第三回
わが悪名

 連載も三回目を迎えた。季刊の連載は文字どおり間が抜けるもので、私はいま前号を読み返し、自分がつづけて何を書こうとしていたのかを思い出しているところだ。
 前回までをお読みでない読者のために記しておくならば、私は名張市立図書館が刊行した『乱歩文献データブック』について書くつもりなのだが、そのためには自分が市立図書館の嘱託を拝命した経緯を明らかにしておくことが必要となり、そもそもの最初から、すなわち乱歩作品の読書会の講師を依頼されたところから話を始めたのである。詳しく知りたい方は本誌バックナンバーを購読されたい。
 時あたかも乱歩生誕百年が目睫に迫っているころで、市立図書館としても読書会くらい開いていないと恰好がつかぬのであろう。そう考えて、私は講師をお引き受けした。開講は平成五年五月、月一回の定例で、乱歩の初期短篇を読んでいった。翌六年の生誕百年が終わればもう必要もないだろうから、二年でおしまいにしてくれということは最初からお願いしてあった。読書会の内容を仔細に述べていてはいつまでたっても連載が終わらぬから、ことごとく省略してしまおう。二年が経過した。乱歩生誕百年も過ぎて、私はお役御免になるはずであった。
 ところが、三年目も読書会をやってくれといわれて私は逆上した。馬鹿なことをいってもらっては困る、二年で終わるという約束ではないか、と申しあげた。図書館側は、しかしもう次年度予算が組んであるのだから読書会を開催しないわけには行かないのだという。それは私の知ったことではない。とにかく当初の予定どおり、二年でおしまいということにしていただく。これ以上は御免である。私はそのように申しあげた。
 「講師であるあなたに相談せずに読書会の継続を決めたのは、明らかにこちらのミスです。それは謝ります。謝りますからなんとか講師をつづけていただけませんか」
 「いやちゃいまんがな兄ちゃん。わいはなにも当方には一言の相談もいただけまへんでしたなァてなこと言うて綾つけてんのと違いまっせ。そこらの破落戸と一緒にせんといてんか。な。よろしか。わいが言いたいのは読書会なんぞよりもっとほかにせんならんことがあるんとちゃうかちゅうこっちゃ。誤解してもろたら困りまっせ」
 私は当時、本誌寄稿家のお一人でいらっしゃる田中徳三監督の「悪名」シリーズのビデオにハマッており、喋るときには右のごとく、「梅に鶯松に鶴、朝吉ゆうたら清次でんがな」という田宮二郎の口跡を真似ることを常としていた。ちなみに現在は数日前にテレビで観た嵐寛寿郎と美空ひばりの「鞍馬天狗/角兵衛獅子」にどっぷりとハマりこみ、お子供衆への呼びかけはすべて「これ杉作」で統一している。
 「しかし、読書会のほかにすることとおっしゃられましても、私どもにはちょっと思いつきませんので」
 「なんやとこら。われいま何ぬかした。なに抜かしくさった」
 などと一言一句を田宮二郎でやっていては、与えられた紙幅は瞬く間に尽きてしまうだろう。それに田中監督からお叱りを頂戴しないとも限らない。要点をかいつまんで書き進めよう。
 名張市立図書館には乱歩読書会のほかにするべきことがある、と私には思われた。しかし何をしていいのか判らない、というのが当の図書館の答えであった。判らないといわれたって、私には何とも申しあげようがない。そんなことは私には関係のない話だからである。むろん私とて、頼まれれば読書会の講師くらいお引き受けせぬわけではないが、それは乱歩生誕百年の飾り物という意味において協力したに過ぎない。これ以上、市立図書館の運営に深入りしなければならぬ道理はないであろう。名張市立図書館が乱歩に関する知識や見識を持ち合わせていないのは図書館自身の責任であり、さらに煎じつめれば名張市教育委員会や名張市の責任であって、私にはまったく関係のない話なのである。
 読者は私が行政に対して非協力的であるとお感じかもしれぬが、少なくとも乱歩に関しては、名張市や名張市教育委員会に協力したいという気は私にはなかった。名張市や名張市教育委員会が乱歩に関して何をやってきたか、あるいは乱歩に関してどの程度に無知であるか、充分に弁えているからである。この際だから申しあげてしまうが、私には名張市が手がけてきた乱歩関連事業のすべてに関して、ひとつの大きな疑義があった。それは、名張市には乱歩に対する敬愛の念があるのだろうかという疑問である。
 もしも名張市が乱歩をテーマに事業を展開するのであれば、それらの根幹には乱歩に対する敬愛の念が存在しているべきではないのか。むろんこれは私の個人的な意見であって、敬愛の念など必要ないという見解もあっていいだろう。乱歩が名張で生まれたのは事実なのだから、乱歩作品や乱歩その人に関する知識など関係なしに、乱歩の名前を名張市の自己宣伝に利用すればいいではないか、といった考えも否定されるべきではないだろう。しかし私は、そうした見解に与する気は毛頭ないし、それに荷担するのなどは真っ平御免なのである。
 以上のような見地から、私は名張市立図書館への協力をお断りしたのである。私が申しあげたいのはただひとつ、「ろくに乱歩作品も読んでないような人間がランポランポとジタバタしても仕方あるまい」ということである。私は別に乱歩を読んでほしいわけではないが、乱歩に関して何かしらことを行うのであれば、乱歩をよく知ることが必要だと申しあげているのだ。これはお役所に限らない。市民も同様である。ろくに乱歩作品を読みもせずに乱歩を批判している市民があれば、私はその人間を軽蔑するであろう。腹に据えかねた場合はその人物に書状を送り、
 「こらおっさんわれなんちゅうこと抜かしてけつかる。乱歩のことあんじょう教えたるさかいいっぺんツラ貸さんかい。ええな。いついっかやったらお会いできますと返事よこすんやど」
 くらいの啖呵は切るであろう。そしてその人物がおたおた逃げ回って会見に応じようとしないのであれば、
 「杉作、あれをよく見ておくのだぞ。自分は絶対に安全な場所にいて一方的に他人を批判し、いざ自分が批判されそうになると尻尾を巻いて逃げ惑う。あれが幕府の犬の姿なのじゃ」
 くらいのセリフは呟くであろう。どなたも随分用心召されよ。
 あだしごとはさておき、要するに私は、江戸川乱歩という作家に関しては、もはや名張市や名張市教育委員会に何の期待もしていないのである。どんな事業をやってほしいとも思っていないのである。むろん私には、これまで乱歩関連事業に携わってきた市職員諸君を批判する気はまったくない。彼らの労苦を多とするにいささかも吝かではない。どうもご苦労さまでしたと心から申しあげたい。しかし、乱歩に対する敬愛の念や乱歩に関する知識もなしにお役所が乱歩関連事業を手がけることに対しては、やはり批判の目を向けざるを得ないのである。
 だから私は、これは前回も書いたことだが、名張市はもう乱歩から手を引いてはどうかと思っている。乱歩という郷土出身作家に本気で取り組む気がないのなら、思いつきでしかないうわべばかりの乱歩関連事業など、いくら積み重ねてもあまり意義はないのではないかと愚考している。
 話が堅苦しくなった。清次兄ィにご登場願って気分転換を図ろう。
 「せやからもう堅苦しい話はよろしやおまへんか。みなさん公務員でっしゃろ。公務員やったら公務員らしいにしてはったらどないでっか。わいらみたいな民間人かて公務員のことはよう存じあげてまっせ。そらもう公務員ゆうたらね。せんでも済む仕事はいっさいいたしませんてなもんでんがな。別に名張市が乱歩のことなんにもせんかったかて市民はいっこも怒りまへんで」
 おそらく私は、名張市役所に足を踏み入れたとたん、市職員諸君から袋叩きの目に遭わされるにちがいない。われながら難儀な性分ではある。
 しかし、ここで問題になるのは名張市立図書館の存在である。名張市が乱歩から手を引いたとしても、名張市立図書館が乱歩から手を引くことはできぬ相談であろう。なぜなら市立図書館は、昭和四十四年の開館以来、一貫して乱歩の著書や関連資料の収集をつづけているからである。これは貴重な財産であって、死蔵しておくわけには行かぬ性質のものである。そして私が、図書館には読書会以外にするべき仕事があるのではないかと指摘したのは、まさにこれらの収集資料を念頭に置いてのことだったのである。
 収集資料を活用することすら考えず、どうして市民相手の読書会などという子供騙しでお茶を濁そうとするのか、えーい、いったい図書館は何を考えておるのか、と気の短い私は逆上し、名張市立図書館の職員を叱り飛ばした。別にその職員が憎かったわけではなく、私の怒りは図書館なり教育委員会なり名張市に向けられたものであったのだが、矢面に立つことになった職員はさぞやいい迷惑だったことであろう。あとになって私は彼に、ある酒席でそのときのことをお詫びしたのだが、われながら本当に難儀な性分ではある。
 先を急ごう。何度か図書館職員と話し合っているうちに、私は図書館のために一肌脱がせていただこうかという気になった。いや、より正確には乱歩のために、というべきかもしれない。私は相当に傲慢な人間だから、こうした思いあがりは珍しいことではないのだ。乱歩資料の活用を考えるのはかなり面白い作業であるとも判断された。そしてそうした作業の適任者は、広い日本のどこを探しても、私以外に誰がいようかと思いあがった。すなわち私はかくのごとく申し出たのである。
 「よろしおます。手ェ打ちまひょ。義を見てせざるは勇なきなり、風呂屋の休みは湯ゥなきなりや。及ばずながら力にならしてもらいまっせ」
 結局、私は名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託ということにしていただいた。図書館では充分に手厚くもてなしてもらっており、腫れものに触るとはこのことかと実感される次第だが、そもそもお役所のシステムそのものに対してきわめて懐疑的かつ批判的である私は、嘱託の仕事をいつまでつづけていられるか、随分と不安に感じている。公務員の奇ッ怪な体質を目のあたりにして唖然としたこともあるし、やはりお役所は自分のいるべき場所ではないなと痛感したこともある。
 というところで終わりが近づいた。読者よ、連載三回目にしてようやく、私は本稿の導入部を綴り終えたのである。そして、この連載もようよう夜明けの光が見えてきたところだな、と思った瞬間、反射的に、
 「杉作、日本の夜明けは近いぞ」
 「おじちゃんッ」
 などとアラカンひばりの一人二役を演じてしまっている私は、やはりいささかハマり過ぎなのであろうか。

(名張市立図書館嘱託)

掲載1999年11月27日
初出「四季どんぶらこ」第5号(1997年12月1日発行)