第二十八回
僕のキャリアや人格は

 年金未納はどうでしょう

「ほなもう要するにあれなわけですか」
「いきなり何を怒ってますねん」
「年金さえ納めとったら問題はないと」
「年金の未納未加入問題の話ですか」
「年金さえきちんと納めていれば何の落ち度もないと。人として優秀であると」
「誰もそんなことゆうてませんがな」
「年金さえ納めとったらあとは人を殺めようが何をしようがお構いなしやと」
「人を殺めるとかお構いなしやとか銭形平次の時代やないんですから」
「でも昨今のメディアにはそうゆう論調が目立ちますから気ィつけませんとね」
「いったい何に気ィつけますねん」
「つまり僕かていつ年金の未納を理由にクビを切られるかわからんわけです」
「君も年金未納組なんですか」
「それがどうもようわかりませんねん」
「自分の年金のことですがな」
「年金どころかあしたの米代のことさえようわかりませんから偉いもんでして」
「自慢そうにゆうてどないしますねん」
「けどかりに僕の年金歴にブランクがあったと仮定してそれが発覚した場合」
「発覚ゆうたら大袈裟ですけど」
「僕は名張市立図書館カリスマ嘱託の職を追われることにもなりかねません」
「そんなことないのとちがいますか」
「とてもひとごととは思えませんでね」
「誰のことですか」
「内閣官房長官を辞任された福田康夫先生とか民主党代表就任が決まっていたのに辞退された小沢一郎先生とか」
「そらふたりとも政治家ですから」
「政治家やからどうやゆうんですか」
「年金問題を議論する政治家が年金未納ではまずいんちゃうかゆう話ですがな」
「そしたら政治家やなかったら年金未納でもまったく問題はないわけですか」
「そんなことありませんけど君はしょせん図書館の嘱託なんですから」
「そらそうですけどしょせん嘱託ゆうのはまた失礼ないいぐさやないですか」
「つまり君は年金問題や天下国家を論じる立場の人間ではないんですから」
「けど僕かて名張市立図書館の嘱託として八年半もそれなりに社会的責務を果たしてきてるわけですから」
「それはたしかにそうでしょうけど」
「にもかかわらず君という男は僕の嘱託としてのキャリアやそのことに基づいた僕の人格を否定するような動きをしてそんなことでええと思とるのか」
「そんな動きはしてませんがな」
「いいから東宮大夫を呼べ」
「君いったいどちらさんですねん」

「しかし実際せわしない世の中でして」
「ほんまに国内でも海外でもせわしないほどいろんなことが起きてますから」
「海外ではやっぱりイラク問題ですか」
「完全に泥沼化してしまいましたけど」
「北朝鮮問題もありますし」
「一日も早い全面解決が望まれます」
「国内に目を転じますと名張市内の消費者金融で発生した強盗殺人未遂事件」
「国内はいきなり名張の話題ですか」
「消費者金融に押し入った男が突然ピストルをぶっ放したそうでして」
「無茶苦茶しよりますね」
「やることが乱暴すぎますがな」
「よっぽど金に困ってたんでしょうね」
「もしかしたらチワワ買う金が欲しくて犯行に走ったのかもしれませんけど」
「チワワてそんなんテレビでやってる消費者金融のコマーシャルですがな」
「チワワ一匹買うのにわざわざピストルを振り回す人間の気が知れませんね」
「せやから犯行の動機がチワワやと決まったわけではないんですから」
「ほなスピッツですか」
「犬種の問題やないと思いますけど」
「あれもきゃんきゃんやかましい犬でしたけど最近とんと見かけませんね」
「知りませんがな」
「ところでこの事件が発生した日」
「たしか五月の十九日でしたけど」
「ほかにも名張市を震撼させる恐ろしい動きがあったことを君は知ってますか」
「聞いてませんでそんな話」
「強盗殺人未遂という衝撃的な事件の陰に隠れてしもたんでしょうね」
「何がありましてん」
「巡り合わせゆうやつですか。イラクの日本人人質事件の影響で視聴率が伸び悩んだプロ野球中継みたいなもんでして」
「せやからなんの話ですねん」
「中日新聞が報道してくれてありましたから二十日付伊賀版から伊東浩一記者の記事をご紹介したいと思います」
「どんな記事ですか」
「《名張市は、十九日開かれた市議会重要施策調査特別委員会で、市立図書館の運営業務の民間委託を検討する方針を明らかにした》」
「名張市立図書館の民間委託ですか」
「二〇〇六年四月の委託開始を目指してるらしいんですけどね」
「具体的にはどないなりますねん」
「《市立図書館には現在、市職員七人と市臨時職員九人が勤務。市の基本方針では、館長など管理部門に市職員を一部残す以外は、運営に携わる大半の職員を民間非営利団体(NPO)やボランティアに委託できないか可能性を検討する》」
「そうゆう方針が市議会で示されたと」
「この場合まず問題になるのは」
「どんなことが問題ですねん」
「名張市議会には総勢二十人の議員さんがいらっしゃるんですけど」
「市議会議員として地域社会のためにいろいろご尽力いただいてるわけで」
「この先生方ははたして年金をきちんと納めていらっしゃるのかどうか」
「そんなこと君が心配せんかてみなさんちゃんとしてはりますがな」
「しかし未納やった場合は議員としてのキャリアや人格を否定されてですね」
「もうええゆうねん」

「でもまあ図書館運営の民間委託はいまや珍しい話でもありませんからね」
「時代の流れゆうことですか」
「中日の記事によれば上野市ではすでに民間委託が実施されてるそうですし」
「上野の図書館は民間委託ですか」
「やっぱり図書館に対する住民のニーズゆうのが多様化してますから」
「たとえばどんなニーズですねん」
「これは全国的な傾向なんですけど開館時間の延長を望む声とかですね」
「昔に比べたら夜型のライフスタイルが一般的になってきましたから夜に図書館を利用したい人も増えてるでしょうね」
「このうえ朝の四時から開館してくれゆう声が出てきたらどないするねん実際」
「図書館はコンビニやないんですから」
「けど民間委託にしたらそのへんのことも結構柔軟に対処できるでしょうし」
「お役所が直接やるよりは何かと融通が利くでしょうね」
「しかし気になることもありまして」
「どんなことですねん」
「要するに対症療法なんです」
「といいますと」
「つまり民間委託の話も結局は名張市の財政建て直しの一環なんですね」
「財政の合理化効率化を進めるのは名張市にとって最優先課題ですから」
「逆にゆうたらサービスのさらなる向上を第一目的として民間委託の検討を始めたわけではないということです」
「でもたとえ経費削減が第一目的であっても民間委託によって開館時間の延長が実現できたら結構なことやないですか」
「対症療法的にサービスの向上が進んでも根本的な問題はノータッチで先送りされてしまう可能性があるんです」
「根本的な問題ですか」
「僕はこの連載で口が酸っぱくなるほど指摘してきたんですけど」
「なんのことですか」
「お役所の人たちには根本的な問題に目を向けずうわべだけお茶を濁してそれでよしとする悪い癖があるんです」
「今回の問題もそうなりそうですか」
「ですから今回の問題はむしろ千載一遇の好機だととらえるべきでしょう」
「図書館の抱えている根本的な問題を考えるチャンスやゆうわけですか」
「もちろん公立図書館単独では解決できない問題もあるんですけど」
「それはそうでしょうね」
「たとえばいわゆる複本問題」
「複本ゆうのはなんですねん」
「公立図書館がベストセラーを何冊何十冊と大量購入することです」
「ハリー・ポッターとかですか」
「日本でもイギリスみたいに公共貸与権を設定するべきだみたいな意見も出てきて侃々諤々の状態です」
「そうなるとたしかに図書館単独では解決できない問題ですね」
「ただし図書館は複本問題に関する見解を明確にしておくべきでしょうね」
「われわれは複本問題をこう考えてますと住民に説明できなあかんでしょうね」
「たとえ複本のことはわからんでもトクホンやったら救急箱にありますと」
「誰が肩こりの相談しとるねん」
「サリチル酸メチルがよく効きますと」
「好きなだけ貼っといたらええがな」

 民間委託はどうでしょう

「新潮文庫で吉村昭さんの『わたしの流儀』ゆう随筆集が出てるんですけど」
「それがどないしました」
「こんな随筆が収録されてるんです。
《小説の資料収集に地方都市へ行くと、私は必ず図書館に足をむける。その都市の文化度は、図書館にそのままあらわれている。
 図書館に関することは自治体の選挙の票につながらぬらしく、ないがしろにされている市もある。それとは対照的に充実した図書館に入ると、その都市の為政者や市民に深い敬意をいだく。
 図書館は、市役所の機構の一部門となっていて、そのため新任の館長の前の職場が土木部であったり通商部であったりする。
 そうしたことから、館長がすぐれた読書家とはかぎらない。図書館経営の長であるのだからそれでもよいではないかという意見もあるだろうが、やはり館長は書物について深い愛情と造詣を持っている人でなければおかしい》」
「図書館を大事にしている自治体は文化度が高いゆうことですか」
「これは『図書館』というタイトルの随筆なんですけど公立図書館に対するこうした考えは吉村さん以外にも多くの人が抱いてるんやないかと思いますね」
「きのうまで土木部にいた人がきょうから図書館長ゆうのはおかしいと」
「そんな声は全国の公立図書館にくすぶってるのとちがいますか」
「しかしおかしいゆうたかてそうゆうシステムになってるわけですから」
「ですから名張市立図書館も民間委託を機に民間人館長を登用するとかですね」
「でも中日新聞には館長とか管理部門は市職員ゆうて書いてありましたがな」
「せやから名張市の職員がいったいなんぼのもんやねんゆう話ですがな」
「なんぼのもんてそんな失礼な君」
「どうしても市職員が図書館長を務めるというのであれば吉村さんが書いてはるような愛情と造詣をもった優秀な職員をつれてきてみいゆう話なんです」
「理想をいえばそうでしょうけど」
「しかもいざとなったら教育長とか市長とか偉いさんともタメで話ができるだけの人間やなかったらあきませんし」
「そんな人材おるんですか」
「名張市役所のどこを探してもおらんからいっそ民間人館長でどないやねんと」
「けど民間人のあいだでもそんな人はなかなか見つからへんのとちがいますか」
「せいぜい定年退職して民間人になった元職員か元教員が関の山でしょうか」
「そんなことでええんですか」
「ええわけありませんがなそんな名張市青少年センターみたいなこと」
「青少年センターはどうでもええがな」
「でもとにかく奇貨おくべしなんです」
「どうゆうことですねん」
「つまりこれは図書館の運営について真剣に考える得がたい機会なんですからそのチャンスを逃がすなと」
「誰が真剣に考えますねん」
「名張市役所の人たちが考えるわけですから休むに似たりの結論しか出ないとなると話はもう終わったも同然ですか」
「話を勝手に終わらしたらあかんがな」

「ここで公立図書館の役割は何かということを確認しておきたいんですけど」
「なんや堅い話になりそうですな」
「二本柱は流通と蓄積なんです」
「流通といいますと」
「地域住民に本を提供することですね」
「図書館で本を閲覧してもろたり借りてもろたりして提供することですか」
「いっぽうの蓄積はその地域に関わりのある本とか資料を収集していつでも活用してもらえるようにすることです」
「要するに図書館に行ったらその地域のことがすべてわかるようにすると」
「ただしどこの図書館も流通に比べると蓄積の分野が弱いみたいでして」
「なんでですねん」
「新刊の流通にはある程度のシステムが確立されてますからそれで行けるんですけど地域独自の情報を収集したり体系化したりするためにはそれなりの知識見識やノウハウが必要ですから」
「そのへんがネックですか」
「ですから公立図書館は無料貸本屋かという批判も出てきてましてね」
「けど地域住民の税金で運営されてる図書館が住民の要望に応じて無料で本を提供するのは当然のことや思いますけど」
「もちろんそれは大原則です」
「そしたら無料貸本屋として流通の役割を果たしながら蓄積のほうももっと頑張って進めなあかんわけですか」
「車の両輪みたいなもんですから」
「名張市立図書館はどうですねん」
「郷土資料の収集には努めてますけどそれ以上は踏み込めてない感じですね」
「それやったら民間委託をきっかけにそこらのことも考え直したらよろしがな」
「考え直すゆうたかて結局は人材と予算が必要になってくる話ですから」
「人材も予算も期待できませんか」
「しかもいまや浅薄な評価主義がお役所にも蔓延してますから困ったもんで」
「評価することは必要ですがな」
「この浅薄な評価主義はじつは年金の未納未加入問題と同じなんです」
「どうゆうことですねん」
「白か黒かの幼稚な基準だけ設けてそれですべてを評価するわけですから」
「そんな風潮はあるかもしれませんね」
「年金という要素だけでひとりの人間を評価することなんかできるわけないんですけどいまやそうゆう幼稚さがすんなり受け容れられる時代なんです」
「ある意味危険な時代ですね」
「ですから公立図書館も来館者数とか市民ひとりあたりの貸し出し冊数とか」
「表面的な数字だけに基づいて評価をくだしてしまいがちになるわけですか」
「図書館運営を民間委託したらその手の浅薄な評価主義がさらに幅を利かすんやないかと僕は危惧してるんですけど」
「公立図書館としては数字に表れない仕事も進めなあかんわけですからね」
「要するにトータルな問題なんです」
「ほな君は民間委託に反対なんですか」
「もちろん賛成なんですけどちゃんと検討を進めてもらわな困りまっせと」
「それはそうですね」
「ところが人材も予算もないうえに検討を進めるのがお役所の人たちと来てはやっぱり話は終わったも同然ですか」
「せやから勝手に終わらすなゆうねん」

「でもええ機会ですから乱歩のこともぜひ検討していただきたいと思います」
「君がそんなひとごとみたいなことゆうとったらあきませんがな」
「でも僕の考えは去年の秋ごろ名張市教育委員会にお伝えしてありますから」
「どんな考えですねん」
「ちゃんとしたことでけへんのやったらすっぱり手ェ引いたらどないやと」
「乱歩から手を引くんですか」
「じゃーん」
「え」
「名張市は乱歩から手を引けキャンペーンの一環なんですけどね」
「またそれですか」
「いまならダブルチャンスですし」
「何がダブルですねん」
「立教大学が乱歩の旧宅とか蔵書とかすべての遺産を継承してくれまして」
「それは僕も聞き及んでますけど」
「いまなら名張市立図書館が立教大学に後事を託すことが可能なはずなんです」
「たしかに話の流れとしてはバトンタッチもできるかもしれませんけど」
「そこへ民間委託の話が出てきたんですからこの際乱歩から手を引くことに決めてしまうチャンスでもあるんです」
「せやからダブルチャンスですか」
「君もダブルチャンスにチャレンジしてビッグボーナスをゲットしようぜ」
「クイズ番組やないんですから」
「それで先日も立教大学の先生が雑誌の取材で名張まで来てくださいまして」
「遠路はるばるご苦労さんなことで」
「いろいろお話をしてましたら『江戸川乱歩著書目録』の話題になりましてね」
「図書館がつくったあの本ですか」
「あの目録は素晴らしいと」
「褒めていただきましたか」
「ようあれだけのものをつくったなと」
「えらい褒めてくれはりますがな」
「手に取ってじっくり眺めれば眺めるほど素晴らしさがわかってくると」
「大学の先生からお褒めの言葉を頂戴できたのは嬉しい限りですがな」
「それで僕もふと思いついてその先生に申しあげたんですけど」
「何を申しあげました」
「えらいすんまへんけど乱歩の目録つくるとかその手のことこれからは立教大学のほうでやってもらえませんやろか」
「君そんなことゆうてしもたんですか」
「ついふらふらと心のままに」
「先生はなんとおっしゃいました」
「いやそれは駄目だぞと。名張市立図書館がつくった乱歩の目録はいまや名張市の財産なのだぞと。その財産をさらに充実させるのが名張市の責務なのだぞと」
「それもありがたいお言葉ですがな」
「でもその責務は教育委員会がみずからの問題として考えるべきことですから」
「それはそうでしょうね」
「僕にはインターネットを活用した江戸川乱歩アーカイブとかいくつかプランがあるんですけど教育委員会にそれを実現するだけの覚悟があるのかどうか」
「ほなどないしますねん」
「名張市教育委員会もこのダブルチャンスにチャレンジして一度でいいから乱歩のことを真剣に考えてみないか」
「クイズ番組やないゆうとるやろ」

(名張市立図書館カリスマ嘱託)

掲載2004年6月30日
初出「四季どんぶらこ」第31号(2004年6月21日発行)