伊賀の梟は夕暮になっても飛ばない
「聞きましたか、あの『梟の城』事件」
「なんですねんいったい」
「篠田正浩監督がSFXを駆使してつくりあげた邦画の大作ですけど」
「いま話題の忍者映画ですか、司馬遼太郎さん原作の」
「その試写会をめぐる悲惨きわまりない事件が『梟の城』事件なんです」
「もしかしたら上野と名張が試写会の争奪戦を演じたゆう話ですか」
「なにしろ伊賀忍者の映画ですから」
「赤目滝でロケもやってましたしね」
「地元にしたらこの映画を観光客誘致の起爆剤にしようぜッてなもんですわ」
「伊賀の人間が君、しようぜッみたいな歯切れのええ喋り方しますか」
「起爆剤にしまんにゃして」
「それでは何ひとつ爆発せんやろ」
「でもまあ不況のせいで観光業者も青息吐息ですからね、伊賀にとって恰好の話題ではあったわけです」
「『梟の城』ゆうお酒つくったとこもありましたな」
「青山町の重藤酒造ゆう酒屋さんです。あれはよろしおましたなあ」
「そうですか」
「お酒のラベルをデザインしたのが青山町の上田保隆先生ゆう絵描きさんで」
「なんや梟の絵ェばっかり描いたはる先生やそうですけど」
「このあいだその先生に偶然お会いしたんですけど、これプレゼントするわゆうて『梟の城』一本頂戴いたしまして。あれはほんまによろしおました」
「ただでお酒をもらえたのがよかったゆう話ですか」
「空き瓶でよかったら持って帰るか」
「空き瓶もろてどないせえゆうねん」
「お酒の話はまあええんですけど」
「試写会の話ですがな」
「試写会は結局名張で開かれまして」
「上野でも予定してたみたいですけど」
「名張に先を越されましたからね、んなもんあほくそてやってられるかゆうて上野の試写会は中止になりました」
「なんで中止せなあかんのか、ちょっと理解に苦しみますけどね」
「この事件は近来になく感動的で心温まる話題でしたね」
「なんでやねん。こんな狭い土地で先陣争いするのは見苦しいだけやないか」
「そうゆう見方も当然あるでしょう」
「こうゆう場合は伊賀全体で協力してことにあたるべきやと思いますけど」
「でもそれは伊賀の伝統を否定する立場に立った考えですね」
「伊賀の伝統といいますと」
「上野と名張の仲が悪いのはまさに伊賀の伝統なんです」
「それは悪しき伝統ですがな」
「しかし伝統は伝統ですから」
「たしかに上野と名張のあいだには江戸時代からいろいろありましたけどね」
「てゆうか、これは近世以前の伊賀惣国一揆にまでさかのぼりうる伝統なわけなんです」
「なんですねんまた難しそうな」
「戦国時代の伊賀地域ではですね、在地領主が全員団結してこの伊賀を支配していたわけです」
「その組織が伊賀惣国一揆ですか」
「一揆ゆうのは揆をひとつにするゆうことで、揆ゆうたら道のことですからね」
「団結してどないしますねん」
「他国の勢力が侵入してきたら団結して戦いに立ちあがるわけです」
「自衛のための戦いですな」
「集団的自衛権ゆうやつですね」
「そらちょっと意味合いが違うのとちゃいますか」
「ゆうたらまあ強姦されとる女がいたらみんなで助けたろやないかっちゅう話ですがな。がっはっは」
「こら。なんちゅうことぬかすねん。そんなもんこのあいだ防衛政務次官やめさせられたおっさんの科白やないか」
「まあ無茶苦茶なおっさんでしたけど」
「いくら漫才でもあんな程度の悪いおっさん引っ張り出すことないのちゃうか」
「けどなんや僕と芸風がかぶってるような気もしまして」
「なんちゅうどんならん芸風やねん」
「しかしあのおっさんの一件でいちばん可哀想やったんは誰やと思います」
「そらすべての女性に対してたいへん失礼ですし、被爆者の人かて神経を逆撫でにされたでしょうし」
「でもいちばん可哀想やったんはやっぱり大川興業でしょうね」
「なんでやねん」
「あのおっさんからあれだけのこと聞き出したんは大川興業の総裁ですよ。新聞かて聞き手は大川興業でしたくらいのことは書いたらなあかんがな」
「いったいなんの話をしとるねん」
「ですから伊賀惣国一揆の話です」
「けど君、それやったら伊賀の人間は昔から団結しとったわけやがな」
「なにしろ一揆ゆうくらいですからね」
「上野と名張の仲が悪いゆう話にはつながりませんやろ」
「何をゆうとるねん。団結するのは敵が来たときだけやないか」
「ふだんは仲が悪いんですか」
「ええか悪いか知りませんけど、普通やったら強力な戦国大名が登場して伊賀を統一してたはずですからね」
「そらそうでしょうね」
「それができずに小規模な領主がそこらじゅうにいたゆうことは、伊賀の人間は一本にまとまるのが嫌いやったと考えるべきやないかと」
「外から攻められたらひとつにまとまるけど、ふだんはとくに団結もしてないゆうことですか」
「せやから上野と名張がほんまに団結するのは久居から自衛隊が攻めてきたときだけでしょうね」
「なんでそないなるねん」
「しかし自衛隊にそれを望むのは憲法を改悪せんかぎり無理ですから」
「憲法変えてもあかんちゅうねん」
「結局これから先も上野と名張はこの狭い盆地のなかで蝸牛角上の争いをつづけていかなしゃあないわけですよ」
「狭い土地で反目したり牽制したりしてるような時代やないと思いますけど」
「けど実態はそうですからね。だいたいいま上野の人間がこの『梟の城』事件に関して名張のことをどないなふうに論評してるか、君わかりますか」
「なんてゆうてますねん」
「名張の人間のど汚さには愛想もこそも尽きてしまいまんにゃわ」
「もひとつ迫力に欠ける論評ですけど」
「陰でこそこそ動いといて横からさろていくゆうのは大学誘致のときと同じやり方でございまんにゃわ」
「いちいちにゃわにゃわゆわいでもええっちゅうねん」
「あれこわい」
「ええ加減にせえ」
「でもまあ最近、伊賀はひとつやみたいなことを口にする人間が増えてきてるわけですけど」
「伊賀がひとつにまとまるのはええことなんとちがいますか」
「伊賀の内部に異なった地域性ゆうもんが存在してるのは事実なんですから、それを頭から抑圧してひとつやひとつやと騒ぎ立てるのは危険なことなんです」
「それでもいまや市町村合併で伊賀市をつくろうかゆう時代ですよ」
「それですがな問題は」
「どないしました」
「つまり伊賀ゆうのは映画の上映会をどこが先にやるかゆうようなことでこれだけの事件が起きてしまう土地なんです」
「そんなたいした事件やないがな」
「それが君、伊賀市をつくるてか」
「その時期に来てるんやないかと思いますけど」
「僕もまあこの伊賀市の問題に関してはいずれ正式な批判を展開しようとは思てるわけですけど」
「君は反対ですか」
「反対とか賛成とかゆう以前に議論のレベルがあまりにも低すぎますからね」
「どうゆうことですねん」
「それを話し出すととても時間が足りませんからきょうはまあひとつだけゆうとくことにしますけど」
「何をいいますねんな」
「伊賀市をつくろうという提案の前提になっていて誰も疑問をもっていないひとつの問題についてです」
「といいますと」
「名前のことです」
「伊賀市ゆう名前ですか」
「そう」
「伊賀がひとつになるんやから伊賀市でええやないですか」
「みんなそないゆうわけですよ」
「どこに問題がありますねん」
「けど伊賀ゆう言葉はやっぱり印象が悪いですからね、伊賀市をつくるゆうのやったらまず名称のことから問題にしてもらわな困ると思いませんか」
「伊賀の印象は悪いんですか」
「君、伊賀ゆうたら何を連想します」
「そら忍者でしょうね」
「忍者ゆうたら諜報攪乱暗殺ゆうような汚い仕事のプロですよ」
「それはそうですけど」
「人に本心を見せないとか、人を平気で裏切るとか、血も涙もないとか」
「なんや陰気で馴染みがたい印象はありますわね、間違っても友だちにはなりたくないみたいな」
「だいたい伊賀ゆう言葉はG音が耳について響き自体も汚いですし」
「ぱっとしたイメージはないかもしれませんね」
「だいたい君、三重県庁へ行ってみ」
「どないしました」
「いまはもうそんなこともないかもしれませんけど、ある時期まで県庁職員のあいだでは」
「何がありましてん」
「伊賀から来とる人間に腹を割った話をしたらあかんで、ゆうようなことが公然と囁かれてたといいますからね」
「それだけ伊賀はイメージが悪うて信用されてないゆうことですか」
「ちょうど一年ほど前に東京から来てくれたお客さんとお酒を飲んだことがあるんですけどね、清風亭の二階の座敷で」
「鍛冶町の料亭ですな、座敷から名張川が見渡せる」
「たまたま隣に坐られたのが村山徳五郎さんとおっしゃる方でして」
「またご立派なお名前で」
「村山さんとは初対面やったわけですけど、何かのはずみで伊賀市がどうこうゆう話題になりまして」
「伊賀市はイメージ悪いゆう話になったわけですか」
「もしも伊賀市ができてしまった場合、自分は伊賀市から来ましたと自己紹介するだけで腹黒くて陰険で冷酷で計算高い人間やと思われそうで、僕はそれがつらいんですとお話ししたんです」
「なるほど」
「そしたら村山さん、しばらく僕の顔をじっと眺めはってからに」
「なんとおっしゃいました」
「あなたほんとにそんな感じですね」
「なんやねんそれは」
「うぬッ、見破られたかッ、てなもんですがな」
「君はこてこての伊賀人イメージやゆうことやがな」
「僕もう思わず忍法木の葉隠れでその場から姿を消しまして」
「伊賀の影丸やないねんから」
「名張川を水蜘蛛で渡って鍛冶町から瀬古口に避難しましたけど」
「そんなことどうでもええねん」
「とにかく大変なんです」
「君がしょうもないことにこだわってるだけの話やないか」
「しかしまあ伊賀がどうこうとか伊賀市がどうこうゆうて議論するのであれば、やっぱりそれなりの知識とか見識とかが必要になるわけですから」
「君の話のどこに知識とか見識があるゆうねん」
「伊賀のみなさんもいつまでも不勉強ではいられませんね」
「勉強くらいちゃんとしたはるがな」
「いまさら勉強したかて手遅れです」
「もうええっちゅうねん」
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