第五回
うっかりキレた私

 図書館嘱託は皮算用をする

 本誌の締切は発行の一か月半前にやってくる。
 きょうは四月の二十五日だから、これでもう十日ほど締切を過ぎていることになる。
 編集者が気を揉んでいるであろうことは重々判っているのだが、私がぐずぐずしていたのには訳がある。
 恥ずかしいから大きな声ではいえないが、そろそろ日本推理作家協会賞の発表があるのではあるまいかと、私は私で気を揉んでいたのだ。
 私の皮算用によれば、今年の日本推理作家協会賞の評論その他の部門は、『乱歩文献データブック』によって名張市立図書館が受賞するはずだったのである。
 読者は唖然とされたことであろう。
 呆れ返って口も利けぬとおっしゃるであろう。
 私だって呆れ返らぬではない。
 こんな図々しいことをぬけぬけと書いてしまう自分という人間は、よほど育ちのいいお坊ちゃんかさもなければ底なしの馬鹿にちがいない。
 そう思っている。
 しかし読者よ、ここではっきりと打ち明けてしまうならば、私は当初から日本推理作家協会賞を目標に、いや、目標というのは少しおかしい、要するにまあ当然受賞するであろうという予想のもとに『乱歩文献データブック』を編集したのである。
 そして、このほど発行された「日本推理作家協会会報」四月号に、第五十一回推理作家協会賞の候補作品が発表されていたのである。
 ない。
 私は眼を疑った。
 名張市立図書館の名がないのだ。
 私は目を凝らした。
 しかしどこにも名張市立図書館の名前は記されていないのである。
 私は愕然とした。
 そもそもこの日本推理作家協会賞は淵源をたずねれば江戸川乱歩その人がつくった賞であって、その受賞者の系譜に名張市立図書館が連なり、賞の歴史に名張の二文字が刻まれることはとても嬉しい。
 名張市民として単純に嬉しい。
 私はそう考えて鋭意ことにあたったのであるが、下世話にも当てと褌は向こうから外れると申すとおり、『乱歩文献データブック』は候補作にもなれなかったのである。
 これは奇怪な事態である。
 私の手許には、全国のミステリファンで組織するSRの会の機関誌「SRマンスリー」の三月号がある。
 特集は「一九九七年度ベスト5」で、会員の投票によって決定した昨年のベスト作品が発表されている。
 翻訳は『カリブ諸島の手がかり』、国内では『三月は深き紅の淵を』がベスト1に選ばれているが、そんなことはともかく、評論・周辺書部門のベスト1には『乱歩文献データブック』が堂々とランキングされているのだ。
 ちなみに、日本推理作家協会賞の評論その他の部門の候補作品は四作あって、そのうちの一点『本格ミステリの現在』は、SRの会のランキングでは評論・周辺書部門の第三位、獲得点数の平均点は六・九〇点だが、『乱歩文献データブック』は八・八〇点という高い平均点を得ているのである。
 その『乱歩文献データブック』がなぜノミネートもされぬのか。
 これは奇怪な事態である。
 ついでだから、「SRマンスリー」三月号から本多良隆さんとおっしゃる会員のコメントを引用されていただこう。
 「昨年のベスト1は『乱歩文献データブック』でしょう。そして今年のベスト1は『世界ミステリ作家辞典』となるのは間違いないでしょう。評論・周辺書の方が小説より上になるようでは困りものですが、これらは編者の熱意や愛情が作家達を上回っている、と解釈すべきでしょうね」
 ここまで評価してくださる人もある『乱歩文献データブック』だ。
 それが候補作にも挙げられぬというのは、いかにも奇ッ怪至極な話ではないか。
 私はこの賞の運営に重大な疑義を抱き、日本推理作家協会に決然と退会届を叩きつけてやろうかとも考えたのだが、入会していないのだから退会できるわけがないと思いあたった。
 と書いてきて、私はさすがにあほらしくなった。
 ノミネートされなかったのなら口を拭って知らぬ顔をしていればいいものを、どうして私という人間はわざわざそんなことを公表し、狙っていた賞が取れませんでしたなどと恥をさらしてしまうのであろうか。
 私は自分のことを育ちのいいお坊ちゃんだと信じてきたのだが、もしかしたら底なしの馬鹿なのかもしれない。
 ともあれ、本連載の読者は先刻ご承知のとおり、私はなんだか妙な行きがかりで名張市立図書館の嘱託を拝命し、『乱歩文献データブック』の編集に携わったのであるが、どうせ乱歩の書誌を出すのなら日本推理作家協会賞を取るくらいのものにしないといかんなといったことは最初から考えていたのである。
 そして取ろうと決めたのである。
 これを烈々たる気概という。
 あるいは思いあがりという。
 換言すれば、底なしの馬鹿。

 図書館嘱託は茫然とする

 いつまで皮算用をつづけていても仕方あるまいが、ついでだからもう少しつづけると、私は最悪合わせ技一本でも構わないと考えていた。
 つまり、名張市立図書館は『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』を二年がかりで発行するのだから、データブックで賞を逸したとしても、次の年の執筆年譜でなんとか受賞できるのではないかと踏んでいた。
 これが甘かった。
 来年の受賞作品はおそらく、先ごろ刊行された森英俊さんの『世界ミステリ作家辞典』であろう。
 この史上最強のリファレンスブックの前には、データブックも執筆年譜もしょせん蟷螂の斧に過ぎぬ。
 合わせ技も通用せぬ。
 足許にも及ばぬ。
 したがって名張市立図書館の推理作家協会賞受賞は、今年が最初で最後のチャンスであったのだ。
 というところで、『江戸川乱歩執筆年譜』の話に入ろう。今回の本題はこの本であって、推理作家協会賞の話は枕に過ぎない。
 むろん実際に受賞に至れば枕がそのまま本題になるのだからと思ってぐずぐずしていたのだが、ここに予想外の結論が出てしまったのである。
 潔く本題に入ることにしよう。
 タイトルからただちに知れるとおり、これは江戸川乱歩がいつどこに何を書いたかを記載した書誌である。
 乱歩の全作品を小説と非小説とに分け、上下二段組みの上段に小説を、下段に非小説を、それぞれ発表順に、月ごとに上下を対応させながら記載してゆく。
 と書いただけではご理解いただきにくいかもしれないが、とにかくそうした本なのである。
 こうなると問題は、初出の確認である。
 結構骨の折れる作業である。
 たとえば長篇小説の場合であれば、乱歩作品が連載されたすべての雑誌に眼を通し、その号が何巻何号で、発行日はいつで、長篇小説のどの部分がその号に掲載されているかといったことを確認しなければならぬのである。
 付言すれば、この「どの部分」というのがとくに重要な点であって、『江戸川乱歩執筆年譜』の大きな特徴のひとつは、長篇連載の小見出しまで細かく記載しているところにある。
 だからたとえば「キング」の昭和五年十月号には「黄金仮面」のどこからどこまでが発表されたのか、本書を開けばたちどころに判るという寸法だ。
 とはいえ、こんなものをつくるのはほとんど狂気の沙汰である。
 いかに私が不撓不屈、百戦錬磨、一騎当千の古強者であるとはいえ、確認作業の膨大さを思うとさすがに茫然とせざるを得なかった。
 だが、そこは底なしのこととて、私はひるまぬ。
 困ったことに、こうした調査において図書館というところはあまりあてにならない。
 国立国会図書館といえども同断である。
 なぜならば、乱歩がホームグラウンドとしていた「キング」や「講談倶楽部」などの娯楽雑誌は図書館業界ではかなり冷遇されており、国立国会図書館にすら欠号が多い。
 例として、博文館が出していた「朝日」を挙げてみよう。
 乱歩はこの雑誌に、昭和六年一月から翌七年三月まで「盲獣」という作品を発表している。
 連載回数は十一回だが、そのうち国立国会図書館で小見出しまで確認できたのはわずか四回分だけであった。
 天下の国立国会図書館とて、さほど頼りにはならぬのである。
 さあて、困った。
 困ってしまった。
 困ってしまって、
 わんわんわわーん、わんわんわわん。
 戯れ言を申しておる場合ではない。
 しかし結局、「朝日」の調べはついた。
 コレクターや研究者の力を借り教示を乞い、あちこちの図書館に問い合わせてコピーサービスを依頼し、一方では東京に助手を雇って調査に奔走させ、ようやくのことで調べ終えた。
 付言すれば、この「東京に助手」というのがどうも大変なものであって、本来であれば私が東京に一か月ほど滞在し、ウィークリーマンションかビジネスホテルに泊まり込んで、きょうは国会図書館あすは近代文学館といった具合に足を運ばねばならぬのだが、それはできない相談である。
 市立図書館嘱託は私の本業ではないのだから、本業を抛って東京で一か月も暮らすことなど私にはできない。
 そんな窮状をある人に打ち明けると、
 「東京に助手をつくればいいんです」
 とアドバイスしてくれた。
 なるほどと思った私は、探偵小説と古書の勉強のために顔を出している大阪のさるミステリファンサークルの月例会で、しかるべき人材に心当たりはありませんかと持ちかけたところ、ある会員が「ぴったりの人がいます」と一人の青年を紹介してくれた。
 そこで私は、その東京在住のろくに仕事もないらしいミステリ関係のフリーライターを助手として任命したのであった。
 これを調べろあれを探してこいと厳しく命令したのはいいのだが、当然ながら日当を払わねばならぬ。
 この手の調査は思いのほか時間を食うものだから、日当も馬鹿にならない額になってしまった。
 ありていに打ち明ければ、私が図書館嘱託として月々いただいているお手当の四か月分に匹敵する額に達した。
 まったく馬鹿みたいな話である。
 いずれ市長か教育長あたりに請求書を送ってやろうかとも考えているのだが、これも獲らぬ狸の口であろう。

 図書館嘱託は啖呵を切る

 ところで私はいま、突然あることを思い出した。前回の最後に私は、
 「名張市立図書館がこの『江戸川乱歩リファレンスブック』のシリーズをたとえば五年間で五冊刊行したと考えてご覧なさい。乱歩記念館をひとつおっ建てるより、はるかに安上がりできわめて有意義な事業となることは明白であろう。明白ではあるのだが、というところで紙幅が尽きた。つづきは三か月後である」
 と記したのだが、このつづきを書かねばならぬのだということを、さきほど記した「教育長」という言葉が私に思い出させたのである。さっそく書き継ぐことにする。
 明白ではあるのだが──それは実現不能になった。経緯はこうである。
 昨年一月のことであった。ちょうど『乱歩文献データブック』の編集が詰めを迎えていた時期で、私は正月休みもなしに作業に没頭していた。
 ある日、私は館長から呼ばれて、週に一日でいいから図書館に終日詰めてくれないかと依頼された。私は市立図書館で机をひとつ与えられているものの、とても落ち着いて仕事のできる環境ではない。早朝や深夜に机に向かうことも多いから、データブックの編集はすべて自宅で行っていた。嘱託になった当座はまず図書館が所蔵している乱歩関連図書のビブリオグラフィをつくるべく(実際、そんな基本的な目録もできていなかったのである)、足繁く図書館に通ってデータを取っていたのだが、それもデータブックの予算がつくまでの話である。自宅勤務は、むろん図書館から了解を得ている。
 「どうしてですか」と私は尋ねた。
 「それがあの、いつ図書館に行ってもいやへんやないかと」
 「私がですか」
 「はい。そういうふうにゆうてくる人がありますねて。週に一日だけでも図書館に詰めてもらえませんやろか」
 「どなたですか」
 「え」
 「ですから、そういうくだらん難癖をつけてくるのはどこのあほですか」
 「それがその、あっちからもこっちからもいわれてますねて」
 「なるほど。それでしたらそのなかで一番地位の高い人間の名前を教えてください」
 「どうされますの」
 「いちばん上の人間を叩いたったら、あとの木っ端はすぐ黙ります」
 「いえ、それは」
 話し合いは不首尾に終わった。私は肯んじなかったし、そもそも怒り心頭に発していた。まったく、いったいどこの阿呆がこうした腰も抜けんばかりないちゃもんをつけてくるのか。可能性が高いのは市立図書館を管轄する名張市教育委員会の、それも管理職と呼ばれる薹の立った手合いであろう。
 よし。それなら教育委員会のトップである教育長と話をつけてやろう。
 そう決意して面談を申し込んだところ、いま忙しいからと相手にされなかった経緯は前回記したとおりだ。と書いているうちに改めて腹が立ってきたから、ここで啖呵を切ってしまおう。
 こら、教育委員会の腐れ管理職。これがおまえらのいう教育の正体か。本質を見極めようとはまったくせずに枝葉末節ばかりにかかずらい、うわべだけで人を判断したあげく匿名性を盾に人を批判する。それがおまえらの教育か。おまえらごとき品性下劣な連中の教育、いやさ管理を受けざるを得ない人間の不幸を考えたことが一度でもあるのかこら、教育委員会の腐れ管理職。いかれたガキどもに学校でナイフを振り回させているのは自分たちかもしれぬということに一度も思い至ったことはないのかこらこの腐れ管理職ども。
 しかし、名張市教育委員会の管理職というのは私の勝手な憶断であって、これはあるいは濡れ衣かもしれぬ。だから名張市職員全体に範囲を広げよう。
 読者よ、語るに落ちるとはまさしくこのことであろう。誰かは知らぬ。しかし確実に複数存在する名張市職員が所用あって市立図書館に赴いたところ、嘱託である私の姿が見えなかったというのだ。だから彼らは図書館長に、あいつはさぼってばかりいるではないか、まじめに働かせろと申し入れた。まさに彼らは語るに落ちたのである。
 すなわち、公務員の仕事というのは要するに役所に顔を出すことであって、朝から夕方まで机に坐って仕事をしているように見えさえすれば人生は平穏に過ぎてゆくのであると、彼らは問うに落ちずして語るに落ちたのである。
 お役人というのはまあ、どうして自身の無能力と怠慢を基準にしてしか他人を評価できぬのであろう。そしてお役所というのは、なんといじましいムラ社会であることだろう。あほくさ、もう降りたろ、と私は思った。しかし、『江戸川乱歩執筆年譜』だけはきっちり仕上げんといかんな、とも。
 さてその『江戸川乱歩執筆年譜』である。刊行が遅れてしまった。これひとえに私の不徳の致すところである。昨年十二月には小説は三校、非小説は初校と順調に進んでいたのだが、ふたつの理由によって作業が停滞した。
 ひとつは、昨年十二月に乱歩自筆の詳細な「作品メモ」を入手したせいで、これに照らして全体を見直し、メモの内容を執筆年譜に盛り込む必要が出てきたのである。もうひとつは、まだコレクター、古書肆、研究者への問い合わせが一部未回答で、「しばらく時間をくれ」とおっしゃる方が少なからずある。私はじりじりしながら回答を待っているのだ。
 というわけで市役所の出納閉鎖に間に合うかどうかが危ぶまれ、私はじつに進退窮まっているのだが、最悪の場合には腹かっさばいても武士の一分、などとまたこの底なしがこら。

(名張市立図書館嘱託)

掲載2000年2月11日
初出「四季どんぶらこ」第7号(1998年6月1日発行)