孤島の鬼 第三回
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「朝日」3月号(1巻3号)。昭和4年(1929)3月1日発行。156−172頁。
竹中英太郎の挿画六点を掲載。
冒頭の二段落は次のとおり。原文は総ルビ、漢字は旧字体。二字にわたる仮名の踊り字(繰り返し符号)は「々々」で代用した。
私は内気者で、同年輩の華やかな青年達には、余り親しい友達を持たなかつた代りに、年長の、しかも少々風変りな友達にめぐまれてゐた。諸戸道雄もその一人に相違なかつたし、これから読者に紹介しようとする、深山木幸吉などは、中でも風変りな友達であつた。そして、私のまわり気かも知れぬけれど、年長の友達は殆ど凡て、深山木幸吉とても例外ではなく、多かれ少なかれ、私の容貌に一種の興味を持つ様に思はれた。仮令いやな意味ではなくとも、何かしら私の身内に彼等を引きつける力があるらしく見えた。さうでなくて、あの様にそれ々々一方の才能に恵まれた年長者達が、青二才の私などに構つてくれる筈はなかつたのだ。 |
第二回同様の体裁で、157頁に「前号までの筋」が掲載されている。
全文は次のとおり。原文は総ルビ、漢字は旧字体。
私(箕浦金之助)は丸ノ内のSK商会の書記であつたが、同僚のタイピストの木崎初代と熱烈な恋に陥つた。初代は捨てられた子で、先祖の系図帳を持つてゐたけれど、先祖がどこの誰とも分らない。私は恋の贈物として、初代からこの系図帳を預つた。間もなく初代に対する求婚者が現はれた。それは曾て私に非常に真面目な同性の愛を捧げてゐた諸戸道雄といふ少壮学者で、この求婚は私の愛人である初代をば遠ざけようとする企みであつたかも知れないのだ。ある夜初代は完全に戸締りをした自宅で何者かに、心臓を刺されて死んだ。賊がどこから出入りしたかは少しも分らない。その時曲者は初代の手提袋とチヨコレートの小缶とを持去つた。初代は死の数日前に、三晩続けて、八十位に見える、ひどく腰の曲つた老人が、彼女の家の前に立止つてゐたのを見た。検事は初代の養母に嫌疑をかけた。私はそれを信ぜず、外に下手人があるものと考へ、初代の為に復讐を誓つた。 |
「孤島の鬼」の語り手である「私」の名前には、ひとつの謎が存在している。
作中には「箕浦」という姓しか明かされていないにもかかわらず、なぜかわれわれは「箕浦金之助」という彼のフルネームを知っている、という謎である。
もっともこの謎に関しては、「本の雑誌」1990年9月号《特集:漱石を読もう》の戸川安宣「江戸川乱歩『孤島の鬼』にみる『金之助の謎』」で、すでに委曲が尽くされている。以下、その概要をご紹介しておこう。
創元推理文庫『孤島の鬼』の読者から、東京創元社編集部に一通の手紙が届いた。作中には姓しか書かれていない語り手が、文庫本のカバーにある登場人物一覧や扉の梗概で姓名を記されていることの根拠を問う内容だった。
編集部員だった戸川さんは、雑誌連載時に添えられた「梗概」が「金之助」の出どころではないかと推理した。そして調べてみると、案の定、連載第二回の「前号の梗概」に「私、箕浦金之助は」という記述が存在していたのである。
では、「梗概」を執筆した人間はどこから「金之助」なる名前を引っ張り出してきたのか。戸川さんはこう記している。
これにはいくつかの可能性が考えられる。 |
この話には後日談があって、戸川さんの回答を読んだ件の読者からは、
「孤島の鬼」は鴎外全集の随筆からヒントを得てかかれた→鴎外といえば夏目漱石→漱石の本名は金之助→よって金之助と名づけた。
という推測を書いた第二信が寄せられたそうである。
戸川さんは、「これは真相に近いのではないか。ぼくはこの説をとても気に入っている」と付記している。
連載第三回の該当箇所は、平凡社版全集第五巻(昭和6年)の60−92頁に収録。
箕浦から事件の解明を依頼された深山木幸吉は、初出ではこんなふうに約束する。
「四日ばかり待ち給へ。どうしてもその位かゝる。五日目には、何か吉報がもたらせるかも知れないから。」 [80頁17−18行]
これが平凡社版全集では、
四日 → 一週間
五日目には → 一週間したら
と改められ、これに合わせてほかの箇所でも日にちに変更が加えられている。変更の理由は判然としない。
語り手「私」の謎をもう少し見てみよう。
「ユリイカ」1987年5月号《特集:江戸川乱歩 レンズ仕掛けの猟奇耽異》に掲載された橋本治「名もなくやさしく美しく あるいは、孤島の小林少年」には、「孤島の鬼」に関してこんな指摘がある。
実はこの作品にはもっととんでもないものが“露わに隠されている”のである。なんと、この主人公には名前がない! あるのは苗字だけ。一人称で語り出される小説で、その人物が「自分の頭は真っ白だ」で始める小説で、主人公が自己紹介をしつつ自分の文章の稚拙さを嘆きながら、自分の美貌の説明を他人の口を借りて説きながら、それで自分から自分の名前を名乗らないということなどあるだろうか? あるのである、ここに! |
この文章は、大幅に加筆されたうえ、橋本治の著書『文學たちよ!』(1990年、河出書房新社)に「孤島の小林少年──江戸川乱歩とグロテスク考」というタイトルで収録され、のちに新保博久・山前譲編のアンソロジー『乱歩 下』(1994年、講談社)にも採られている。
その「孤島の小林少年──江戸川乱歩とグロテスク考」から、語り手「私」の謎に触れた箇所を引用してみよう。文中のアンダーライン部は、原文では傍点。
『孤島の鬼』の主人公は、読者の代理人となって異常なる猟奇の冒険世界に入って行く語り手の主人公は、どうして自分の名前を隠したのか? 半分だけの名前さえも、どうして自分の口から名乗らなかったのか? だってそうしなかったら、彼が誰だか分からなくなってしまう。“彼”は、誰でもないからこそ、名前がない。つまりこの“彼”は、それが誰とも特定しがたいそのゆえをもって、“彼”ではない。その“彼”は、不特定なる読者の“あなた”なのだ。だからこそ、彼の名前は、作中で、作中人物から“与えられる”という、メンドクサイ段取りを踏む。「主人公の名前は“箕浦”だが、そいつはまず、他人の口を借りて語られる。つまり、“彼”は叙述に隠れるのである!」──つまり、叙述に隠れた“彼”は姿を隠し、その空隙に読者なる“あなた”はすっぽりと入りこむことが出来るのである。その猟奇世界を、完全に体験出来るように。猟奇を求める健全なる読者は、結局のところ、自分の中にある“あるもの”の出し方を知らないのである。だから、平気で猟奇を外に求める。 |
つまり語り手たる「私」は、作品に描かれた感情の渦に読者をすんなり引き込むために、あるいは、読者自身の無意識をそのまま映し出す鏡となるために、敢えて曖昧な輪郭によって、読者が容易に一体化できる人物として造形されているということだろう。
「私」はじつは「あなた」なのです、と。
橋本治は江戸川乱歩推理文庫20『幽霊塔』(1989年、講談社)の巻末エッセイ「『熱』」でも、もっと簡略にこう記している。
ひるがえって江戸川乱歩のことを考えてみると、彼の作品というのはみんなそうだ。いつの間にか、話の中心は、それをジッと見つめて手の内に汗をかいている“主人公”、あるいは“語り手”、あるいはその作品を息をつめて見守っている“読者”の胸の内に移っている。 |
たしかに乱歩の小説作法には、読者自身気づいていない「自分の中にある“あるもの”」を意識に浮上させる傾向が顕著で、それはフロイディスト乱歩が充分に自覚して採用していた手法でもあっただろう。
乱歩の比喩を真似るならば、「青空が夕立雲で一ぱいになって、耳の底でドロンドロンと太鼓の音みたいなものが鳴り出す」(陰獣)といったような不気味などよめきを、読者は自身の胸底に発見することになるのである。
ついでに記しておくと、「孤島の小林少年──江戸川乱歩とグロテスク考」には、
江戸川乱歩とは、ある意味で“際限なく見せる”という通俗に拠りながら、そのことによって自動的に“隠す”ことを達成して行った“生きた文学”の見本のようなものなのである。
という、乱歩の自伝的随筆の筆法にも通じる指摘も見られ、乱歩論としてまことに興味深い一篇ではあるのだが、しかし、と乱歩の読者なら思うかもしれない。語り手「私」の謎は、単に「孤島の鬼」だけの、それも小説作法だけの問題なのだろうか、と。
たとえば「陰獣」においても、語り手たる探偵作家の「私」は作中人物から姓を呼ばれるだけで、自分からは一度も名乗ろうとしなかったではないか。
「目羅博士」の語り手である探偵作家の「私」は、作中人物から「あなた江戸川さんでしょう」と話しかけられることによって初めて、それが乱歩自身であることを明らかにして読者を驚かせたではないか。
語り手「私」の謎はおそらく、「孤島の鬼」ただ一篇にとどまるものではないだろう。
「孤島の鬼」の「私」は、乱歩の小説に描かれた「私」なるものの謎に至る、一枚の扉のようなものとして存在しているのである。
連載第三回の初出誌と平凡社版全集の異同のなかで、「私」の問題に関係してくると思われる改稿箇所を挙げておこう。
箕浦が初めて諸戸道雄の家を訪ねた場面である。
夜も更けぬに、母屋の方は、どの窓も真暗だつた。僅かに実験室の奥の方に明りが見えてゐた。怖い夢の中での様に、私は玄関にたどりついて、ベルを押した。暫くすると、横手の実験室の入口に電灯がついて、そこに主人の諸戸が立つてゐた。ゴム引きの濡れた手術衣を着て、血のりで真赤によごれた両手を前に突き出した。電灯の下で、その赤い色が、怪しくも美しく光つてゐたのを、まざ々々と思ひ出す。[88頁1−5行] |
とあった初出テキストから、平凡社版全集では血の色を形容する「美しく」が削除され、「その赤い色が、怪しく光つてゐた」と改められている。
ここには、正常健全な人間として造形された箕浦の「私」に、作者である乱歩自身の「私」が不用意に滲出していったさまと、それに気づいた乱歩が稿を改め、血のりに見てしまった美を撤回することで箕浦を危うく正常健全の枠内にとどめたさまが見て取れるように思われる。
ほかの作品に眼を転じると、「孤島の鬼」が書かれた昭和4年ごろ、換言すれば初期短篇からいわゆる通俗長篇への移行期に、乱歩の「私」が抑えかねたように作品への滲出をくりかえしていることが判明する。
とくに、「陰獣」の「私」、「孤島の鬼」の「私」、そして三人称で書かれた作品ではあるけれど「虫」の柾木愛造という「私」、この三人の「私」には、三様の形で乱歩の「私」が色濃く滲み出ている。
この時期、乱歩は「私」を語ることで何を果たそうとしていたのだろうか。
といった次第で、本文校訂からは大きく逸脱し、乱歩作品における「私」という厄介そうなテーマと直面してしまった。つづきをどうすればいいのかはこれから考えることにして、とりあえず校訂を進める。
桃源社版全集2(昭和36年)では、連載第三回該当箇所は110−125頁に収録。
時代色が強く出過ぎるのを嫌ってか、次のような書き替えが見られる。
余談ながら、木崎初代の家に隣接する古道具屋で七宝の花瓶を購った諸戸道雄は、初出では人力車で壺を運ばせていたのである。
ほかにも例によって、「相違ない」→「ちがいない」、「知らなんだ」→「知らなかった」などの改稿が見られる。
●掲載 2000年12月6日 ●最終更新