第二十四回
伊賀市逝ってよし
 上野市よさようなら

「意外な結果が出たもんですね」
「名張市の住民投票の話ですか」
「そう。名張市が伊賀地域の周辺六市町村と合併するべきかどうか」
「二月九日に投票が行われまして」
「投票率が約六〇%で開票結果はなんと七割の市民が合併に反対でした」
「たしかに意外といえば意外ですね」
「僕は名張市民がもう少し合理的な結論を出すやろと踏んでたんですけど」
「この結果は合理的やないんですか」
「合理不合理ゆうことになると今回の合併話がそもそも不合理なわけでして」
「どうゆうことですねん」
「国が財政の破綻をそのまま地方に押しつけてきてるだけの話ですから」
「合理性がないというか必然性がないというか正当性がない感じはしますね」
「ですから住民投票そのものを拒否してしまうのが合理的な結論Aです」
「そしたら結論Bもあるんですか」
「Bはかなり高度な結論でして」
「どないなりますねん」
「国の押しつけではあっても今回の合併を利用するゆう作戦です」
「利用する作戦といいますと」
「つまり地方分権の流れに沿って地方の自立を進めるわけです」
「でも合併によって行政基盤を強化することで自治体の自立を推進するゆうことは今回も話し合われてましたけどね」
「誰が話しおうてました」
「伊賀地区市町村合併問題協議会のメンバーをはじめいろんな人がですがな」
「ですからそれではあかんゆうて僕はしつこいほど指摘してきたわけなんです」
「何があきませんねん」
「中央支配に馴れきって自立を知らない人間に自立が語れるかゆう話ですがな」
「そらまあそうですけど」
「合併問題協議会メンバーゆうたらそこらの市町村長とか議会議長とか有識者とかその程度のみなさんですからね」
「その程度とかゆうたらあかんがな」
「彼らにそんな高度なことが可能かどうかは査察の結果かぎりなく黒に近いと」
「イラク問題やないんですから」
「たとえば今年になって新市庁舎の綱引き合戦がありましたけど」
「新市の市庁舎を名張に置くか上野に置くかゆう問題が浮上しました」
「結局あの騒動に今回の合併話のレベルの低さが端的に示されてましたね」
「新庁舎の位置は大事な問題ですがな」
「協議会にはその程度の綱引きをするしか能がないことが判明したわけです」
「そんなことないでしょうけど」
「あの協議会においては地域の将来とか自治体の自立とかより庁舎位置のほうが問題としてよっぽど大事なわけです」
「話の流れでたまたま庁舎位置の問題が出てきたゆうことやないんですか」
「庁舎なんかどうでもええんです」
「それはどうゆう意味ですか」
「役所の位置なんか関係ないゆうのがこれからの行政サービスなんです」
「家が役所に近かったらそれだけ便利だというのは過去の話になると」
「新時代の行政を模索構築するべき人間が役所の取り合いをしてどないする」
「でも住民の意向もあるでしょうしね」
「しかもその取り合いは地域住民の利便性に配慮したものですらないんです」
「ほな何に配慮してますねん」
「狭量な田舎者の面子と体面です」
「そんなことないのとちがいますか」
「そんなことしかありません」
「君またそないして決めつけますけど」
「とにかくBはじつに高度な結論ですから実現は不可能やったでしょうね」
「聞いとったら君のゆうてることのほうがよっぽど不合理な感じですけどね」
「さて合理的な結論Cといいますのは」
「Cまであるんですか」
「話を単純化してしまいます」
「どないしますねん」
「判断基準をひとつに限定します」
「判断基準といいますと」
「要するに目先の金です。目先の金をどないするかゆうことです」
「目先の金ゆうたら地方交付税の据え置きとか合併特例債とかのことですか」
「合併によってどうなるこうなるゆうたかて先のことは結局ようわかりません」
「ぶっちゃけそんなところでしょうね」
「ですから先のことは度外視してとりあえずいま現在の目先の金をどうするか」
「財政非常事態の名張市としてはやっぱり目先の金が欲しいでしょうからね」
「国の合併支援策をどないするかという一点に話を単純化して考えますと」
「どないなります」
「貰えるもんは皆もろとけゆうのもひとつの立派な合理的結論なんです」
「ところが名張市民は合併にノーという結論を出したわけですからね」
「はっきりゆうて僕は名張市民を見直しました」
「目先の金は選びませんでした」
「つまりたとえお粥さんすすったかて市町村合併はしないぞと」
「お粥さんすすったかて名張市は名張市のままで行くぞと」
「お粥さんすすったかて上野みたいなあほが根腐れして黴まで生やしてるようなしょうもないまちとは合併しないぞと」
「ちょっと待てこら」
「どうかいたしましたか」
「あほが根腐れしてとかゆうのはあまりにも上野市民に失礼やないですか」
「それはそうですけどこれは僕がゆうてるんやないですからね。現実にそんな失礼なことゆうてる口さがない名張市民が存在してるゆう話をお伝えしただけで」
「世の中にはゆうてええことと悪いことがあるんですから」
「それに誤解のないようにゆうときますと僕は上野市民の味方ですから」
「いやそれは初耳ですけど」
「いまごろ何ゆうてますねんな。うちの家は親父の代まで上野なんですから」
「そうなんですか」
「上野市に依那古ゆう在所がありますけどあそこが僕の父祖の地なんです」
「近鉄伊賀線の依那古駅あたりですか」
「そう。二月十一日の親父の命日には必ず依那古のお寺に墓参りしますしね」
「なかなか殊勝やないですか」
「しかもそのあとは南の名張へ戻らんとさらに北の上野のまちを目指します」
「何しに行きますねん」
「銀座通りのビーゆう店へロールキャベツ食べに行くんですけど」
「そんな店があるんですか」
「ところが今年はビーが臨時休業してましたから隣の多幸弥寿でお好み焼き食べたんですけどあの多幸弥寿はいったいいつお好み焼き屋になったんですか」
「そんなこと知りませんがな」
「とにかく上野が僕の父祖の地でして」
「それやったらなんでまたお父さんは名張に引っ越してきはったんですか」
「よう知らんのですけど上野にはとても住んでられへんようなことしでかして南の名張に脱出したんでしょうね」
「脱出ゆうこともないでしょうけど」
「でも現に僕の親父は名張で脱北者ゆうて呼ばれてましたから」
「あほなことゆうてたらあきませんで」
「つまり南北分断の悲劇は朝鮮半島にだけ存在してるわけやないんです。伊賀にも同じ悲劇が起きてるんです」
「そんな大層な問題やないがな」
「僕はその悲劇を一身に体現して生きてるわけですからね」
「いったいどんな悲劇ですねん」
「上野へ行っては名張の悪口をいい名張に戻っては上野の悪口をいい」
「そんなもんただの二股膏薬やないか」
「とにかく僕の立場はじつにつらいんです。誰が祖国を分けてしまったの」
「誰も分けてませんがな」
「北のふるさとへなぜに帰れぬ」
「いつでも好きなとき帰れるゆうねん」
「僕なんかほんま歩くイムジン河みたいな人間なんですから」
「川がそこら歩いたら傍迷惑やがな」
「けど先日もたまたまお会いした上野市民の方からご要望をいただきまして」
「どんなご要望ですねん」
「あんた名張のあほばっかり叩いてやんとちょっとは上野のあほも叩いてさ」
「なんちゅうご要望やねん」
「お調子者の僕としてはこうしたご要望には誠心誠意お応えしたいわけです」
「君いったい何様ですねん」
「つまり上野市民も市行政や市議会その他に対してさまざまな不満をお持ちやということでしょうね」
「それはそうでしょうけど」
「ただそれを代弁するお調子者が上野には存在しないんです」
「それで君がわざわざ名張から出張っていって嫌われ者になるわけですか」
「ところが僕の努力が至らないばっかりに上野市民のみなさんには多大なご迷惑をおかけしておりまして」
「君が出張るほうが確実に迷惑やで」
「心からお詫びを申しあげる次第です」
「せやから出張るなゆうてるねん」

 上野市よこんにちは

「今回の住民投票の結果を見ましてね」
「何か発見がありましたか」
「それはやっぱり上野と名張の確執がいかに根深いかということでしょうね」
「それがあらためて認識されたと」
「とにかく上野と名張は近世近代を一貫して仲が悪いんですから」
「近世近代といいますと年数でゆうたら四百年ほどありますからね」
「四百年ゆうたら長いですよ」
「そらそうです」
「サッカーワールドカップが百回も見られるわけですからね」
「誰もそこまで長生きできませんがな」
「だいたいあの藤堂高虎ゆうのが相当に段取りの悪い男やったんです」
「いきなりなんの話ですねん」
「高虎は藤堂藩初代のお殿様で伊勢伊賀三十二万石を領した大名なんですけど」
「なかなかの名君やったそうですな」
「徳川家康に重用されて伊勢伊賀両国を一任されたほどの人物ですから」
「かなり優秀な人やったんでしょうね」
「ところがこの藤堂高虎には子供がありませんでした」
「それは難儀なことですがな」
「ですから養子を貰って将来はその子が藤堂家を継ぐことになっていたんです」
「いわゆる後継者ですね」
「それで話が終わってたらまったく問題はなかったんですけど」
「何か問題が生じましたか」
「高虎にひょっこり子供ができまして」
「それはそれで難儀なことですがな」
「しかもこれは高虎が四十五歳くらいになってからの話なんです」
「高虎さんえらい頑張ったんですね」
「四十代なかばで藤堂高虎はいったい何を見てむらむらしたのか。これが日本史最大の謎とされてるわけですけど」
「されてへんされてへん」
「こうなると養子という立場はきわめて微妙なものになりますからね」
「後継者の座を追われるわけですか」
「朝鮮出兵でも関ヶ原の戦いでも高虎と苦難をともにしたにもかかわらず」
「二代目の座は実子に奪われましたか」
「まあかわいそなご養子さん」
「ご養子さんて君、近所のおばちゃんの会話やないんですから」
「結局のところ高虎の死後は実子の高次があとを継ぎまして」
「ご養子さんはどないなりました」
「名張にわずか二万石の領地を与えられて名張藤堂家初代高吉となったんですけどこれが家臣格の扱いですからね」
「世が世なら三十二万石のお大名になるべき高吉が高虎に実子ができたばっかりに家臣に甘んじたわけですか」
「まあかわいそなご養子さん」
「それはええっちゅうねん」
「藤堂高虎ゆうのは築城の名手としても知られた人やったんですけど」
「お城づくりが上手やったわけですね」
「しかし子供づくりのほうはきわめて段取りが悪かった。これが日本史の定説となっております」
「なってへんなってへん」
「上野と名張の確執はそのへんから芽生えて現在に至ってるわけです」
「たしかに確執は残ったでしょうね」
「名張藤堂家五代目のときには享保騒動ゆうお家騒動までありましたからね」
「そんなこともあったんですか」
「名張藤堂家としてはやっぱり一人前の大名として独立したかったんです」
「独立運動に走ったんですか」
「ところが水面下で画策してることがばれてしもたんですね。名張の家臣が上野城に呼び出されて厳しく責められます」
「おまえら何をしとるねんと」
「結局名張藤堂家の五代目は隠居するわ家臣三人は切腹するわの大騒ぎで」
「腹まで切らされましたか」
「名張のやつは陰に隠れてこそこそしよるからゆうて締めつけはさらに強くなりますし名張は名張で根に持ちますしね」
「陰に隠れてこそこそゆわれたかてね」
「でもあれですよ。名張市が皇學館大学の誘致を発表したときにも上野の人は名張がまた陰に隠れてこそこそしよったゆうてゆうてましたからね」
「享保騒動のときといっしょですがな」
「僕は別に皇學館大学に対して含むところはいっさいないんですけど」
「どないしました」
「きょうび大学が地方都市のステータスシンボルやと考えるような人間はどだいあほやと見て間違いがないんです」
「あほとまでゆうことはないがな」
「でもニーチェ風にゆうたらルサンチマンでしょうね。名張にとって上野より先に大学を誘致することは四百年間ためこんだルサンチマンをある程度解消する手段やったわけなんです」
「どうもようわからん話ですけど」
「つまり近代に入っても名張は一貫して上野の下に位置しつづけてましたから」
「たしかに県の出先機関とか旧制中学とか裁判所とか全部上野でしたからね」
「そうゆうふうな歴史的事実の積み重ねの上にこんにちの伊賀地域があり上野と名張の対立が存在しているんです」
「それが伊賀地域の歴史であると」
「ところが君、よう考えてみ」
「何を考えますねん」
「上野に対するルサンチマンとか怨恨とかは代々名張に住んできた人にはしっかり受け継がれてると思うんですけど」
「享保騒動のことを知らん人が増えても上野に対する感情はそれなりに受け継がれてますでしょうね」
「しかし関西圏から転入してきた新しい市民には上野に対して在来の市民が抱いてるような感情はないはずなんです」
「上野には無縁の人たちですからね」
「せやから今回の投票で上野に対するルサンチマンから合併にノーという意志を示した人は少なかったはずです」
「そうゆう見方もできるでしょうね」
「しかし実際には七対三という大差で合併反対の市民が多かった」
「それがどないしたゆうんですか」
「名張には上野に対する新しい認識が生まれていると見るべきでしょう」
「どんな認識ですねん」
「フロイト風にゆうたら打ち負かされた前段階ですか」
「また訳のわからんことをゆう」
「要するにこれまでは上野が上で名張が下という絶対的な上下関係のなかで確執が持続されてきたわけなんです。それが従来の価値観やったわけです」
「上下関係に基づく価値観ですか」
「しかし新しい市民にはそんな価値観はありません。上野が前提的に上であるというような価値観は存在しないんです」
「せやからそれがどないしたんですか」
「新たな価値観がもたらす評価感情の逆転ですがな。打ち負かされた前段階が上位の座を追われながらも低い位置にとどまり蔑視や嫌悪の対象となってなお存続しつづけているという一例ですがな」
「ちょっと君」
「なんぞご用ですか」
「きょうの君どうもおかしいで」
「僕だいたい普段からあんまりまともやないみたいなんですけど」
「きょうははっきりと異常やがな。さっきから何を一人で興奮してるんですか」
「南北分断の悲劇で精神的におかしくなってるのかもしれませんね」
「せやから住民投票の結果が結局どうやといいたいんですか」
「煎じ詰めてゆうたら上下という価値観ではなくて新旧という価値観に基づいて合併に反対した市民が多かったと」
「どうゆうことですねん」
「つまり上野や伊賀にまとわりついた土着性とか封建性とか前近代性みたいなイメージが嫌われたゆうことでしょうね」
「ひとことでゆうたら上野も伊賀も古いから嫌いやゆうことですか」
「観光客として訪れる分には面白いとこなんですけど住民として内部に取り込まれるのだけは堪忍してちょうだいと」
「たしかに名張市民には伊賀市という名称に対する拒否反応もありましたしね」
「結局田舎者ゆうのは独善的で自分を相対化することのできない連中なんです」
「また話がややこしなりそうですけど」
「伊賀の地で代々生まれ育ってきた人間とそれ以外の人間ではおのずから価値観が異なってますから伊賀という言葉に対するイメージも当然違ってくるゆうことさえわからんのが伊賀の田舎者であるということを僕は何度となくゆうてきたんですけどそれがいまだに理解できずにこの期に及んでなお伊賀はひとつだ伊賀はひとつだとぼけ老人の寝言みたいなことゆうてるのが伊賀という土地なんです」
「僕には君のゆうてることがぼけ老人の寝言に聞こえて仕方ないんですけど」
「世間にもそうゆうふうに感じてる無理解な人はたくさんいるでしょうね」
「自分でわかっとるんやったら黙っとったらどないですか」
「残念ながらそうはいかないんです。たとえわずかでもこの漫才に期待を寄せてくれてる読者があるかぎり僕には沈黙することができないんです」
「ほなもう好きにしたらええがな」
「ですから次回は『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』たらゆう訳のわからん事業をとりあげてぼこぼこご機嫌をうかがうことにしております。わが父祖の地上野のみなさん。もうちょっと待っててくださいね」
「誰も待ってないゆうねん」
「そして上野のまちが心底いやになったらいつでも名張に来てくださいね」
「そんなこと呼びかけんでもええがな」
「脱北者よ名張市を目指せ」
「呼びかけるなゆうとるやないか」

(名張市立図書館カリスマ嘱託)

掲載2003年4月15日
初出「四季どんぶらこ」第26号(2003年3月21日発行)