豊島区 vs 名張市
「まあえらいことですね」
「何がですか」
「戦争ですわ戦争」
「いったいなんの話ですねん」
「せやから東京の豊島区と名張市がいよいよ全面戦争に突入すると」
「豊島区ゆうたら君、今回もまた乱歩記念館の話ですか」
「もちろんそうです」
「しつこい男ですな君も」
「じつは僕、六月に東京へ出張してきまして」
「またあれですか、出張代が出えへんかったから自腹切って行ってきたゆうようなぼやきをかますわけですか」
「いや、出張代は出ました。名張市民の血税の一部で出張さしてもらいました」
「ほなそれでええやないですか」
「けどそうなると市民のみなさんにご報告申しあげなあかんやろ思いまして」
「いちいちそこまでせんでもええのと違いますか」
「こうゆうことはきっちりやっとかんと僕の気が済みません」
「君また妙に癇症病みですからね」
「六月の九日、低気圧が本州上空を西から東へ移動している日のことでした」
「低気圧はどうでもええがな」
「けど傘もっていこか持っていかんとこか、朝からえらい迷いましたから」
「傘のことはええねん」
「朝八時半に近鉄名張駅を出発する特急で名古屋を目指したわけですけど」
「そうゆうごちゃごちゃしたことは省略して、要点だけを喋れませんか」
「東京ではまず平井隆太郎先生のお宅にお邪魔いたしまして」
「乱歩の息子さんですな」
「ご挨拶やらご機嫌伺いやら世間話、いろいろお話をいたしました」
「乱歩記念館のことも話題に出たわけですか」
「それが君、乱歩記念館に関してはどうも要領を得ない感じなんです」
「どうゆうことですねん」
「それは喋れません」
「それでは市民への報告にならんがな」
「しかし僕にも個人のプライバシーに関する守秘義務がありますから」
「そらまあ平井先生のプライバシーにかかわる問題ですからね」
「しかしこれだけは断言できます」
「何を断言します」
「豊島区と名張市の戦争が始まります」
「なんでそないなるねん」
「ええですか君」
「なんですねん」
「名張市が乱歩記念館つくるゆうてぶちあげたのは三十年も前のことですよ」
「そうらしいですな」
「豊島区がぶちあげたんはつい去年の話やないか」
「そらまあね」
「乱歩記念館構想では三十年のキャリアを誇る名張市がやで」
「そうゆうのは普通キャリアとは呼ばんやろ」
「豊島区みたいな新参の駆け出しのぽっと出になんで道を譲らなあかんねん」
「けど豊島区はちゃんと平井隆太郎先生と話し合いを進めてはるわけやから」
「せやから戦争やゆうんですよ」
「なんで戦争をせなあかんねん」
「まともに行ったかて名張市にはまったく勝ち目がないからやないか」
「それやったら名張市はおとなしい引っ込んどいたらどうなんですか」
「君、前回僕が教えたったことをもう忘れたんですか」
「何でしたかいな」
「名張市の三月議会でですね、乱歩記念館に関しては『名張市としては、遺品の取り合いなどを考えず、乱歩生誕地として東京側とは違った方法での乱歩顕彰策を考えたい』ゆうて名張市が答弁してるわけです」
「なるほど」
「名張市はええだけ引っ込んどるわけです。情けない話やがな実際」
「けど勝ち目なかったら仕方ないやないですか」
「君、僕が何のために出張したと思う」
「平井先生のお宅と豊島区役所に行くためとちゃうんかいな」
「それは表向き」
「裏に何がありましてん」
「ゆうても僕は名張の人間ですよ。伊賀者の血を受け継いだ忍びの子孫ですよ」
「それがどないしました」
「情報収集は忍びの者に任せなさい」
「そしたらあれですか、乱歩記念館の情報をいろいろ収集して回ったと」
「表向きの情報収集だけではほんまのことは判りませんからね」
「そらそうでしょうね」
「ですから日帰りの出張代しか出てなかったわけなんですけど、そこはもう自腹切って私費で東京に二泊してあっちこっち飛び回ったわけです」
「また自腹を切る話かいな」
「いろいろな方にお会いしていろいろなことをお聞きしまして」
「いろいろだけでは判らんがな」
「たとえば豊島区の乱歩記念館構想に深くかかわっている古本屋のご主人からお話をお聞きしてきましたし」
「ほう」
「売り出し中のミステリー研究家の方にお会いして今後のご協力をお願いしてきましたし」
「なるほど」
「乱歩がデビューした『新青年』ゆう雑誌を研究してる会の人たちと目一杯お酒も飲んできましたし」
「お酒はええがな」
「それでえらい二日酔いになって帰ってきたんですけど」
「何をしとるねん」
「まあ二日酔いのことはええんです。ほぼ毎日のことですから」
「そんな話はどうでもええがな」
「問題は戦争の話です」
「つまり君が情報収集をした結果、戦争に持ち込んだら名張市は豊島区に勝てるゆうことが判ったわけですか」
「豊島区の弱点が判明したんです」
「弱点といいますと」
「端的にいうとお金です」
「財源の問題ですか」
「そう。豊島区にはお金がないんです」
「そらまあそうかもしれませんけど」
「せやから名張市が軍資金はりこんだらこの戦争には絶対勝てます」
「しかしそれはほんまに信頼の置ける情報なんですか」
「そらもう間違いなしですね」
「ほんまかいな」
「じつは七月の二十七日に、豊島区教育委員会の学芸員お二人が名張市立図書館へ調査に来てくれたんですけど」
「乱歩記念館のことでですか」
「ゆうたら先進地の調査ですね」
「豊島区は今年度予算に調査費を計上したゆうてましたからね」
「その日の夜は学芸員の方と僕と三人、清風亭の宴会で盛りあがりまして」
「またお酒ですか」
「なにしろ相手は東京の人ですからね」
「なんやねん」
「清風亭で出る大阪風の鰻が珍しい」
「東京の鰻と違うんですか」
「東京で鰻の蒲焼きゆうたらいっぺん蒸してから焼くわけです」
「このへんでは蒸しませんわね」
「食文化の違いゆうんですか」
「東と西ではやっぱり違いますからね」
「あのまむしゆうのがありますけど」
「いや君、まむしはええがな」
「そうですか」
「問題は戦争の話です」
「そうそうそれです」
「豊島区の話はどこ行ったんですか」
「つまり豊島区教育委員会の学芸員の方がですね、豊島区は財政難で困ってますねんゆうてはりましたから、これは絶対確実な話やと思てもろて結構なんです」
「それやったら君の東京出張はまったく関係がないやないか」
「そないなりますかね」
「東京で何の情報を集めたゆうねん」
「しいていえば飲み屋の情報ですか」
「戦争の話はどないなるねん」
「ですから豊島区にはお金がないわけやからね、名張市がどーんと税金はりこんで豊島区との戦争に持ち込むわけです」
「どんな戦争ですか」
「名張市が池袋の乱歩邸を乱歩記念館として整備します。まあ楽勝ですわね」
「しかし君、いまの名張市にそんなお金があると思てるのか」
「さあどうでしょうか」
「病院をつくり大学を誘致し、いままた斎場を建設しようという名張市ですよ」
「お金のかかることばっかりですな」
「その名張市にこのうえ乱歩記念館をつくるお金があると思うか君」
「判りました。君、しばらくお待ちを」
「どないするねん」
「ちょっとあっちこっち情報収集に」
「もうええっちゅうねん」
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