第二十回
市長選挙近づく
鈴木宗男先生に捧ぐ

「あんな嘘がようつけたもんですね」
「例の話ですか」
「臆面がないというか厚顔無恥というか人を小馬鹿にしてるというか」
「たしかに政治家が人を小馬鹿にしたような嘘をつくのは感心しませんね」
「それでまたこんなことでごたごたするお役所もお役所です」
「お役所ぐるみで嘘を隠そうとしてるようにしか見えませんからね」
「まあお役所の体質ゆうのはどこでも似たようなものなんですけどね」
「そしたら名張市役所も外務省も似たようなもんですか」
「結局この問題でお役所に対する信頼があらためて地に堕ちてしまいました」
「お役所の人は自分らのことしか考えてないゆう感じですからね」
「身内意識にこりかたまって保身と責任回避しか考えてないんです。お役所のなかしか見えてないんです」
「こうなるとわれわれとしては政治の世界にはほかにもいっぱい嘘があるのやないかゆう気になるんですけど」
「当然そうでしょうね」
「考えてみたらあれも嘘やないかこれも怪しいやないかみたいな」
「それがお役所ぐるみの隠蔽工作によって隠されてるだけの話でね」
「しかしあんな無茶苦茶な大嘘がこのまま通用してしまうわけですか」
「なんとか阻止したいと思います」
「君が思たかて意味ないがな」
「なんでですか」
「君は名張市立図書館の嘱託やがな」
「人はカリスマと呼びますけど」
「外務省の問題どないするゆうねん」
「え。それはまたなんの話ですか」
「なんの話て君、NGO出席拒否問題の話をしとったんとちがうんですか」
「といいますと」
「東京でアフガニスタン復興支援NGO国際会議が開かれたとき鈴木宗男ゆうたちの悪い政治家がお上を批判するようなNGOは出席させんゆうて外務省に圧力かけたせいで一部のNGOが会議に出られへんかったゆう話ですがな」
「大嘘ゆうのはなんですねん」
「その鈴木ゆうおっさんが外務省に圧力なんかかけてないといいはってるわけですけどそれは誰が見たかて大嘘やと」
「そうやったんですか」
「そしたら君、君はいままでいったいなんの話をしてたんですか」
「もちろん名張市の話です」
「なんやて」

折々の記(第二回)
中 貞夫

 隣室の患者(承前)

「いい薬」に安心したのでない。人工気胸の注射針から解放される嬉しさであった。
 たしかストレプトマイシンという注射薬とチビオンという散薬の併用であった。ストレプトマイシンという薬の名前はすでに三、四年前から耳にしていた。結核にひじょうによくきく薬で、進駐軍のアメリカ兵が流しており、なんでも注射薬一本(あるいは一箱か)が六千円というような噂であった。その頃の六千円といえば、びっくりするほどの高価である。
 この薬が日本でも製造されるようになり、大量に医者の間に出回ってきたのだ。この出回りは私の命の恩人になったと今でも思っている。これがもう一年遅かったとすれば、私の容態はどんな方向をたどっていたかも知れない。
 隣の三号室に吉村隆という結核の患者が入ってきた。奥さんが病室で寝ての付添いだった。朝から晩まで話し声一つ、コトリという音一つ聞こえなかった。じっと仰臥したままの安静生活のようであった。この人は、松崎町で読書クラブ(貸本屋)を開いているということで私も名前だけは聞いていた。とにかく、よほどの重症患者らしく思えた。
 それに引きかえ私の部屋はたいへん賑やかであった。見舞か遊びか知らないが、入れかわり立ちかわり来訪者があり、そのたび私は大きな声でしゃべった。なにしろ自覚症状がないのだから、いくらしゃべっても影響はなかった。
 吉村君とは後日おたがいに退院してから懇意になった。彼は上野中学のすこし後輩であった。
「君は助からんと思っていたよ」
 私がいうと、
「いやー、あんたこそもう長くはなかろうと女房と話していたのやで」
 私は、彼があまり静かなので死ぬと思い、彼は私があまりにぎやかなので死ぬと思っていた。おたがいに相手が死ぬと思い合っていたのだ。大笑いになった。
 この吉村君が何の病気だか知らないが、市議を二期ほどやったところで急に亡くなった。もう十年になろうか。


 『結核は働きながらなおす』という本

 自覚的には何の症候もないからだを一日中病床に横たえているのは、そうとう退屈であった。看護婦が来ないのを見すまして、枕元の戸棚から灰皿と煙草を取り出し、一ぷくつけるのが何よりの退屈しのぎであった。
 ある日、新聞に『結核は働きながらなおす』という本の広告が出ているのを目にした。著者はたしか東京鉄道病院の院長であった。さっそく岡村書店にたのんで取りよせてもらった。
 抗生物質が発見されてから結核の治療は一大革命をとげるわけだが、これはそれ以前に書かれた本であった。つまり、結核の療法は“安静と栄養”のほかにないとされていた時代の療養指南書である。
 著者はいう。
「結核は三年、五年と長期を要する病気である。財産家ならともかく、一般大衆は経済的に参ってしまう」
 今日のように社会保障制度は発達していなかった。療養はほとんど自弁であった。
「だから」と著者はつづける。
「結核は働きながらなおさねばならない。収入を得ながらなおすのが、一般大衆の結核療養の道である」
 鉄道病院で国鉄労働者の結核患者を扱っている立場が、この著者をこうした発想にみちびいたのだろう。
 こういう前提に立ってこの書物は、病状の軽重に応じて労働にしたがう心得を教えていた。
 私がもっとも驚いたのは、結核患者に最大の禁忌とされている酒、たばこ、夫婦の営み、こういったものが「かまわない」と大胆に表明されていることだった。
 たとえば酒である。
 酒そのものは結核に害はない。しかし、酔えば楽しくなって歌ったり踊ったりして、からだを動かす。からだを動かすのがいけないのだ。だからからだを動かさずに静かに適量を飲むことはあえて差支えない、というのである。
 たばこも大した害はない。セキを誘発して肺臓に衝撃を与えるのがいけない。だから、セキの出ないよう気をつけて吸えというのである。
 ところで、酒、たばこはまあ目をつぶるとして、結核患者に夫婦の営みまで容認する医者は今日でもあまりいないのではなかろうか。ところが、この著者によればこうなのだ。
 一回の夫婦の営みによって消耗される体内の蛋白質は卵の黄身二個分である。だから、卵(にわとり)二個すすっておけばよい。だが、夫婦の営みにはからだの激動が付きものだ。これがいけない。だから、からだを動かさないで目的を達する方法を工夫せよ、とこの著者は教えるのである。
 この本を読んで、前途がパッと明るくなるのを感じた。酒よし、煙草よし、営みよし、結核何するものぞ、結核をのんでかかる気強さが体内に湧いてくるのを感じた。
 そこへもってきて、今や抗生物質がある。
 空洞があいたまま、菌はとび出すという状態だが、内心には意気けんこうたるものがあった。
 これ以後私は患者に酒や煙草を禁じる医者をヤブ医者と思うようになった。酒の好きなものには飲ませばよい、煙草の好きなものには吸わせばよい。しかし、同時に飲み方、吸い方を教えなければならない。これが出来ないから千篇一律に「酒がいけない」、「煙草がいけない」ということになるのだ。毒を与える場合には同時に解毒剤も与える、これが天下の名医というものだろう。
 だからといって、酒を飲み、夫婦の営みをやったわけでない。入院の身にはそういう機会が恵まれない。ただ煙草だけはライセンスをもらったような気になって、安心して堂々と吸いつづけた。
 昭和二十九年というのは名張市制発足(三月)の年で、八月に最初の市議選挙が行われた。この時当選した三十名の議員のうち十七名はすでに他界している。だが、かくしゃくとして今なお第一線で活躍をつづけている人も少くはない。
 県議稲森登、市長永岡茂之、市議西山武夫、上村文弌、辻本稔、商議所会頭上村進一郎氏らの面々である。


 知事選挙

 昭和三十年五月、県畜産課長をしていた辻本郁郎君が、北田市長の懇請に応じ、名張市の助役に就任してきた。このことが私を“市史”へとかりたてるきっかけとなったのだが、辻本君の来任を語るには、この前に行われた知事選挙にふれねばならない。
 この年四月に統一地方選挙があった。名張市は市議選は前年すませてあったので、知事選と県議選だけであった。
 知事選は三選めざす青木現職に三選反対をスローガンに挑戦する田中覚氏の一騎打ち。県議選は前回落選の雪辱をめざす小西光蔵氏(社会党)、初陣稲森登(自民党)、無所属の奥田健太郎氏、この三人のシノギをけずる三つ巴戦。投票は四月二十五日同時におこなわれた。
 正月が明けて間もない頃であった。病室で神妙に寝ている私のもとへ、井手から県農協中央会へかよっている井上忠夫君から、何日の夜レストランあさひへ来てくれとの連絡があった。レストランあさひというのは、上本町、森岡履物店の隣で、井上君の友人で黒田の同姓井上君が経営していた食堂である。
 何ごとか知らないが、とにかく行ってみると、二階の居間を借りて井上君が待っていた。そこへ桝田医師もやってきた。主治医と入院患者と、バツのわるいご対面であった。
 井上君の話は知事選のことであった。
「四月の選挙に田中覚というのが出る。県農林部長をしていたので農業関係では名が売れているが、一般には知られていない。農協が前面に立って支援しているのだが、社会党、共産党も正式に推薦を決めている。県下各地では農協が正面に立って運動を進めているのだが、名張市の農協組合長会は前名賀郡農協組合長会長で青木支持の正多様という人にカンヌキをはめられて身動きができなくなっている。それで、農協の線以外で運動を進めなければならない。ひとつやってくれないか」
 ということであった。
 選挙といえば嫌いな方でないし、そこへ、ポン友井上君の頼みときている。桝田医師と井上君は錦生小学校の同級生である。二つ返事で引受けてもいいところだが、目の前に主治医がいる。
「先生、どうやろ、からだの方は」
 いちおう伺いを立てねばならない。
「うーん、そーやな、まあぼつぼつならよかろう」
 こんなことで、知事選に足を突っ込むことになった。
 病院へ自転車を置いておいて、あくる日からさっそく東奔西走をはじめた。これはと思う人のところへ走って、同調者を求めてまわった。国津の羽根の自宅で結核の予後を養っている岩井博君のところへも走った。坂道を自転車を押しながら、「おれは、これでも結核の入院患者かな」と考えるとおかしくなった。
 社会党と共産党は推薦しているのだから、まあいいとして、問題は自由党と民主党である(自民党統合以前)。この両党とも知事選は自由投票という方針をとっていた。当時の現職代議士は木村俊夫、川崎秀二、田中久雄、山手満男四氏で、それぞれ名張の代表者を訪問して同調を求めた。川崎派と木村派にはことわられ、田中派は同調してくれた。山手派には名張での代表者はいなかった。
 ほかに松本一郎派というのがあった。前回の総選挙に落選して浪人中だが、こんどの知事選では最高首脳の一人として運動の中枢に立っていた。
 ひととおり訪問を終わったところで、保革連合の選対委員会というのをつくった。顔ぶれは次のようであったと思う。
 社会党は夏秋忠雄、吉田静男市議、共産党は寺島清太郎市議、田中派は北橋留蔵市議、松本派は辻本稔市議、岩井博といった諸氏である。ほかにもあったのかわからないが思いだせない。
 農業会館の二階で“出初式”をおこない、私はいちおう委員長ということになった。
 恐る恐る月一回のレントゲン検査を受けたが、病状はさして悪化していなかった。そのかわり良くもなっていなかった。


 知事選挙(続)

 つぎは事務局の編成である。松本一郎氏は県農業共済組合連合会長をしていたので、共済組合の職員は公然と選挙運動に没入できた。選挙運動をやらされたといった方が適切である。農共連の名賀支所長は箕曲中村の中村貞利君、職員は松本氏の秘書でもあった阿保の坂本金弥君、そこへ県農協へ名張からかよっていた東充君、そこへ私の四人で事務局の形をととのえた。
 事務所は平尾、坂上辰郎家の離れを借りた。殺風景な部屋のまん中に机を置き、机の上に電話機を置き、まわりに四、五枚の座布団を置くと、事務所の舞台装置は出来上がった。
 告示はたしか三月三十日だったが、この何日か前から事務所へ詰めた。私は事務所へすわり、他の三君は工作隊として一日中そとをかけ廻った。
 告示の日は雨だった。午前十一時ごろ田中候補がやってきて第一声を放った。
 何日か後に県議選の告示があり、街は騒然とわき立った。だが、私たちの事務所は閑散そのものであった。一人の訪客もなかった。およそ選挙に関係するほどの人は県議選にへばりついて、知事選にはかまっていられないという風であった。
 来る日、来る日、私は事務所、他の三君は工作隊の繰返しであった。
 このごろ私の一日は、まず病院のベッドで眼がさめる。顔を洗う。洗面室から帰りに玄関で新聞をとってくる。新聞を読む。そこへ女房が朝飯を持ってくる。
 当時、桝田病院では入院患者への給食はなかった。各自、家人が運んできた。私の家は病室から二、三百メートルの所だから、運搬には便利だった。

(次号につづく)

 名張市選挙管理委員会に捧ぐ

「君、びっくりしませんでしたか」
「いったい何が起きたんですか」
「ややこしい話なんですけどね」
「君の話はつねにややこしいですけど」
「前にうちの親父の自分史みたいなものをちょっとだけ載せたんですけど」
「そうでしたな」
「そしたら親父が親しくしていただいていた方からの年賀状に」
「何か書いてくれてありましたか」
「しょうもない漫才やっとらんとあのつづきを載せんかこの馬鹿息子」
「たしかに馬鹿息子ではありますけど」
「でも実際、ご尊父の自分史を拝読し往時を思い出しております、次号からもぜひおつづけくださいみたいな感じで桔梗が丘にお住まいのKさん男性の方からリクエストをいただきましてね」
「ラジオのリクエスト番組やないんですから」
「かとゆうてこの漫才をやめるわけにもいきませんし」
「やめてもええがなこんなもん」
「しかし君、上野市にお住まいのNさん女性の方からの年賀状にはですよ」
「なんて書いてくれてありました」
「どんぶらこ今年も元気で書きまくれ」
「俳句になってましたか」
「そらそうやさすが芭蕉のお膝元」
「君まで五七五にならんでもええねん」
「ほかにも数名の方から同様のメッセージを頂戴しておりまして」
「それは無視できませんわね」
「苦肉の策として漫才と自分史の同時進行に挑戦してみたんですけど」
「わざわざ挑戦せんならんほどのもんでもないように思いますけど」
「おかげさまでさしたる混乱もなく」
「読者の人は大混乱してはるのとちがいますか」
「まあそのうち馴れよるやろ」
「人を小馬鹿にするんやないがな」
「そうそうその話」
「なんですねん」
「政治家が人を小馬鹿にするような嘘ついたらあかんゆう話です」
「ああそれですか」
「その嘘をまたお役所ぐるみで隠し倒してどないするねんゆう話です」
「別に倒してはおらんやろけど」
「君、聞いてくれますか」
「なんぼでも聞かしてもらいますけど」
「しかし時期が時期ですからね」
「なんの時期ですねん」
「名張市の市長選挙」
「たしかに選挙がありますね」
「この『どんぶらこ』は三月二十一日に発行される予定なんですけど市長選挙は三月三十一日が告示で四月七日が投開票ゆう日程なんです」
「それがどないしました」
「名張市選挙管理委員会が妙な因縁つけてくるかもしれませんからね」
「なんで因縁つけられなあかんねん」
「『どんぶらこ』に迷惑かけたらあきませんから詳細は僕のホームページで見てもらいましょか。アドレスは http://www.e-net.or.jp/user/stako/ となっております」
「君の話はほんまにややこしいで」

(名張市立図書館嘱託)

掲載2002年3月24日
初出「四季どんぶらこ」第22号(2002年3月21日発行)