第一章 定本江戸川乱歩全集

 名張人外境は、江戸川乱歩の生誕地、三重県名張市の公共図書館に、インターネットを利用していったいどのようなサービスが可能なのか、それを探ることを最大の狙いとして、名張市立図書館乱歩資料担当嘱託が個人的に開設しました。

 以下に、「江戸川乱歩データベース」の構想を記します。
 これは、本来であれば1999年10月21日、名張人外境開設の時点で掲載されているべき文章なのですが、間に合わせることができませんでしたので、何回かにわけて書き継ぐこととし、とりあえずここに第一回をアップロードする次第です。

 本題に入る前に、名張市立図書館が乱歩に関して手がけるべき究極のサービスについて、私見を述べておきます。
 結論から記せば、定本と呼ぶに足る江戸川乱歩全集の刊行が、それに該当するかと思われます。
 私は、名張市立図書館の嘱託として四年の月日を過ごしましたが、「江戸川乱歩リファレンスブック」の編纂をはじめ、乱歩の「本」に携わる仕事をつづけてきた結果、良質なテキストとして乱歩全集を刊行することもまた、名張市立図書館の責務のひとつではないかと考えるに至りました。

 申しあげるまでもなく、定本と呼ぶに足る乱歩全集は、いまだ刊行されておりません。
 何を基準として定本と称するか、議論はわかれるでしょうが、まず第一に押さえられるべきは、初出、初刊本に始まって作家自身が校訂を加えた桃源社版全集に至るまで、作品それぞれのテキストの推移を明示することであろうと思われます。

 乱歩作品にさまざまな事情から一再ならず改訂が加えられ、その結果「ますます書誌的に複雑なもの」になってしまった経緯については、林美一さんの「知られざる乱歩の禁書『蜘蛛男』」「乱歩の『蜘蛛男』補記」「乱歩の『蜘蛛男』補記の補記」(いずれも河出文庫『珍版・我楽多草紙』所収)にくわしく記されています。
 没後三度目の乱歩全集、講談社版江戸川乱歩推理文庫刊行中に記された「乱歩の『蜘蛛男』補記の補記」から、一部を引用させていただきます。

 そこで早速、今回刊行の『蜘蛛男』を手に入れ、ついでに比較するつもりで春陽堂版の「春陽堂文庫」の『蜘蛛男』も取寄せてみたところ、なんのことはない、相変らず削除されたままなのである。無論講談社版の方は、里見芳枝を湯殿に連込む「獣人」の章は洩れてはいないが、春陽堂版の方は、自社で昭和三十年に出した全集本を底本にしたらしく、昭和六十二年の新装版であるにもかかわらず一章分削除されたままである。ところがそのあとの里見絹枝の死体処理の場面などは初版に近い原文が残っている。ただ「江の島への橋の上を」が「江の島への橋の上は」になっている(この文章は戦後の「春陽堂版」の全集で乱歩自身が書直したものらしい)。まるで異本とも称すべきものが、二社で同時に販売されているのである。読者に不誠意なこと、この上ないが、これだけ見ても乱歩の原作の異常な混乱ぶりがよくわかる。
 他本もどうなっているかと思って、今回の講談社本を一通り集めてみたが、発売を始めてから日がたっているので書店に見当らぬものもあり、未刊行のものもあり(六十三年十二月現在で未刊行分が十四冊ある)で、全作品に当ることは出来なかったが、ともかく比較出来たものについて記してみると、『盲獣』の「鎌倉ハム大安売」の一章欠落と改筆もそのままだし、『魔術師』の削除部分もそのままである。『黒蜥蜴』『人間豹』『悪魔の紋章』などにも短いが数カ所から十数カ所もの欠落や改筆がある。決して「初出時の原文のまま」といえるようなものではない。

 つづいて、「黒蜥蜴」「人間豹」「魔術師」「盲獣」「蜘蛛男」「吸血鬼」「黄金仮面」「湖畔亭事件」における悪しき改訂や改筆、さらには「原稿の順序が狂っている」箇所(つまり段落の順番がおかしいわけです)などの実例を検証されたあと、林さんは将来刊行されるはずの乱歩全集への「お願い」も記していらっしゃいます。

 しかしこうなると、乱歩本はますます書誌的に複雑なものになる。初出の原文のほかに、戦中の削除、戦後版の部分復活や改筆に加えて、新たな加筆まで混在することになるからである。これでは一番被害を受けるのは読者である。どれを信用して読んだらよいのかわからない。
 私はこれからの乱歩全集は、研究家でもあった乱歩氏にふさわしく、文字どおりの初筆を元に、詳しい書誌解説を加えた、定本的なものにしなければ駄目だと思う。今回の講談社本には毎巻、乱歩賞作家を中心としたエッセイがついているが、その乱歩賞作家の人たちにしてからが、殆ど戦後版の乱歩本しか読んでいないに違いないのだから、本当に乱歩を知っているとは言い難い。今回の講談社本の責任編集は、乱歩氏のご子息の平井隆太郎氏と、推理作家協会理事長の中島河太郎氏だが、何年かあとにまた「乱歩全集」の企画があるときには、本当の初出の形で刊行されるよう、くれぐれもよろしくお願いしたいものである。

 林さんのおっしゃるとおりだと思います。
 そのうえで、この「乱歩の『蜘蛛男』補記の補記」にあえて「補記」を加えるならば、それは、いつの日か刊行されるべき定本版乱歩全集には、本当の初出、つまり雑誌に掲載されたテキストもまた収録されるべきではないか、という一事です。

 いわゆる「通俗長篇」の執筆にあたって、それら一連の作品に対する後年の否定的断定とは裏腹に、乱歩がきわめて周到な連載作法を採用していたことは、名張市立図書館発行『江戸川乱歩執筆年譜』の解題「探偵小説四十三年」にいささかを記しましたが、その作法のひとつが梗概の執筆でした。
 前回までの梗概を書かせたら、乱歩は天才的にうまかった、とは横溝正史や萱原宏一の述懐するところですが、これは本にするときに捨てられてしまう文章ですから、初出誌にあたらなければ読むことはできません。

 そこで「探偵小説四十三年」では、「孤島の鬼」と「黄金仮面」の梗概を一部ご紹介した次第ですが、ここにはそれ以外に、「孤島の鬼」最終回(「朝日」昭和五年二月号)の冒頭に置かれた梗概を引用してみます。
 「意外な人物」という小見出しにつづいて、ほぼ一ページ、それはこのように綴られています。

 諸戸道雄と私とは、諸戸の親の傴僂夫婦が、不具者製造の悪業を続けてゐた、南海の一孤島に渡つて、傴僂夫婦を土蔵におしこめ、檻禁の不具者達を解放した。その中には、私の新らしい恋人秀ちやんもゐた。と云つて、それはあたり前の少女ではない。もう一人の男の子と腰の所につながり合つた、両頭の怪物である。この恐ろしい不具少女が、なぜかひどく私の心を惹いた。
 この心持は、私にとつて実に恐ろしいことだ。私は恋人、木崎初代の復讐の為に、初代
〔「殺し」が脱落しているようです──引用者註〕の下手人であつた傴僂親父の住む、この島へ遥々出かけて来たのではないか。その私が、初代の新墓の前で、あんなにも悶え悲んだ私が、もう別の少女に心を寄せてゐる。しかもいまはしき不具少女にだ。
 私はそれ程無節操で、移り気な男だつたのか知ら、いやいや今でも初代のいとしさに変りはない。彼女の忘れ難き笑顔は、夜毎の夢に私を訪れさへする。それにも拘らず、私は初代の美しい姿に重ねて、いまはしき不具者秀ちやんを想ふのだ。我ながら解し難き私の心であつた。
 それは兎も角、私達は島を訪ねたもう一つの目的であつた宝探しの為に、古井戸の入口から地下の迷路に踏み込んだ。私達は不幸にも、そこでしるべの麻縄を失つてしまつた。闇の迷路は蜘蛛手に拡がつて、しるべなしでは抜け出す見込みがなかつた。私達はあらゆる方法を講じて、元の入口へ引返そうと試みたけれど、何れも失敗に終つた。飢餓と極度の疲労の為に、私達はもう地下を抜出す望みを失つて、ある洞窟の中にくづをれてしまつた。死を待つばかりである。
 再び地上に出られぬと極まると、やけくそになつた諸戸は、地上の礼儀と習慣の為に押へつけてゐた、私に対する不倫の愛を、恥もなくさらけ出した。男性の体臭と男性の唇の感触に
〔「、」が脱落しているようです──引用者註〕そのあまりのあさましさに、死を覚悟した私でも流石にゾッと悪寒を感じないではゐられなかつた。闇と死と見にくい獣性の生地獄だ。
 だが丁度その時、洞窟の向ふの隅で変な物音がした。蝙蝠や蟹の様な小動物の立てた音ではない。何かもつと大きな生物だ。
 諸戸は私を離した。私達は動物の本能で、敵に対して身構へをした。
 耳をすますと、生き物の呼吸が聞える。
 「シッ。」
 諸戸が犬を叱る様に叱つた。

 以上のうち、「諸戸は私を離した」とある段落以前の部分が梗概で、本にするときにはあっさり削除されています。
 しかし、定本版乱歩全集を目指すのであれば、こうした梗概まで収録するのは当然過ぎるほど当然のことだと思われます。

 とはいえ、北村薫さんが日本探偵小説全集11『名作集1』(創元推理文庫)の「解説」にお書きになっているとおり、「初出の形を出されるのは、作者にとって不本意だと思う」という事情もあります。
 北村さんのおっしゃる「初出」は初刊本のことなのですが、それならばなおのこと、雑誌における初出はより「不本意」なものであるということになります。

 松本清張は、雑誌連載はゲラのようなものである、と公言していたそうですが、乱歩にとってもまた、雑誌への連載はあくまでも本にするための素材であったと、平井隆太郎先生からお聞きしたことがあります。
 とりあえず雑誌に発表し、本にするときに手を加え、さらに改版の機会があれば意に充たない箇所を改稿するというのが、書き下ろし作品は別にして、作家とテキストとの基本的な関係かと思われます。

 だからといって、乱歩作品のテキストとして、作家自身が最終的に手を加えた桃源社版全集が最良かというと、井伏鱒二の「山椒魚」の例もあるとおり、作家晩年の改稿には問題なしとしません。
 それに乱歩の場合、創元推理文庫の乱歩選集が初出の挿絵を収録するという難行に挑んでいることにも示されているとおり、挿絵も含めた雑誌連載は、やはりそれだけで一見の価値があるものと判断されます。

 したがって、定本版乱歩全集は、少なくとも小説の巻においては、少年ものも含め、各巻二分冊とするべきかと愚考される次第です。
 たとえば「黄金仮面」が収録された巻を見てみます。
 この巻の分冊Aには、「黄金仮面」初刊本(昭和六年九月刊『江戸川乱歩全集第十巻』)のテキストを収録し(むろん正字と歴史的かなづかいを採用します)、それ以降の改訂のあとをたどれるような工夫をも加えます(本文を二色刷にする必要があるかもしれません)。

 そして分冊Bには、雑誌連載にかける乱歩の意気込みをそのまま再現するべく、驚天動地、初出の誌面を全ページそのまま復刻して収録してしまいます。
 「キング」の昭和五年九月号から六年十月号まで、「黄金仮面」の載ったページをそのまま読むことができるわけです。
 まことに素晴らしい全集だと思います。

 素晴らしい全集であることはよくわかるのですが、果たして実現可能かどうかとなると、首を傾げざるを得ません。
 まず初出誌をすべて集めなければなりません。
 挿絵画家の著作権所有者を捜して、復刻の許可をいただく必要があります。
 初刊本から桃源社版全集まで、乱歩のすべての本を収集して、テキストの異同を確認する作業も不可欠です。

 こんな面倒な全集を出してくれる出版社は、おそらくどこにもないのではないかと思われます。
 それならば、名張市立図書館が出しましょう、と思いきって宣言したいところなのですが、とても無理です。
 むろん図書館の役目はテキストの提供ですから、乱歩作品の良質なテキストが存在しないのであれば、図書館みずからがそれを作成してもおかしくはありません。

 先にも記しましたとおり、私個人としては、名張市立図書館が乱歩に関して提供できる究極のサービスは、乱歩全集の刊行であろうと信じるに至っています。
 名張市立図書館が定本版乱歩全集を刊行し、全国の主要な図書館、できれば市立図書館レベルまでを対象に、全集一セットずつを寄贈することにでもすれば、公共事業のひとつの範を示し得るのではないかとさえ考えています。
 しかし、委細は記しませんが、お役所なるものの現状を考えると、これはもう途方もない夢物語であるという気がしてきます。

 奥の手としては、私が勇躍名張市長選挙に立候補し、見事当選を果たし、強引に全集刊行を進めてしまうという荒技が考えられなくもありません。
 乱歩全集を出すために名張市長になりました、などという市長が存在しても面白いとは思うのですが、有権者の支持はまったく望めないものと思われます。
 いや、それ以前に、私の人望や人徳の面から考えて、これはひたすら絶望的な夢物語であると申しあげざるを得ません。

 頭が痛くなってきましたので、本日はここまでとします。
 うっかり、
 夢物語でよいのだ。
 夢物語でよいのだ。
 などと書いてしまいそうな気分です。


掲載 1999年11月11日