第四回
ああ人生の大師匠
 責任者は出てこない

 平成七年十月、私は晴れて名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託を拝命した。これによって、名張市立図書館は日本でいちばん乱歩に詳しい図書館になった。これは大言壮語でも何でもない。誰だって乱歩の作品を読みさえすれば、よほどの馬鹿でない限り乱歩に詳しくなれるのである。私は乱歩読書会の講師を二年間務めたあいだに乱歩の全集を読み返したし、嘱託となって『乱歩文献データブック』を編集する過程では、乱歩について書かれた文献すなわち乱歩文献を半狂乱になって読みまくったのだから、乱歩に関しては相当詳しくなったはずだと自負している。げんに私は世間から、「乱歩オタク」と揶揄されたり「乱歩博士」と嘲笑されたりしている始末なのだ。
 つまり、私が嘱託になる以前となってからとでは、こと江戸川乱歩に関しては、名張市立図書館は劇的な変貌を遂げたと表現して差し支えない。これは私が凄いということではまったくなく、市立図書館がひどかったというだけの話だ。乱歩コーナーを備えた図書館が乱歩のことをよく知らなかったという無責任ぶりを、読者はにわかには信じられぬとおっしゃるかもしれない。しかしこれは厳然たる事実であって、もしかしたらひとり名張市立図書館のみにとどまらず、日本のすべてのお役所における責任というものの、これが紛れもない実態であるとさえいえるのではないか。私が喋々するまでもなく、お役所がどんなに無責任でいい加減なところであるかということは、読者もとっくにご存じであろう。
 私の見るところ、わが国のお役人における普遍的な第一義は、住民へのサービスなんぞでは決してなく、要するに責任回避と自己保身なのである。近年の中央省庁のスキャンダルを思い出すだけで、彼ら公務員の鉄面皮なまでの無責任ぶりはたちどころに了解されるであろう。大蔵省や厚生省の高級官僚が無責任であるのなら、名張市役所の公務員だって相応に無責任であるに相違ない。しかし、お役所に見られる無責任さは、じつはお役人だけのものではないのかもしれない。日本人全体がすっかり無責任になってしまったのではないかとも、私には思われるのである。お役所は単に、一般の企業などより遥かに十全に、責任回避のためのシステムが実現された場であるというに過ぎないのではあるまいか。
 私が人生でただ一人の師と仰いでいるのは、語呂合わせめいて恐縮ではあるが、ボヤキ漫才の故・人生幸朗師匠である。わが師、人生幸朗の偉大さは、「責任者出てこい」というルーティンギャグによって、何事であれ責任を取ろうとする者など一人も出てこない戦後日本社会の頽落を見事に衝いた点にある。これは関西地方にお住まいの、それも一定の年代以上の方にしかお判りいただけない話題かもしれないが、わが師の高座はとにかくボヤキに徹していた。こんな情けない世の中にいったい誰がしたのか、という憤りが最高潮に達するや、わが師は咽喉も破れよ、声帯も張り裂けよとばかり、
 「責任者出てこォいッ」
 と額の癇筋も凄まじく絶叫するのである。相方の生恵幸子師匠はこれを受け、間髪を入れぬ手練のツッコミで、
 「こらおっさんッ。えらそうなこと言うてからに、ほんまに責任者が出てきたらどないする気ィやッ」
 「そんなもん、謝ったらしまいじゃ」
 「なんやとこのどあほーッ。すかたーんッ。あんけらそーッ」
 「いや、お母ちゃんかんにん」
 「ええ加減にせえッ」
 「ごめんちゃい」
 などといったカタストロフがくりひろげられたあげく、やがて舞台は「我儘勝手なことばかり申してまいりましたが、笑いは人生の潤滑油」で始まるエンディングに突入する。ここでわが師の芸の奥深さを指摘するならば、右のごときカタストロフにおいて、責任者を声高に追及する人間もまたじつは無責任きわまりないのだという嗤うべき矛盾が的確に抉り出されている点を挙げるべきであろう。したがって、さきほどからお役所を厳しく批判している私にしたところで、実際には相当に無責任な人間なのだ。しかしまあ、ともかく私は、名張市立図書館の嘱託にしていただいたのである。前述のとおり、平成七年秋のことであった。
 とはいえ、名張市立図書館の日常においては、嘱託たる私の出番はほとんどない。昨年一年を振り返っても、乱歩のことで質問があると図書館に足を運んでくださった方は、名張市民ではわずかに一人を数えるのみであった。しかもあとになって、この市民がとんでもない人物であることが判明した。果たして、この男が見過ごしにできない無責任かつ破廉恥な言動に及んだので、私はさっそく書状を送りつけ、話があるから面談の機会を得たいと申し込んだ。話があるなどというのは真っ赤な嘘で、会って横面を張り飛ばしてやるつもりだったのだが、予想されたとおり彼はあれこれと理由を並べ立てて応じようとしない。私が前回、「自分は絶対に安全な場所にいて一方的に他人を批判し、いざ自分が批判されそうになると尻尾を巻いて逃げ惑う」と記したのはこの人物にほかならないのだが、その後ようやく面談が実現したことをここに申し添えておこう。

 X氏は答えない

 さて、嘱託になった私は、名張市や名張市教育委員会が乱歩についてどう考えているのかを知りたいと思った。私は私なりに、名張市立図書館が乱歩に関して何をすればいいのか、そのプランはもっていた。しかし、それが名張市や名張市教育委員会の考えと整合性をもったものかどうかは判らない。早い話が、名張市は昭和四十年代のなかばに乱歩記念館の建設構想を打ち出しているのだが、その構想が生きているのか死んでしまったのか、生きているとすればどういう形で残っているのか、そしてその構想と図書館との関係はどうあるべきなのか、そのあたりを確認しておかなければ動きようがないのである。そこで私は、教育委員会のしかるべき地位にある方に文書で質問を提出した。図書館が乱歩に関して何をすればいいとお考えか、教育委員会としての見解なり方向づけを示してほしい、といった内容の文書である。
 教育委員会のしかるべき地位にある方、といちいち書いていてはまどろっこしい。かりにX氏としておくが、X氏からは、しかし何の返事もなかった。やっぱりな、と私は思った。教育委員会には何の見解もないのだ。それは充分に予想されていたことなので、私は驚きもしなかった。そして、とりあえず自分なりのプランを実行するべく、『乱歩文献データブック』の予算を要求するよう手配した。平成七年十一月のことである。つまりお役所では、毎年十一月に次年度予算獲得のための動きが始まる。来年はこういう事業を進めますからこれだけの予算をいただきたいという折衝が始まるのであって、市立図書館は教育委員会に対し、『乱歩文献データブック』刊行という事業を行いたいと申し出たのである。図書館長がことあるごとに事業の必要性を説いてくれたこともあって、ゴーサインが出た。一昨年三月の市議会で、予算が正式に認められたのである。
 これを受けて四月、私は乱歩令息、平井隆太郎先生にお会いするため上京することになった。書状のやりとりで『乱歩文献データブック』のご監修はお引き受けいただいていたのだが、一度お邪魔してご挨拶申しあげる必要があった。上京の前、私は図書館長に、市長にお会いしたいのだが、と申し出た。さきほども記したごとく、名張市が乱歩のことをどう考えているのか、それが知りたかったのである。『乱歩文献データブック』の刊行は、名張市が過去に手がけてきた乱歩関連事業や名張市の将来構想のなかに位置づけられた乱歩関連事業と無縁ではあり得ない。私は平井先生に、名張市は乱歩先生に関してこれだけのことを考えております、このたび図書館が刊行する本もその一環であります、というふうにご説明申しあげ、ご協力をお願いしたかったのである。それが筋というものであろう。やがて図書館長を通じて、市長ではなくX氏から返事があった。
 「おまえが市長に会うのは無理である。教育委員会のしかるべき地位にある私をさしおいて市長に会うことなど市役所のシステム上とうてい認められぬ。不可能である。会いたいというなら私が会ってやろう」
 というX氏の言い分を伝えられて、私は耳を疑った。そのまま教育委員会に飛んでゆき、X氏の胸倉を掴んで、
 「おのれごときぼんくらではラチがあかんさかい市長に会わせ言うとるんじゃぼけ。聞き苦しい声でしょうもないことキャンキャン吠えとったらしまいに水かけるぞこの出来損ないが」
 などと怒鳴りつけてやろうかとも考えたのだが、それはさすがに思いとどまり、相手がそんな屁理屈を振り回すのであれば致し方ない、X氏にお会いしようと観念して、指定された日時に名張市役所を訪れた。大幅に遅刻したX氏は、私の顔を見て開口一番、
 「乱歩の本をつくるそうですが、誰にも迷惑かけずにできるんですかァ」
 とおっしゃった。私は唖然とし、ここに筋金入りの公務員がいる、と思った。何事においても責任回避と自己保身を真っ先に考えることが習い性となった公務員の鑑のような人物が、私の目の前に立っているのだ、と。私は返答する気力も失せ、適当に話をして退散した。しかし、このおっさんいずれ一発かましたらなあかんな、と胸に誓うことは忘れなかった。機会が訪れた。翌年、つまり去年の一月のことである。どうしても問い質したいことが出てきたので、私は図書館長に、X氏にお会いしたいのだが、と申し出た。
 「どういうご用件ですか」
 「一発かましたりますねん」
 とはいわなかったが、私はこれこれこういうことを確認したいのであると館長に伝えた。やがて、館長を通じてX氏の返事がもたらされた。市議会を控えて忙しいから時間が取れない、とのことである。ぼけが、と私は思った。ごく短時間で済む用事ではないか。
 といったことをいくら書き連ねても、たいして意味はないのかもしれない。私は別にX氏を非難したいのではなく、いったい乱歩のことをどうお考えなのかと名張市や名張市教育委員会に尋ねてみても、はっきりした返答は得られなかったという事実をお伝えしたいだけなのである。だが読者には、私が私憤をぶちまけているとしか見えないかもしれない。だからX氏の話はここまでとして、話を先に進めよう。要するに、たとえば市立図書館が乱歩の著作を集めるにあたって、刊本のみを対象とするのか初出誌まで視野に入れるべきなのかといった点に関しても、その判断基準となる構想や方向づけはまったくもたらされないのである。こちらが質問しても、返答そのものがないのである。しかし、それはあらかじめ想像がついていたことでもあった。お役所がいかに無責任で無能力で怠慢であろうとも、私は私の仕事をすればよいのだ、と私は単純に思っていた。

 乱歩は四番を打つ

 ここで、乱歩という作家のことを確認しておこう。明治以降の日本の文学者でベストナインを組むとすれば、不動の四番は漱石であろう。生前も没後も変わりなく読まれ、支持され、日本の近代文学を代表する作家といえば、夏目漱石をおいてほかにはあるまいと思われる。なにしろその肖像が紙幣に印刷されているほどの、いわゆる国民的作家なのである。翻って、漱石に代表される主流派の文学者ではなく、一般に大衆文学や娯楽小説などと称されるところの、これまであまり評価されることがなく、研究の対象ともされてこなかった一群の文学者でベストナインを選ぶとなれば、不動の四番は乱歩しかあり得まい。探偵小説という新しいジャンルを切り開き、大衆文学の世界で圧倒的な人気を獲得し、少年小説の分野でも熱狂的な賞讃をわがものとした乱歩こそ、漱石にも比肩すべきもう一人の四番打者なのである。
 その乱歩を、不動の四番を、名張市立図書館はいかようにも料理できるのである。しかも乱歩は、漱石のようにすでに固定した評価を獲得している作家ではない。生前にこそ固定した評価を得ていたものの、没後の昭和四十年代あたりから新しい視点による批評があいつぎ、近年では生前とはまったく異なった乱歩像が多様に提示されている、その意味ではいまなお新しい作家なのだ。こうした作家を運営の素材として所有しているのだから、名張市立図書館はじつに恵まれた図書館だというしかないであろう。そこで私は、私なりの考えとして、名張市立図書館は乱歩コーナーなどという子供騙しのごときレベルでとどまっているべきではあるまいと結論した。乱歩の読者や研究者の需要に充分応えられるだけのテキストを集め、全国を対象としてできる限りのサービスを行うのが、いやしくも乱歩コーナーを開設している図書館の責務でなくて何であろう。
 といったようなことを、私は何も嘱託になってから考えたわけではない。こんなことは誰でも考えつくことである。私は嘱託となった時点で、本を三冊つくろうと考えていたのである。というのも、私が嘱託を拝命する期間は三年間であるというのが、市立図書館の意向だったからである。そのあとのことはよく判らない。むろん継続の可能性もあるが、こんな文章を書いて発表するような人間が、そういつまでもお役所にいられるとは思えぬではないか。しかしまあ、そんなことはともかく、私がつくろうと思ったのは次の三冊である。
 乱歩文献データブック
 江戸川乱歩執筆年譜
 江戸川乱歩著書目録
 どうして図書館がこんな本をつくらねばならぬのか、そんなことは出版社の仕事ではないか、とおっしゃる読者もおありかもしれない。そういう方のためにいささかを記そう。
 私が右に列記した三冊の本は、いずれも出版社から刊行されることが望めない本である。調査編集の労のみ多くして、売れることなどまず見込めぬからである。しかし、乱歩の読者や研究者には非常に重宝な、必携とさえいえるものであることは間違いない。だとしたら名張市立図書館が出すべきではないか、と私は考えたのだ。図書館の本分はテキストの提供にほかならない。単に乱歩の本を集めておりますというだけでは、名張市立図書館は本分をまっとうできていることにはならぬのである。集めたテキストをいかに活用するか、その道を考えるのが図書館の役目であろう。それが図書館の進めるべきサービスであろう。で、名張市立図書館は『乱歩文献データブック』を上梓したのである。さいわいこの本は、少部数の出版ではあったが、望外のご好評をいただく結果となった。手前味噌で恐縮だが、以下にひとつだけ自慢しておくことにする。
 読者は「本の雑誌」という高名な書評誌をご存じであろう。この雑誌は毎年一月号で、前年に刊行された本のベストを選出するのを恒例にしている。編集部が選んだベスト以外に、作家や評論家、編集者などがそれぞれのベスト3を発表するコーナーもあって、今年の一月号に掲載された「一九九七年 私のベスト3」では、驚くなかれと申しあげても驚かれるだろうが、戸川安宣氏によるベスト3のトップに『乱歩文献データブック』が掲げられているのだ。これには私も驚いてしまった。戸川さんはミステリー出版で知られる東京創元社の社長さんで、いわば出版に関してはプロ中のプロである。その戸川さんが、去年一年間に出たすべての本のなかのベスト1として、名張市立図書館の『乱歩文献データブック』を推してくださったのである。名張市立図書館はもって瞑すべきであろう。などとうっかり書いてしまったが、まだ瞑してはいられない。
 瞑するどころか、名張市立図書館が乱歩に関連して出すべき本はいくらでもあるのだ。これからどんな本を出すのかと聞かれることも多いので、私は適当に、乱歩に関する地名辞典や人名辞典はぜひ出したい、などと答えることにしているのだが、世の中には気の早い人がいて、『乱歩文献データブック』のためにご協力をいただいたある方からの年賀状に、試みに乱歩の辞典をつくり始めてみたところ、文庫本一冊で項目が百を超えてしまった、と記されていたのにはびっくりした。しかし読者よ、実際のところ、名張市立図書館がこの「江戸川乱歩リファレンスブック」のシリーズをたとえば五年間で五冊刊行したと考えてご覧なさい。乱歩記念館をひとつおっ建てるより、はるかに安上がりできわめて有意義な事業となることは明白であろう。明白ではあるのだが、というところで紙幅が尽きた。つづきは三か月後である。

(名張市立図書館嘱託)

掲載1999年12月27日
初出「四季どんぶらこ」第6号(1998年3月1日発行)
番犬追記文中にある「乱歩の辞典」に着手された方は、シャーロッキアンの平山雄一さんです。平山さんのホームページ「The Shoso-in Bulletin 日本語版」の「江戸川乱歩事典大構想!」に、その一部が掲載されております。