第六回
お役所漫才事始め

 市民病院の傲慢

 いつかも記したとおり私は漫才師の人生幸朗をただ一人の師と仰いでいる人間である。したがってこの連載も読むボヤキ漫才とでもいったジャンルの文章として綴っている。だが前回を読み返してみたところ、芸風はむしろ横山やすしのそれに似る。いずれ泥酔して帰宅した深夜何者かに襲撃され、不自由な身を養いながら短い晩年を過ごさねばならぬ運命が待っているのかもしれないが、致し方あるまい。芸に殉ずるのは芸人の本懐である。
 さて話は変わるが、昨今うちつづく公務員の不祥事はいったいどうしたことであろう。遠方にお住まいの方はご存じないだろうが、名張市や上野市でも公務に携わる人間の醜聞がたてつづけに発覚しているのである。
 なかには逮捕者が出るに至った事件まである。上野市の総合市民病院の院長が収賄の廉でお縄になったのだ。私は新聞報道でしか事件の内容を知らぬのだが、それを総合するとどうもこの病院、院長のみならず病院全体が出入り業者にたかるのを当然のことだと考えていたようにも推察される。
 私には思いあたる節もあるのだ。
 少し前、といってもまだ名張市に市立病院が開かれる以前の話だが、私の母が庭で転倒して腰から太股のあたりを痛打した。一晩たっても痛みが引かぬので開業医に診てもらうと大腿骨を骨折しているという。うちでは手術できませんからここへ行ってくださいと指定されたのが、ほかならぬ悪の温床にして収賄の牙城、天下の上野総合市民病院なのであった。
 手術は曜日が決まっていて、その日が来るまで患者は入院して待機していなければならない。ある日の夕刻、私が病室に顔を出すと、母に付き添っていた妻が病院からの伝言を伝えた。手術前に担当医から家族に話しておくことがある、ついてはあすのお昼ごろ病院へ来るようにというのだ。
 「お昼ごろって何時ごろやねん」
 私がこう口にすると、ほかの患者の世話をしていた中年の看護婦がいきなりこちらに向き直り、
 「十一時から待っててください」
 と権高にいい放った。この看護婦が担当医の勤務日程を把握しているとはとうてい思えない。にもかかわらずぬけぬけと時刻を指定するそのしゃっ面がエェ気に喰わぬわッ、と私は思い、ナースステーションに直行した。
 私は紺色のカーディガンを羽織った看護婦長を呼び出し、もう少し時間を限定してくれぬかと依頼した。医師が多忙なのは判るが当方とて暇を持て余している身ではない。だいたいがあすの話ではないか。お昼ごろではなく何時ごろにと指定するのはそれほど難しいことでもないであろう。
 私がそのように伝えると婦長は追われた蠅のように視線をさまよわせ、それから手許の書類をせわしなく繰りつづけるふうであったが、やがて意を決したように私を振り仰ぐと、あしたの朝お宅にお電話します、といった。
 「あしたの朝って何時ごろやねん」
 と私は答えた。
 というただこれだけの話なのだが、私はこのとき、患者や家族の都合を考慮することなく自分たちの都合を一方的に押しつけて省みないこの病院の体質をはっきりと認識した。そしてこの人を人とも思わぬ体質こそが出入り業者に平然とたかる破廉恥を可能にしてきたのだ。
 ところで私は、上野市民はいったい何をしていたのかとも思わざるを得ない。私以前にもお昼ごろなどという曖昧な時刻指定で呼び出された市民はいくらでもいるだろう。その時刻指定はこちらから問い質せばいくらでも明確に限定できるものであるにもかかわらず、患者や家族などいくらでも待たせておけばいいではないかという病院側の傲慢によって曖昧にされているだけの話なのだということは、先に記した一看護婦の不誠実きわまりない対応からも容易に推測できる。
 お昼ごろ来いといわれた上野市民が私のように問い質すことをつづけていれば、いくら上野総合市民病院の医者や看護婦だとてまったくの馬鹿というわけでもあるまいし幾分かの情理は弁えてもいようから、人を呼びつけるにあたってはもう少し明確な時刻を示すべきだという当然すぎるほど当然のことに遅ればせながらも思いあたったにちがいないのだ。事態はとうに改善されていたはずなのである。
 もっとも、上野というのは旧弊で封建的な精神風土を色濃く残存させた城下町だから、公立病院の医師がいまだに偉そうに構えるのを当然のことと受けとめる旧時代の気風が引き継がれているのかもしれない。
 しかしいまや世間では町医者だって結構サバイバルなのであって、鯖は威張っても医者は威張れぬ。患者や家族の立場に立ったサービスに努めなければ医者だって生き残ってゆけない時代が到来しつつあるのである。
 だから私は、近い将来、客寄せの手段として若い美人看護婦をずらりと取り揃えたノーパン歯科だのランジェリー内科だのトップレス泌尿器科だのといった病院が陸続と登場してくるのではないかと心ひそかに期待しているのだが、読者はどうお考えであろうか。
 で、私が結局何をいいたいのかというと、お役所ないしはお役人の感覚が世間一般の常識からここまでずれまくってしまって、果たしてこれでいいのだろうかということなのである。

 市役所の非常識

「お役所は完全におかしいんです」
「何やねん藪から棒に」
「そらもうお役所のシステムゆうのんがどだいおかしい」
「おかしいのはお役所だけやないやろ。政治システム経済システム教育システム、日本中のシステムゆうシステムがみんなガタ来とる時代や」
「そこなんです、お役所がおかしいのは」
「何がやねん」
「いま名張市役所へ行って、公務員の人つかまえて日本の金融システムを信用してますかて尋ねたら、信用してますと答える人間はまずおらんやろ」
「そらまあね」
「ゆうても銀行の話ですよ。銀行ゆうたら君、そこらのおばはんの息子を勤めさせたいとこベストスリーに入っとったとこやで、つい最近まで」
「銀行に就職が決まりましたゆうたら、そらええとこ入りましたなぐらいの挨拶はしますからね」
「市役所に就職が決まりましたゆうてみ」
「なんていわれる」
「そらよろしなあ、楽できて」
「いや公務員の人かて汗かいてちゃんと働いたはるがな」
「せやからその公務員がおかしいゆう話やねん」
「なんでやねんな」
「銀行を信用してへんような人間がなんであれだけ全面的にお役所を信用できるねん」
「信用せな仕事やっていかれへんやないか」
「ですからね、日本中のあらゆるシステムにガタが来てる時代に自分とこのシステムだけは絶対大丈夫や、これでええんやと思てる。それが公務員のおかしなとこなんです」
「君の理屈のほうがよっぽどおかしいんとちゃうか」
「でもみなさん、日本のシステムはもともとものすご優秀やったんです」
「日本型システムゆうやつですな」
「このシステムがですね、明治以降の近代化とか戦後の経済成長とかではごっつい力を発揮したわけですわ」
「しかしいまや、そのシステムにガタが来てると」
「そもそもシステムゆうものには必ず目的がある」
「みんなでいっしょけんめ働いて経済大国になろうとかね」
「ところがいまの日本、国民がひとつになって目指せるような目標がどこかにありますか」
「ありませんな、はっきりゆうて」
「せいぜいまあ、二〇〇二年のワールドカップで一勝をめざそうみたいなとこですわ」
「えらいせこい目標やな」
「国民が一丸になれるような目的がなくなったらどうなるかというと、日本社会を支えてきたシステム自体がぐらつきだすわけです」
「何を目標にしてええのかわからんわけですからね」
「しかもシステムは連動してます」
「というと」
「一番大枠の国家的規模のシステムのなかに企業やら団体やら何やらかんやら無数のシステムがひしめいてる」
「なるほど」
「大枠にガタが来たらそのなかのシステムにも必ずガタが波及します」
「せやから一般企業なんか、リストラがどうのこうのゆうてシステムの改革に必死ですからね」
「ところがお役所だけは平気な顔をしてます」
「行政改革とか地方分権とかいろいろやってるがな」
「そらたしかに掛け声だけはある」
「掛け声だけか」
「あの火達磨になっても行革やりますゆうて大見得切ったおっさん、あらいったい何したゆうねん」
「六つの改革とかいろいろやらはったやないか」
「それがなんぼのもんやねん。あんなん行革で火達磨にならんと参院選で火達磨になっただけの話やないか」
「それはそうかもしらんけど、それが君に何の関係があるゆうねん」
「君、こう見えても僕はある種お役所の人間なんやで」
「そらまあ、君は名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託ですから」
「図書館行ってみ、みんな僕のことセンセて呼びよる」
「えらいもんですな」
「ちょっとセンセ、岩井さんとこの販売機で缶コーヒ二本買うてきて」
「ただのパシリやないか」
「冷えたコーヒやで。こないだみたいに熱いの買うて帰ったらまた叱られるさけ、気ィつけなあかんでセンセ」
「情けないセンセやな」
「これはまあ冗談ですけど」
「いらんこといわんでええねん」
「そのお役所の人間でもある僕の目から見て、やっぱりお役所はおかしいんです。非常識なんです」
「お役所の人から見たら君のほうがよっぽど非常識なんとちゃうか」
「そこやねん」
「どこやねん」
「お役所の常識は一般社会の非常識であるということを君は知らんか」
「たしかにそうゆう面はあるかもしれませんね」
「お役所の論理がいかに非常識で一般社会の間尺に合わんもんか、これはもう最近の裁判事例とか見てもまったく明白な事実なんです」
「裁判のことは知らんけど」
「あ、あかん」
「何がやねん」
「行数がなくなってもた。だいたい三か月にいっぺん六ページぽっち貰うて何が書けるゆうねん」
「それやったらわざわざ僕を引っ張り出して漫才やることないやないか」
「いやこれは文体実験。夢野久作でゆうたら阿呆陀羅経ですな。あーちゃかぽこちゃかぽこ」
「またわけのわからんことゆうてからに。いったい君は何がいいたいねん」
「要するに僕は、名張市役所を改革するために名張市長になるんです」

 市立病院の惨劇

 以上のごとき次第で、私は名張市長選挙への立候補を決意した。私は別にことごとしい公約を掲げようとは思わぬ。必要とあれば中学校を建設するくらいのことはするだろうが、私の最大の目標は市役所のシステムと市職員の意識をともに改革することにある。
 行政システムの改革はとくに公務員自身の反撥が大きいから容易ではないだろうが、いまの三重県知事が曲がりなりにも改革を進めつつあることから見て不可能ではないはずだ。そしてシステム以上に、私は公務員の意識の改革を断行したいのである。
 むろん私は公務員個々の資質や人格を批判しようというのではない。彼らが個人としては良き家庭人であり地域社会人であることは論を俟たない。問題は彼らがお役所のシステムに何の疑いも抱かず、それを平然と住民に押しつけて省みない点にある。ひとたび制服に身を包むやシステムの奴隷に変じて怪しまぬ点にある。
 だから私は市長として、つねにお役所が果たすべき仕事の本質に照らしながら職務に携わることを公務員諸君に要請する。職務のあらゆる局面において、前例や慣習にとらわれることなく自分で思考し判断をくだす姿勢を要請する。そのための知識と見識を身につけることを要請する。組織や集団に個を埋没させる日本型システムから脱皮し、自分たちは住民のために存在しているのだという事実を深く認識して、システムと住民とのあいだにおける一箇の個人の人間的な営為として職務をまっとうすることを要請する。カフカの言を擬いていえば、
 お役所と市民の闘いでは市民に支援せよ、
 これが公務員の本分なのだ。人間に対して誠実であるべき公務員が、しょせんは人間にサービスするための手段でしかないお役所のシステムのみに誠実に顔を向け、それに拝跪し同化してしまっている本末転倒を改めたい。これが私の願いである。
 読者はおそらく、私ごときが市長選挙に立候補したところで勝ち目はあるまいとお思いであろう。しかし私には義父という強い味方がある。
 私の義父、すなわち妻の父親は鈴木健一という男で、これが無類の選挙好きと来ている。といってもみずから出馬するのではなく、これと見込んだ候補者に支援を惜しまぬのである。
 義父が初めて選挙に携わったのは名張市が誕生する以前、名張町議会の選挙であった。これは時効だから実名をあげても差し支えないだろうが、伊賀焼の伝統を守る陶芸家としてご活躍中の中村昇氏が若き日に町議会議員選挙に立候補されたとき、参謀役を買って出たのがほかならぬ義父であった。
 結果は残念ながら落選だったが、義父の支援はこれにとどまらなかった。選挙と聞けば候補者を吟味し、眼鏡にかなう人物がいれば徹底的な支援を重ねた。義父が立派なのは見返りをまったくあてにしていない点で、きわめて純粋な支援なのである。
 もっとも、見返りを要求してもそれが果たされることはなかっただろう。なぜなら義父は支援したすべての選挙で連戦連敗、勝利の美酒を一度も味わったことのない男なのである。人を見る眼に問題があるのかもしれぬ。
 だから義父が私以外の候補者の支援に廻れば、私は楽に当選できるはずなのである。しかし義父のことだ。可愛い娘婿が市長選挙に出るとなれば、それこそ身を挺して私の力になろうとするだろう。それでは困る。疫病神を背負い込むようなものだ。義父には何としても私以外の候補者を支援し、落選に導いてもらわなければ困るのだ。
 昨年秋のことである。私はそれとなく意向を伝えるために義父の家を訪ねた。義母は大阪へ外出中とのことで、家には義父しかいなかった。
 私が市長選挙に立候補したい旨を仄めかすと、義父はかすれた声で笑いながらこういった。
 「相作君、気は確かか」
 私は虚を衝かれた。
 「たとえ選挙に出たところでやで、あんたみたいに偉そうなことばっかりゆうてわがまま放題してる酒飲みに票を入れてくれるような市民は、おそらく一人もいやんやろな。ま、子供と犬に選挙権があったら、ちょっとは票が集まるかしれやんけどの、あっは」
 私は逆上したが、義父が私を支援しないのは望むところなのだ。私は事態をより決定的にしておくべく、手近にあった新聞紙をくるくると丸めて、
 「そーかそーかようわかったわ。せーだい長生きさらさんかい」
 と罵りながら義父の頭を横殴りにして外に飛び出した。
 義父が倒れたのはその夜のことであった。知らせを受けて名張市立病院に駆けつけると脳出血だという。私は愕然とした。義父は血小板が十分の一に減少する原因不明の奇病にかかっていて、一度出血すると血液はなかなか凝固しない。もしも私の一撃が脳内の微細な血管を破ったのだとしたら、その血はいつまでも止まらずに……
 緊急手術を受けて義父は一命を取り留めたが、年末が来て年が明けても意識は清明にはならず、三月十一日の午後、不帰の客となった。
 そんな事情で、私は今年四月に行われた名張市長選挙への立候補を断念せざるを得なかったのである。四年後にはまた市長選挙が巡ってくるが、義父という得がたい秘密兵器を永遠に失ってしまった私は、市長選挙に出馬する機会もまた永遠に失ったのだというべきであろう。合掌。
 以上、「乱歩文献打明け話」とは縁のない話題で恐縮だが、親が死んだらそれをネタにするのが芸人の性だす、いとはん、これが芸人の弔いだす、といったことでご勘弁いただこう。
 ちなみに、義父は今年の市長選挙ではある新人候補を支援する予定だったらしく、家で倒れたときも周辺には後援会のパンフレットが散乱していたという。この候補は見事落選した。義父が天国から見守っていたのであろう。アーメン。

(名張市立図書館嘱託)

掲載2000年2月26日
初出「四季どんぶらこ」第8号(1998年9月1日発行)