市町村合併はどうなる
「実際どないなってるんですかね」
「何がですか」
「この漫才のことですけどね」
「どないしました」
「前回の漫才で最近の市町村合併論議があまりにもあほらしいゆう話をしたわけですけど」
「伊賀市の問題ですな」
「ほんまにあの『伊賀市を考える議員の会』たらゆうのはいったい何を考えとるねんちゅう話ですわ」
「君また例によってえらいぼやいてましたけど」
「せやからこの前の漫才でもゆうといたんですけど」
「何をゆうてましたかいな」
「あの漫才が載った『どんぶらこ』をあの会に送りつけてですよ」
「どないしますねん」
「文句があったらなんぼでもかかってこんかいと」
「喧嘩売ったらあきませんがな」
「しかしこれはたいへん重要な問題ですからね、あの会の会長さんのもとに『どんぶらこ』を一部お送りいたしまして」
「ほんまに送ったんですか」
「はいな」
「はいなはええけど君、会長さんから怒られたんと違いますか」
「それが君、まったく音沙汰がないんです」
「無視されたゆうことですか」
「そないなりますやろね」
「けどそれは当然の話でしょうね」
「なんでですか」
「君みたいな人間をいちいち相手にしてくれる人はなかなかいませんやろ」
「しかしこれは一人の地域住民の真摯な声なんですから」
「真摯な住民がなんでこんなあほみたいな漫才やらなあかんねん」
「解りました」
「何が解りました」
「あほみたいな漫才やなかったらええわけですな」
「どないするゆうんですか」
「きょうの漫才、真摯そのものの漫才にしてみたろやないですか」
「いったいどんな漫才やねん」
「笑えるとこがいっこもない漫才」
「そんなしょうもない漫才やったかて意味ないがな」
「けど僕が真摯な人間であり、市町村合併を真摯に考えているのであるゆうことを解ってもらわなあきませんから」
「解ってもらえるとは思えませんけど」
「解ってもらうために説明しますと、これは要するに地域社会の問題なんです」
「全国各地で市町村合併を進めるゆう話ですからね」
「そこで君に聞きますけど、君には地域社会の問題がどの程度呑み込めてる」
「どの程度と訊かれても返事に困りますけど」
「君だけやない、たとえば市町村議会議員で組織する『伊賀市を考える議員の会』の会員、あるいは伊賀地域七市町村の市町村長、市町村職員、市町村住民」
「結局みんなやないですか」
「市町村合併は地域社会住民全員の問題ですからね」
「それで何がいいたいんですか」
「現在ただいま日本の地域社会はどんな状況に置かれてるのか、まずそれを確認せなあかんゆうことですね」
「といいますと」
「民俗学者の宮本常一が説くところをご紹介しましょう」
「なんや難しそうな話ですけど」
「宮本常一はこないゆうてます。
私は地域社会に住む人たちがほんとうの自主性を回復し、自信を持って生きてゆくような社会を作ってもらいたいと念願してきた。地域社会の中にそういう芽を見つけたい、その芽が伸び育ってほしいと思った。日本の地方自治体が中央政府に大きく依存せざるを得なくなったのはシャウプによる税制改革案がとりあげられて実施されるようになった昭和二十六年頃であった。税収の中のもっとも大きい所得税を政府が掌握してこれを地域社会に配分するようになると地方自治体の責任者たちはその配分の多いことを求めて、眼が中央を向かざるを得なくなる。いま一つ地方自治体は住民税・固定資産税・事業税などによって運営されているが、税収をふやそうとすれば、大企業を誘致して固定資産税を取りたてることが一番安易な方法になる。しかし企業の経営主体は多く東京・大阪などの大都市にあって地生えの資本であるものは少ない。そのことが、地域社会に対して配慮の少ない経営をとることになる」
「そうゆうもんですかね」
「まだつづきます。
乱開発といい、公害たれ流しといったような現象がいたるところに見られ、地域社会はかつての植民地そっくりの有り様になり、地方自治体は大企業の利潤のおこぼれで運営される部分が大きくなっていった。それが地域社会住民の自主性を失わせていった大きな原因の一つになるのではないかと思った。それを地域住民の自覚と実践力を主体にした振興対策がとられないであろうかと思った」
「聞いとったら地域社会はなんやもうぼろぼろですがな」
「そうなんです。宮本常一は戦後このかたとくに強められた中央集権の弊害をつとに指摘してたんですけど、とどのつまりは中央政府と大企業が寄ってたかって地域社会をぼろぼろにしてしもたゆうわけですね」
「そのせいで地域社会住民の自主性が失われたと」
「いまのは昭和五十三年に出た『民俗学の旅』ゆう宮本常一の自伝にある文章なんですけど」
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