第十三話
乱歩記念館貼雑記録
2001年を迎えた。
昨年一年を振り返ると、江戸川乱歩をめぐる最大の話題は、東京都豊島区が打ち出した乱歩記念館の建設構想であったといっていいだろう。
しかし、春先に公表された豊島区の記念館構想は、秋になってあっけなく断念されるに至ったと伝えられる。
豊島区からは正式なアナウンスがないようだが、関係者のあいだでは、構想の断念はすでに周知の事実となっている。
20世紀から21世紀に引き継がれるべき乱歩の土蔵と蔵書は、保存公開のめどが立たないまま、世紀の変わり目を越えたことになる。
2001年の劈頭に、乱歩記念館構想の経過を「貼雑」で記録しておく。
●広報としま
豊島区の乱歩記念館構想が最初に公表されたのは、豊島区の広報紙「広報としま」1999年7月5日号においてである。
その年4月の区長選挙で初当選した高野之夫区長が、区議会6月定例会の所信表明演説で記念館の構想を明らかにした。
演説の概要を報じる記事のなかから、「地域文化の振興」という項目の全文を掲げる。
地域に根ざした文化活動に、区としても積極的に支援し、次世代へ引き継いでいくべきであると考えます。また、区内の現存するいくつもの文化的遺産を次世代に引き継ぐために維持・保存に努めます。今回、西池袋の故江戸川乱歩の旧宅を活用した「記念館」の開設に向け、区としての取り組みを検討します。 |
豊島区は構想に着手し、2000年度予算に記念館建設のための調査費百万円を計上、2000年2月9日に新年度予算の記者発表を行った。
翌10日、全国紙の東京版には乱歩記念館の見出しが躍った。
●東京新聞
「東京新聞」は「池袋に乱歩記念館構想」「邸宅利用 遺族が寄付申し出」と四段見出しの扱いで、リード全文は次のとおり。
日本を代表する推理作家で、「怪人二十面相」の作者としても有名な江戸川乱歩(一八九四─一九六五)の邸宅を利用した記念館の建設計画が九日、明らかになった。遺族が公開を前提にして、東京都豊島区に数万冊の蔵書を収めた土蔵や応接室の寄付を申し出ており、同区は新年度予算で邸宅や資料の基礎調査を行う。高野之夫区長は「苦財政は厳しいが、調査の後、十三年度から具体的な形にしていきたい」と意欲を見せている。資料が公開されれば、乱歩研究だけでなく、日本の推理小説の変遷にも光が当たることになりそうだ。 |
●朝日新聞
「朝日新聞」は、「旧江戸川乱歩邸を/一般公開向け調査」「豊島区、2000年度から着手」と三段見出しを掲げた。
記事のうち、家屋と蔵書に関する部分を引く。
旧乱歩邸は、立教大学に近い約千二百平方メートルの敷地に、木造家屋と土蔵がある。乱歩は、一九三四年から死去する六五年までの三十一年間、ここに住んだ。 |
●毎日新聞
「旧邸、丸ごと公開へ/気分は少年探偵団」と見出しをつけた「毎日新聞」は、土蔵の概観と内部の写真二点を掲載して報道した。
西尾英之記者による記事。
乱歩の死後は、長男で立教大名誉教授の平井隆太郎さん(78)ら遺族が住んでいたが、最近になって区に一般公開を条件に、土蔵と洋館、土蔵の収蔵品の寄贈を申し入れた。 |
毎日は翌11日のコラム「余録」でも、乱歩記念館の話題をとりあげている。
●産経新聞
「産経新聞」はやや遅れて2月20日、読書欄で乱歩記念館の構想を報じた。
宝田茂樹記者の記事。
記念館構想を積極的に推進している高野之夫区長は三年前(平成九年)、都議時代に区の川島滋教育長とともに平井家を初めて訪れ、乱歩の土蔵の一般公開に関する話し合いを水面下で続けてきた。昨年四月の区長選では、これを公約の一つとして当選を果たしており、「区の財政はたいへん厳しいが、とかく暗いものになりがちな池袋のイメージを明るく文化的なものにするために、これらの貴重な文化財を一日もはやく一般公開できるように努力したい」と決意を固めている。 |
記事のなかには、乱歩の蔵書に関して「江戸時代の和本のコレクションや、海外の探偵・推理小説など、計三万点にも及び、資産価値は、現在の価格で「十億円は下らない」という専門家もいるほどだ」との記述もある。
ここから先は「貼雑」ではなく、見聞に基づいた記録になる。
昨年11月、群馬県の徳冨蘆花記念文学館で開かれた「江戸川乱歩展」に赴いたとき、同館学芸員のUさんから、豊島区の構想が駄目になったと寝耳に水の事実を聞かされた。
Uさんは、乱歩展のために西池袋の乱歩邸に足を運ぶうち、平井隆太郎先生からある日そう知らされたのだという。
群馬から名張に帰り、豊島区役所に確認すると、果たして財政難のために断念せざるを得なくなったとのことで、豊島区長が昨年10月、平井先生のもとを訪れて正式にその旨を伝えたという。
乱歩ファンの胸を高鳴らせた記念館の夢は、わずか八か月でうたかたと消えた。
上に「貼雑」した記事からも知られるとおり、乱歩邸の土蔵はそれ自体が文化財であり、蔵書は乱歩の脳髄を書籍の形で明示するいわばデジタル情報であり、また本邦探偵小説史の第一級の資料でもある。
ちなみに乱歩は、「私の本棚」(昭和29年)という随筆で、みずからの蔵書を五つに分類して紹介している。
第一は、徳川時代の和本。
第二は、国文・国史関係の洋綴じ本。
第三は、犯罪・変態心理関係などの洋書。
第四は、日本語で書かれた古代ギリシャものと心理学犯罪学など。
第五は、内外の探偵小説。
没後三十五年を経てなお生前の状態をとどめているこれらの蔵書が、今後とも散逸することなく保存され、体系化され、そのデータが広く公開されることが強く望まれるが、それをいったい誰が、あるいはどこが手がけるのか。
こと乱歩の土蔵と蔵書に関しては、21世紀は深い霧のなかに始まったというしかない。
●掲載 2001年1月6日