第一回
セクハラ始末

 読者はどこかで、『乱歩文献データブック』のことをお聞き及びかもしれない。さよう。名張市立図書館が発行した、壮挙とも横紙破りともにわかには断じがたい一冊の書物のことである。私は市立図書館の嘱託としてこの本の編集に携わったが、顧みて心残りがひとつだけある。まえがきにあたる「乱歩文献の定義と類別」の結びをお読みいただこう。

 本書編纂にあたっては、調査協力、文献寄贈、資料提供など、各般にわたってじつにたくさんの方の協力を得た。もしもその人たちの手助けと励ましがなかったらと考えると、ちょっと空恐ろしい気がしてくるほどだ。本来であれば「乱歩文献打明け話」とでも題したあとがきを附して、それぞれのご協力についてもう少し具体的に記録し、深謝の意を表しておくべきなのだろうが、このまえがき以上に長々しくなりそうだから控えることにした。その人々への心からのお礼をここに記して、「乱歩文献の定義と類別」の結びとする。

 心残りはほかでもない、「乱歩文献打明け話」を書けなかったという一事だ。実際、この本を上梓するまでには、大阪、神戸、名古屋、東京は申すに及ばず、東は仙台から西は松山まで、多くの人からじつに懇篤な協力を得た。おもな協力者名は巻末に一覧で示したが、それだけでは具体的な内容まではわからないし、あまりにも愛想というものがなさ過ぎる。記録を残すという意味からも、市民への報告という観点からも、刊行に至る経緯を文章にして発表しておくことは、むしろ私の務めであるというべきかもしれない。
 そこで私は、本誌編集者である川上弘子さんの慫慂を奇貨として、ここに「乱歩文献打明け話」の筆をとることを決意した。だが、それにはまず、私がなぜ名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託を拝命しているのか、そのあたりの事情をお知らせしておくのが筋というものだろう。話は数年前に遡る。私は当時の市立図書館長から、江戸川乱歩をテーマにした読書会の講師を引き受けてくれないかという依頼を受け、丁重にお断り申しあげた。
 公立図書館が乱歩の読書会を開いていいものかどうか、私はいまだに結論を出せずにいる。むろん、江戸川乱歩の愛読者がお互いの読みをつきあわせるといった体の読書会なら、何も問題はないであろう。しかし、乱歩作品に関する予備知識のまったくない市民が読書会に入り、いきなりこんなふうなテキストに出くわしたとしたら、いったいどんな気がするであろうか。

 浴場の湯は、血潮のためにまっかに染まっている。その中へ、血に狂った盲獣は、ザンブとばかりに飛び込んだ。赤い水しぶきが、電灯の光を受けて、まぶしく散った。
 「へへへ……世間のやつら、このなまぐさいぬるぬるした死骸ぶろの楽しみを知らぬとは、かわいそうなもんだなあ。へへへ……ああ、たまらねえ、からだじゅうがぞくぞくして、心臓をしぼられるようだ」
 盲獣は大声にわめきながら、ゴロゴロ、ブクブクと膚にぶつかる切断人形を、さもここちよさそうにしばらく楽しんでいたが、こんどは、それらの手や足や首などを湯の中からつかみ上げては、めちゃめちゃに流し場へたたきつけ始めた。
 それから、酔いと活動のためにへとへとになった盲獣は、浴槽をはい出して、タイルの上をぬめぬめとすべっている五体の山の中へ、ペチャンと横ばいになった。
 「へへへ……イモムシごーろごろ、イモムシごーろごろ、へへへ……」
 えたいの知れぬ歌をうなりながら、かれは五体の山の中を、ゴロゴロゴロゴロ、ほんとうに断末魔のイモムシのようにころがりまわった。

 もうこのへんで充分だろう。昭和六年に発表された乱歩エログロ小説の白眉、「盲獣」の一節である。主人公は盲目の犯罪者で、美女(この場合の美女は視覚的にそれとわかる美女ではなく、触覚的に、つまりふたつの掌で全身を撫でまわすことによって知られるような肉体的美しさをもった女性のことである)を殺害しては、その死体を弄ぶ。引用したシーンでは、盲獣は風呂場で美女を殺し、五体をバラバラに切り刻むや、湯舟に放り込んで「死骸ぶろ」を味わい、洗い場に並べて「芋虫ゴロゴロ」を愉しむのである。
 乱歩作品におけるいわゆるエログロ表現は、「盲獣」一作に尽きているわけではない。探偵作家としてデビューしたごく初期の作品にも、すでにその萌芽は窺える。たとえばデビュー三年目、乱歩が作家専業になった大正十四年の短篇「白昼夢」には、愛する女性を殺害せずにはいられない強烈なサディズムや、その死骸をバラバラに切断して人形に仕立てあげ、衆人の環視に晒すことで快感を覚えるフェティシズムないしはネクロフィリアの傾向が明らかに顕れているのだ。
 これを要するに、乱歩作品におけるエログロの要素は、乱歩の作家的本質に深い関連を有しているといえよう。「エロ・グロ・ナンセンス」と称された当時の時代相に乱歩が身を擦り寄せた結果ではなく、作家個人の内密で重要な主題が炙り出されるように露呈したものとして、乱歩のエログロ表現は読まれるべきなのである。ちなみに記しておけば、乱歩が活躍した大正末から昭和十年代前半は、フロイトの思想が日本に受容され、急速に一般化あるいは通俗化していった時代とぴったり重なっている。乱歩がフロイディストであったことは乱歩自身くりかえし述べているところでもあって、フロイディズムと乱歩作品の密接な関係は、これをいくら強調してもし過ぎることはないものと思われる。
 しかし読者よ、乱歩とフロイトの関わりなどという小難しい理屈はどうあれ、「怪人二十面相」を書いた作家の読書会、などといった軽い気持ちで会に入り、死骸ぶろだの芋虫ゴロゴロだのといったシーンを目のあたりにさせられたとしたら、多くの人は困惑と羞恥と不快と憤りとを感じてしまうのではあるまいか。少なくとも私は、そうした実例をよく知っている。
 というのも、話が前後するけれど、私は結局市立図書館の要請を受け、平成五年から現在まで乱歩読書会の講師を担当しているのだが、乱歩のエログロ表現は乱歩を語るに際して看過することのできぬ主題であるため、当時の性科学のレベルやフロイディズムの受容史、さらにはヨーロッパと日本との性的倫理観の相違などといったことについても言及せざるを得ない。それは乱歩作品をより深く読むために必要な知識であるのだが、そんな話を聞かされて羞恥や不快を覚える人もあるのだということは、これまでの経験から私は充分に承知しているのである。
 読書会で私がどんなことを喋っているのかというと、原稿を準備しているわけではないから克明には記憶していないが、たとえばこんなことを口走っていると思っていただきたい。
 「ですからまあ、異常性欲という考え方がですね、ヨーロッパから日本に伝えられてきた、それが乱歩の時代であったと、こういうふうにいえると思います。で、乱歩はまさにそうしたヨーロッパ的な考え方、正常なものと異常なものを明確に区別してゆく考え方をわがものとして、作品のなかに異常なものをいろいろと描いていったわけです。異常な心理、異常性欲が、乱歩作品にはたくさん登場してきます」
 あるいは、こんなことも喋った。
 「そういうふうに、乱歩がいやらしいことを書いている、異常な心理、異常性欲について書いている、そうした作品がわれわれを惹きつけるのは、結局まあ、われわれのなかにもそうした心理なり性欲が潜在しているということなんです。われわれの心の底の、いわゆる無意識がですね、乱歩作品に描かれた異常さに共鳴しているということです。異常性欲の要素というのは万人に共通しているわけですから、これはもう異常でも何でもない、ごくあたりまえのことなんです。したがいまして、世のなかには異常な性欲など存在しない、あるいは、すべての性欲は異常である、そういうことになります」
 ああ、思い出した。調子に乗ってこんな馬鹿なことまで喋ってしまった。
 「乱歩作品は異常性欲のオンパレードであるみたいなことをいう人がありますけれど、それは正確ではありません。たとえば乱歩が避けて通った異常性欲に糞便愛というものがありまして、糞便、おわかりですね、これに対する愛着というものは、乱歩作品にはまったく見られません。サディズムの本家であるサド公爵はこの糞便愛の所有者でもありまして、あれはマルセイユ事件でしたか何でしたか、街角に立ってる売春婦のお姉さんを何人か連れ込んで、下男といっしょに乱交パーティに興じるという事件を起こしまして、たしかそのとき、サド公爵はお姉さんにおならの出るボンボンを食べさせましてですね、乱交に及びながらときどきお姉さんのお尻のにおいを嗅いでいたということです。はははははは」
 読書会初年度のことであった。親子一緒に参加してくれたお母さんとお嬢さんがいらっしゃったのだが、その二人がある日、会の途中で、二言三言囁きを交すや忍びやかに席を立ち、部屋から退出して、以来ふっつりと姿を見せてくれなくなるという事態が発生した。理由はいうまでもなく、私の喋った内容が羞恥や不快の念を呼び醒ましたからにほかならない。彼女たちはその場にいたたまれなかったのである。読者よ、私は敢えて申しあげるが、これは明らかにセクハラである。セクハラに及んだ本人が断言しているのだから、こんな確実なことはないであろう。当時はちょうどセクシャル・ハラスメントという言葉がマスコミで喧伝され始めたころであって、もしもあのお二人がおおそれながらと訴え出れば、翌日の日刊各紙地方版には、
 「ハレンチ講師、乱歩でセクハラ」
 などといった見出しが三段抜きくらいで躍り、名張市教育委員会のお偉方が眼を白黒させる仕儀となったに相違ないのである。ともあれ、この場をお借りして、あのときのお二人には心からお詫びを申しあげる次第である。
 というところで、本題に入る前に紙幅が尽きてしまった。こうなっては致し方ない。いささか強引な気もするが、この原稿は連載とさせていただく。

(名張市立図書館嘱託)

掲載1999年10月21日
初出「四季どんぶらこ」第3号(1997年6月1日発行)
番犬追記文中にある名張市立図書館の江戸川乱歩読書会「乱歩パノラマ館」は、1998年2月、誰からも惜しまれることなく、五年にわたる歴史に幕を閉じました。