第七話

美しい屍体の保存法

 江戸川乱歩が昭和四年に発表した「蟲」には、一箇の美しい屍体が登場する。この年、乱歩は小説のなかで十人前後の女性を殺害しているが、もっとも美しいのは「蟲」に描かれたそれだろう。その屍体が醜い物体に変容してゆくさまを、乱歩は克明に描写する。
 屍体の玩弄は乱歩の十八番で、「蜘蛛男」や「盲獣」といった作品をひもとけば、殺人者によって愉しげに弄ばれる屍体は枚挙にいとまがない。ところが「蟲」だけは、いささか事情がちがっている。主人公は恐怖に駆られて屍体を玩弄するのである。
 この作品の主題は、「目に見えない極微の蟲」が屍体を「スロー・アンド・ステディに腐蝕して行く恐怖」であると乱歩は打ち明けているが、どうやらこの恐怖には、緩慢な時の流れが若く美しい肉体を否応なく蝕んでゆくことへの恐れもまた、遠い谺めいて反響しているように思われる。主人公が屍体を相手に試みるのは、絶頂から急激に崩れ落ちようとしている美を固定すること、つまりは時間の流れを塞き止める行為にほかならないのだ。
 だとすれば「蟲」は、むしろ現代において読まれ、演じられるべき作品であるといえる。人がこれほどまで若さに執着し、老醜を忌避し、美容や健康に名を借りた身体加工に狂奔して怪しまない時代にこそ、「蟲」の恐怖はより身近だからである。もしかしたら私たちは、時間という冷酷な支配者に対するはかない抵抗として、せめて美しい屍体になりたいと願っているのかもしれない。
 もっとも、「白昼夢」や「黒蜥蜴」といった作品では、美しい屍体の保存法は手もなく実現されている。むろんそれが乱歩の本領であって、要するに乱歩は、時間という支配者に叛旗を翻し、時の流れない王国に君臨することを望んだ作家なのである。蟲の恐怖から解放されたそうした世界を、私たちは少年探偵団シリーズに端的に発見できるだろう。齢を取ることのない永遠の少年のなかに。

(名張市立図書館嘱託)


初出 「続・乱歩夢幻館【狂恋編】」パンフレット、1995年9月5日、劇団潮流発行
掲載 1999年10月21日