな言葉が交される程、其頃は窮迫してゐた。
 場末の貧弱な下駄屋の二階の、たゞ一間しかない六畳に、一閑張りの破れ机を二つ並べて、松村武とこの私とが、変な空想ばかり逞しうして、ゴロ々々してゐた頃のお話である。
 もう何もかも行詰つて了つて、動きの取れなかつた二人は、丁度その頃世間を騒がせた大泥坊の、巧みなやり口を羨む様な、さもしい心持になつてゐた。
 その泥坊事件といふのが、このお話の本筋に大関係を持つてゐるので、茲にザツとそれをお話して置くことにする。
 芝区のさる大きな電気工場の職工給料日当日の出来事であつた。十数名の賃銀計算係が、一万に近い職工のタイム・カードから、夫々一ケ月の賃銀を計算して、山と積まれた給料袋の中へ、当日銀行から引出された、一番の支那鞄に一杯もあらうといふ、二十円、十円、五円などの紙幣を汗だくになつて詰込んでゐる最中に、事務所の玄関へ一人の紳士が訪れた。
 受付の女が来意を尋ねると、私は朝日新聞の記者であるが、支配人に一寸お眼にかゝり度いといふ。そこで女が、東京朝日新聞社会部記者と肩書のある名刺を持つて、支配人にこの事を通じた。
 幸なことには、この支配人は、新聞記者操縦法がうまいことを、一つの自慢にしてゐる男であつた。のみならず、新聞記者を相手に、法螺を吹いたり、自分の話が何々氏談などとして、新聞に載せられたりすることは、大人気ないとは思ひながら、誰しも悪い気持はしないものである。社会部記者と称する男は、寧ろ快く支配人の部屋へ請じられた。

 原文は総ルビ、漢字は旧字体。二文字にわたる仮名の踊り字(繰り返し符号)は「々々」で代用した。

 平凡社版全集の「二銭銅貨」では、初刊本に較べて改行箇所の多いことが眼を引く。上の引用でも初刊本の四段落が七段落に増やされているが、こうした操作は全篇にわたって行われている。
 「探偵小説四十年」には、当初予定していた「五百頁十二巻」の全集とするには作品の分量が少ないため、下中弥三郎平凡社社長の提案を容れ、「一頁の行数を、見苦しくない程度に出来るだけ少なくして」ページ数を増やしたという舞台裏が記されているが、「二銭銅貨」の改行もページ数を水増しする手段だったと思われる。

 改行箇所の違いを除けば、平凡社全集版「二銭銅貨」は初刊本を忠実に再現したテキストだといえるが、仔細に見ればやはり異同がある。
 試みにすべて掲げてみるが、「彼奴」の「やつ」と「きやつ」、「昨夜」の「ゆふべ」と「さくや」といったルビの違いは除いた。
 また、初刊本では二重カギ(『  』)で括られた会話のなかに改行がある場合、改行後の段落は二重カギ(『)で始められているが、全集で新たに設けられた改行では二重カギなしで段落が始められている。あまりにもくだくだしいので、これを掲げることは避けた。


        

        

        


 上に列記したうち、初刊の誤植を訂正した 07、13、35、36 と、図版の位置の変更に伴う 30 以外は、文選の誤りが校正で見落とされたものと判断するべきだろう。05 だけは作家自身による改稿と見られなくもないが、遺憾ながら確かめようがない。

『江戸川乱歩全集第九巻』

 昭和30年(1955)6月10日、春陽堂発行。
 「二銭銅貨」は260−278頁に収録。
 作品末尾に「(『新青年』大正十二年四月号)」と初出を記す。

「あの泥棒が羨ましい」二人のあいだにこんな言葉がかわされるほど、其の頃は窮迫していた。場末の貧弱な下駄屋の二階の、ただ一と間しかない六畳に、一閑張りの破れ机を二つ並べて、松村武とこの私とが、変な空想ばかりたくましうして、ゴロゴロしていた頃のお話である。もう何もかも行き詰つてしまつて、動きの取れなかつた二人は、ちようどその頃世間を騒がせた大泥棒の、巧みなやり口を羨むような、さもしい心持になつていた。
 その泥棒事件というのが、このお話の本筋に大関係を持つているので、ここにザッとそれをお話しておくことにする。
 芝区のさる大きな電気工場の職工給料日当日の出来事であつた。十数名の賃銀計算係りが、一万に近い職工のタイム・カードから、それぞれ一カ月の賃銀を計算して、山と積まれた給料袋の中へ、当日銀行から引き出された、一番の支那鞄に一杯もあろうという、二十円、十円、五円などの紙幣を汗だくになつて詰め込んでいる最中に、事務所の玄関へ一人の紳士が訪れた。
 受付の女が来意を尋ねると、私は朝日新聞社の記者であるが、支配人にちよつとお眼にかかりたいという。そこで女が東京朝日新聞社会部記者と肩書のある名刺を持つて、支配人にこの事を通じた。幸いなことには、この支配人は、新聞記者操縦法がうまいことを、一つの自慢にしている男であつた。のみならず、新聞記者を相手に、法螺を吹いたり、自分の話が何々氏談などとして、新聞に載せられたりすることは、大人気ないとは思いながら、誰しも悪い気持はしないものである。社会部記者と称する男は、むしろ、快く支配人の部屋へ請じられた。

 新仮名遣いに改められたほか、送り仮名を補う、漢字を仮名に開くなどの改稿が全篇にわたって行われている。
 そうした異同以外にも、初刊本のテキストと比較すると、引用箇所では「朝日新聞」に「社」がつけられ、「女が、東京」の読点が削除されているが、これが乱歩の意志によるものかどうかは判じがたい。

 春陽堂版全集の校訂について乱歩は何も記していないが、桃源社版全集の「あとがき」に「今度の全集には、従来の私の全集に見られない特徴がある。それは全作品にわたって、私自身が校訂をしたことである」と述べられていることから、春陽堂版全集の校訂は編集部まかせだったと見るべきだろう。

 ただし、初出の金額を全集発行時点のそれに換算して括弧書きした箇所があり、これは乱歩による註記と判断される。註記は次の三箇所である。

 十円が三千円なら五万円は一千五百万円、四千円なら二千万円になる計算で、五万円が七、八百円に当たるというのは腑に落ちないが、のちの桃源社版全集では辻褄の合う数字に改められている。

 ここで、同じ版元から発行された春陽文庫のテキストを見ておこう。
 昭和37年(1962)3月に出た江戸川乱歩名作集7『心理試験』収録の「二銭銅貨」から、冒頭の段落を引用してみる。

「あのどろぼうが、うらやましい」ふたりの間に、こんなことばがかわされるほど、そのころは窮迫していた。場末の貧弱なゲタ屋の二階の、ただ一間しかない六畳に、一閑張りの破れ机を二つ並べて、松村武とこのわたしとが、変な空想ばかりたくましうして、ゴロゴロしていたころのお話である。もう何もかも行き詰まってしまって、動きのとれなかったふたりは、ちょうどそのころ世間を騒がせた大どろぼうの、たくみなやり口をうらやむような、さもしい心持ちになっていた。

 春陽堂版全集に加えられた金額に関する註記も収められているが、春陽文庫の本文では、上の「うらやましい」「ゲタ屋」のように、漢字表記を平仮名や片仮名に改めた箇所が全集版より多く見られる。読み易さへの配慮から、編集部の手で稿が改められたものと思われる。

『江戸川乱歩全集1』

 昭和36年(1961)10月10日、桃源社発行。表題は「パノラマ島奇談」。
 「二銭銅貨」は209−227頁に収録。
 作品末尾に註記(後掲)を加筆。

「あの泥棒が羨ましい」二人のあいだにこんな言葉がかわされるほど、そのころは窮迫していた。場末の貧弱な下駄屋の二階の、ただひと間しかない六畳に、一閑張りの破れ机を二つならべて、松村武とこの私とが、変な空想ばかりたくましくして、ゴロゴロしていたころのお話である。もうなにもかも行き詰まってしまって、動きの取れなかった二人は、ちょうどそのころ世間を騒がせていた、大泥棒の巧みなやり口を羨むような、さもしい心持になっていた。
 その泥棒事件というのが、このお話の本筋に大関係を持っているので、ここにざっとそれをお話ししておくことにする。
 芝区のさる大きな電機工場の職工給料日の出来事であつた。十数名の賃銀計算係りが、五千人近い職工のタイム・カードから、それぞれ一カ月の賃銀を計算して、山と積まれた給料袋の中へ、当日銀行から引き出された、大トランクに一杯もあろうという、二十円、十円、五円などの紙幣を汗だくになって詰め込んでいるさなかに、事務所の玄関へ一人の紳士が訪れた。
 受付の女が来意をたずねると、私は朝日新聞社の記者であるが、支配人にちょっとお目にかかりたいという。そこで女が東京朝日新聞社社会部記者と肩書のある名刺を持って、支配人にこのことを通じた。幸いなことには、この支配人は新聞記者操縦法がうまいことを、ひとつの自慢にしている男であった。のみならず、新聞記者を相手に、ほらを吹いたり、自分の話が何々氏談などとして、新聞に載せられたりすることは、おとなげないとは思いながら、誰しも悪い気持はしないものである。社会部記者と称する男は、快く支配人の部屋へ請じられた。

 桃源社版全集では全篇にわたって乱歩が校訂を行っており、テキストは作家自身が手を加えた決定稿と呼ぶべきものになっている。
 初刊本『心理試験』と桃源社版全集の本文を比較して、以下にその違いを列記してみるが、旧仮名と新仮名の差、句読点の異同、漢字と仮名の使い分け、送り仮名の有無などはすべて無視し、字句や表現、改行箇所が改められたものだけを掲げることにする。


        

        

        


 上に挙げた異同をつぶさに見てゆけば、乱歩が校訂にあたってどんなところに意を用いていたかが窺えるだろう。

 「逞しう」→「逞しく」のように、文語的表現を口語的なそれに改める。
 「一番の支那鞄」→「大トランク」のように、全集発行時点では馴染みのなくなっていた言葉を別の言葉に置き換える(もっとも、「トランク」とされたのは最初の一箇所だけで、あとは「シナ鞄」がそのまま使用されている)。
 「一万に近い」→「五千人近い」は理由が判然としないが、校訂にあたった乱歩には「一万」という数字が不自然に見えたということだろう。
 そういった点が校訂の要諦であったらしく、それ以外には字句や表現の微妙な修正が行われている。

 もうひとつ、作中に使用された点字の問題に触れておこう。
 桃源社版全集「あとがき」に記した「二銭銅貨」の自作解説で、乱歩は「今度、この小説につかわれている点字の書き方に間違いがあることを気づいたので、訂正しておいた。これは最初の私の原稿が間違っていたのである」と述べている。

 これにはいわば後日談があるので、そのあたりの事情を創元推理文庫『江戸川乱歩集』(1984年発行)の戸川安宣「編集後記」から引いておこう。

「二銭銅貨」の初出時の、点字に関する誤りが、この桃源社版全集から訂正されている。ところが数年前のこと、一読者の指摘で、講談社版全集をはじめ、流布本の多くが〈新青年〉を基に稿を起こした為、初出の誤りを復活させてしまっていることが判明した。全集をはじめ、新潮を除く各社文庫版の多くは、文字遣い等をみても桃源社版に依っていると思える箇所が散見されるだけに、これはまた誠に不幸な事件であったといわざるを得ない。

 桃源社版全集に基づく「二銭銅貨」は、現在容易に入手できる範囲では、次の書籍に収録されている。


2000年10月21日  最終更新 2001年 10月 26日 (金)