第十六回
月光仮面は誰でしょう
 侠気と書いておとこぎと読む

「しかしここまでしつこい不況もちょっと珍しいのとちがいますか」
「どこ見たかて景気のええ話はいっこもありませんからね」
「暗い話題ばっかりで」
「陰惨な事件も多いですし」
「名張の町でも連続放火事件は発生するわ夜中に自動車のフロントガラス割って歩くあほは出てくるわ」
「まあ重大事件ではなかったですけど」
「景気が悪いせいで世の中おかしなってしもた感じですね」
「不況が人の心を鬱屈させてるゆうことはあるかもしれません」
「そうこうゆうてるうちに二十一世紀が始まりまして」
「新世紀がスタートいたしました」
「けど僕の経験からいいますと」
「なんですねん」
「こんな不景気な二十一世紀は史上初とゆうても過言ではないでしょう」
「いやそもそも二十一世紀そのものが史上初なわけなんですから」
「けどもうちょっと景気のええ始まり方をしてもよかったように思いますけど」
「巡り合わせやから仕方ないがな」
「血も涙もないゆう感じがしますね」
「二十一世紀に血や涙があってどないするねん」
「この不況の影響をもろに受けまして」
「なんの話ですか」
「これは前回お話しするのを忘れてたテーマでして」
「なんやそんなことゆうてましたな」
「つまり二十世紀と二十一世紀をまたにかけた壮大な話題になるわけですけど」
「いったい何がいいたいんですか」
「東京都豊島区が打ち出した乱歩記念館の整備構想がぽしゃってしまいました」
「どこが壮大な話題やねん」
「話だけは大きかったんですけどね」
「豊島区が池袋の乱歩邸を乱歩記念館にするゆうあの話ね」
「きれいに流れてしまいました」
「やっぱり不況のせいですか」
「財政難ゆうやつですな」
「けど豊島区かて財政難ゆうことは最初からわかっとったんとちがいますか」
「予想以上にお金がかかることがわかったんでしょうね」
「いくらかかりますねん」
「まあ十億はくだるまいと」
「十億ゆうたら大金です」
「しかし君、名張市の斎場建設事業には二十五億もかかるゆう話ですよ」
「名張市の話は関係ないがな」
「半分がた豊島区に回したったらどうなんですかね」
「名張市の斎場はどないするねん」
「それが焦点になるでしょうね」
「焦点もくそもないやないか」
「斎場の予算が半分になったさかいゆうて火葬場から仏さん半分生焼けのままで出してこられても困りますし」
「そうゆう問題やないがな」
「火葬場行って焼き方はレアでええさかいゆうて頼んでるようなやつもあんまり見かけませんしね」
「そんなやつはおらんゆうねん」
「しっかり焼いてもらわんとこっちが迷惑するっちゅう話やないかッ」
「君、誰の立場でものゆうてるねん」
「それで豊島区の話なんですけど」
「さっさと話を進めんかいな」
「乱歩記念館整備のための調査費を平成十二年度予算に計上いたしまして」
「まず調査をせなあきませんからね」
「豊島区の学芸員の方は名張市へも調査に来てくれはったんですけど」
「そうやったらしいですね」
「いろいろと調査を進めた結果こらあかんとなったわけです」
「残念なことですな」
「一月三十一日になって毎日新聞東京版の夕刊にその記事が出ましてね」
「豊島区が断念したゆうことが発表されたわけですか」
「ちょっと記事を読みますと──
 区側も積極的に検討を進めたが(1)建物が古く、土蔵には防火・耐火構造がないなど、現状では防災面で一般公開できない(2)いったん解体して再現し、併せて資料収蔵庫など博物館的諸設備を整備すると少なくとも10億円の出費が必要──などが分かった。高野之夫区長の強い意向により経費を抑えて実現する方策を検討してきたが、「現在の区の財政状況では対応できない」と判断した
「十億円はきついですからね」
「豊島区の定例区議会でも区長から正式にこのことが発表されまして」
「区民に報告する義務がありますから」
「二月十七日には朝日新聞の東京版にその記事が出ました」
「どない書いてありました」
「豊島区は二〇〇〇年度に、約百万円の予算を計上して整備に向けた調査を実施。だが、「現在地に整備するには用地取得や建設費などで多額な資金が必要」という結論に達した。不況による税収の落ち込みで三年連続のマイナスとなった新年度予算での取り組みを見送ることになった」
「どこの地方自治体も税収の落ち込みには苦労してますからね」
「それからまた中日新聞では二月二十一日の夕刊に記事が出まして」
「結構話題になってますねんな」
「この見出しがまたすごい」
「どんな見出しですねん」
「乱歩の土蔵危うし」
「危うしですか」
「なんやいまにも月光仮面が助けにきてくれそうな感じなんですけど」
「なんでそんな古くさいヒーローの名前が出てくるねん」
「実際には誰も助けてくれないんです」
「当たり前やないか」
「しかし中日の記事によるとほんまに乱歩の土蔵が危ないみたいなんです」
「なんて書いてありますねん」
「しかし、築80年近い土蔵は、傷みが激しく、壁のしっくいはところどころはがれ落ちている。隆太郎さんは「何度かお金をかけて修理していますが、すぐに壊れてしまう。個人の力で保存するのは難しい」と嘆く。
 豊島区に対し「乱歩の資料を建物ごと寄付するから永久保存してほしい」と持ち掛けたが「一般公開できるよう耐火構造にして造り替えると、10億円以上かかる。厳しい財政下では無理」と判断されてしまった。隆太郎さんは「別の方策を見つけたい」と話す。
 作家の荒俣宏さんが「乱歩の大脳であり、知の常温実験室」と評した土蔵。その運命やいかに」
「ほんまに乱歩の土蔵危うし、ゆう話やないですか」
「月光仮面はいまいずこ、みたいな話でもありますけどね」
「月光仮面はもうええゆうねん」
「いや君、これはいったい誰が月光仮面になるのかゆう話なんです」
「どうゆうことですねん」
「つまり乱歩の土蔵と蔵書は永久に現状のままで保存されるべきものなんです」
「それだけの価値があるわけですな」
「ところが遺族の力だけではとても不可能なんです」
「それはそうでしょうね」
「あの土蔵を遺族が代々受け継いでいくとしたら相続税だけでも莫大ですから」
「土地だけでもすごい額ですやろね」
「たとえば詩人の滝口修造が死んだときもですよ」
「なんの話ですねん」
「世界の錚々たるシュールリアリストから友情の証として贈られた芸術作品が家のなかにごろごろしとったわけです」
「それがどないしました」
「すべて資産と見なされて奥さんが眼ェむくほどの相続税がかかったらしい」
「なるほど」
「それからまた評論家の植草甚一が死んだときも」
「相続税が問題になりましたか」
「ですから植草甚一のレコードコレクションをタモリが一括購入してですね、コレクションの散逸を防ぐとともに相続税の一部にしてくださいと」
「ええ話やないですか」
「つまりタモリが男気を見せたゆうエピソードですけどね」
「あの人あんまり男気があるようには見えませんけど」
「結局まあ男の値打ちは男気で決まるわけですから」
「そんなことゆうとったら君、またそこらのフェミニストの人から怒られるのとちがいますか」
「なんでやねん。男が男気を見せんでいったい何を見せるゆうねん」
「そんなこと知りませんがな」
「ほな君は僕のおしりが見たいとでもゆうのか。別に見せたってもええけど」
「そんなもん誰が見たがる」
「せやから男には男気見せて月光仮面にならなあかんときがあるわけですよ」
「いったいどうゆう話やねん」

 真剣と書いてマジと読む

「要するに乱歩の土蔵の危機を月光仮面みたいな人が救わなあかんわけです」
「月光仮面の適任者はおるんですか」
「地元の豊島区が降りてしまったいまとなっては日本推理作家協会に期待するしかないでしょうね」
「日本推理作家協会てお金もってるんですか」
「お金の問題ではありません」
「そしたら何をしますねん」
「つまりいま必要なのは乱歩の土蔵と蔵書の価値とかそれを保存することの意義とかを広く訴えていくことなんです」
「保存へ向けて世論を喚起するゆうことですか」
「その先陣に立つべきなのはどう考えたかて日本推理作家協会なんです」
「そうゆうことになりますか」
「出版社とか新聞社とか放送局とかに顔が利きますからね、あの協会が乱歩の土蔵を守ろうゆうて論陣を張ったらかなりの効果が期待できるはずなんです」
「実際はどうなんですか」
「なんの動きもおませんわね」
「なんでですねん」
「協会の立場とかなすべきこととかあるいは協会がどれだけ乱歩の恩義をこうむってるかとか、そうゆうことが協会の人にはわかってないのとちがいますか」
「えらい手厳しいやないですか」
「けど中島河太郎先生が生きてはったら僕と同じことをおっしゃるでしょうね」
「そんなもんですかね」
「しょうもないウイスキーつくって喜んどる場合やないんです実際」
「なんの話やねんそれは」
「北方を呼ばんか北方をッ」
「いったい誰に怒っとるねん」
「日本推理作家協会があかんとなったら次は東京都でしょうね」
「石原慎太郎知事の出番ですか」
「石原知事かて生前の乱歩には世話になってますからね」
「そうやったんですか」
「若き日の石原慎太郎が乱歩にブランシックゆうゲイバーへ連れていってもろたときのことですけど」
「何がありましてん」
「店のゲイボーイがべたべたして気持ち悪いゆうて石原慎太郎がそのゲイボーイをどついてしもたんです」
「ほんまですか」
「当時の石原慎太郎ゆうたら二十代のちんぴら作家やがな」
「ちんぴらゆうたらあきませんけど」
「それが君、大乱歩に連れていってもろた初めての店でいきなり騒動起こしてどないするねん」
「そらそうですけどね」
「がちがちの父権主義者が大乱歩の顔に泥塗ってどないするねん」
「父権主義は関係ないやろがな」
「こんなもん指の一本や二本で済む話やないゆうことはわかっとるやろな」
「いや石原さんはそうゆう世界の人とはちがいますがな」
「似たようなもんや思いますけど」
「もうええっちゅうねん」
「ですから東京都が乱歩邸の保存に乗り出してもおかしくはないんです」
「けどそうゆう話は聞きませんな」
「石原を呼ばんか石原をッ」
「どこへ呼べゆうねん」
「東京都があかんとなるといよいよ国が動くしかありません」
「国家が動きますか」
「乱歩の土蔵がなくなるとか蔵書が散逸するとかゆうことになったらこれは一国の文化的損失ですからね」
「そんなたいそうな話なんですか」
「国の予算で保存を進めてもおそらく国民は怒りませんやろ」
「妙な公共事業よりよっぽど有益な公金のつかい方かもしれませんね」
「ゆうたら日本の文化遺産ですから」
「しかし実際にはどないしたらええんですか」
「やっぱり代議士の先生に奔走してもらわなしゃあないでしょうね」
「どなたですねん」
「そんなもん君、乱歩にゆかりの深い代議士先生ゆうたらこの世にたった一人しかいらっしゃいません」
「どこの先生ですか」
「三重県上野市の川崎二郎先生」
「なるほど二郎さんですか」
「あの先生のお祖父さんが川崎克ゆう代議士でしてね。この人が何くれとなく若き日の乱歩の面倒を見たわけです」
「そうらしいですね」
「その子供の川崎秀二も代議士になって乱歩と深い縁を結んでます」
「乱歩が晩年に名張へ来たのも秀二さんの選挙応援やったそうですね」
「名張に乱歩の生誕地碑ができるきっかけをつくったのが川崎秀二なんです」
「二郎さんはその息子さんですからね」
「けど僕だいたい代議士が二代三代と世襲することには反対なんです」
「いろいろ批判もありますわね」
「利権構造を維持するためにはそれがいちばん楽なんですけど」
「選挙民がまた世襲を支持しますしね」
「ですからまあどっちもどっちやといえばそれまでなんですけど」
「それやったらええやないですか」
「けど君、世襲への批判をものともせずに毅然として立つにはもっとそれらしいことをするべきやと思いませんか」
「どないしますねん」
「たとえば名前ですけど」
「名前がどうしました」
「何回も選挙の試練を経てキャリアを重ねた代議士先生がいつまでも二郎さん二郎さんではおかしいのちゃうか」
「ええやないですか親しみがあって」
「けど二郎さん二郎さんて君、コント55号やないわけですから」
「そんなもんといっしょにしたらあかんがな」
「どうせ世襲するのであればですよ」
「どんな名前にしますねん」
「川崎克三代目とか三世川崎克とか」
「歌舞伎役者やないんですから」
「しかし世襲代議士として親の地盤を受け継ぐのやったらやっぱり親がやり残した事業も引き継ぐべきなんです」
「といいますと」
「つまり二郎さんのお父さんの川崎秀二は名張市における乱歩記念館建設構想の火つけ役やったわけなんですから」
「そうやったんですか」
「乱歩が死んで四年後のことですけど」
「三十年ほど前のことになりますか」
「講談社から江戸川乱歩全集が刊行されまして」
「それがどないしました」
「その全集の付録として挟み込まれた月報に川崎秀二が随筆を書きました」
「代議士時代の秀二さんですな」
「その随筆に、機会があれば郷里の名張市に江戸川乱歩文庫でもつくり、この偉大な先人を顕彰したいと思う、と書いてあるのを読んだ名張市民がよっしゃ、合点だゆうて乱歩記念館建設の会ができたわけですから」
「前にも君そんなことゆうてましたな」
「川崎秀二はその人脈と政治力を生かして乱歩記念館建設に向けて奔走したんですけど結局実現には至りませんでした」
「秀二さんがやり残したことを二郎さんにやってもらおゆうことですか」
「まあそうなんですけど実際にはとても無理でしょうね」
「なんでですねん」
「加藤紘一の驥尾に付して右往左往しとるようなやつに何ができるゆうねん」
「君そんな天下の代議士先生をやつ呼ばわりしてええと思とるのか」
「加藤を呼ばんか加藤をッ」
「それはもうええっちゅうねん」
「けどいまや加藤紘一は居酒屋に呼んでもちゃんと来てくれるそうですから」
「君なあ」
「なんですか」
「よそのことはまあええとしてもやで」
「はいはい」
「名張市はいったいどうするんですか」
「と申しますと」
「乱歩の土蔵の危機を救うために名張市は何をするのかと聞いとるねん」
「それですわね問題は」
「それですわねやないがな」
「そら僕かて乱歩の土蔵の問題では小さなこの胸を痛めてるわけなんです」
「君が胸痛めたかてしゃあないがな」
「それでまた豊島区が降りたあと名張市がどうするのか、全国の乱歩関係者が注目してくれてるのは事実なんです」
「ほな名張市もそれらしいことをせなあきませんがな」
「それで僕は豊島区の構想に関してもあちこちから入手した情報を名張市立図書館を通じて逐一名張市の上層部に伝えてきたわけなんです」
「どないなりました」
「何の反応もあらしません」
「それではあかんがな」
「もしかしたら名張市の上層部の人は字ィが読めへんのとちがいますか」
「そんなことあるわけないがな」
「ほな結局乱歩生誕地の名張市が土蔵の保存に関して何をするか何ができるかを真剣に考えるべきときであるのにいままでそんなこと真剣に考えたこともない上層部の人たちにはしょせん無理無理だいたい男気のかけらもない連中に何を期待しとるねんちゅう話とちゃうのか実際」
「何ぶつぶつぼやいとるねん」
「一介の嘱託にここまで罵倒されたらなんぼ植物人間のごとき名張市の上層部でも何か反応を示してくれるかもしれんとは思いつつああもうあほらしいわいッ」
「好きなことゆうとれ」

(名張市立図書館嘱託)

掲載2001年3月26日
初出「四季どんぶらこ」第18号(2001年3月21日発行)