第二話

書簡

小酒井不木

大正十二年

 江戸川乱歩氏宛    七月三日発

 御手紙うれしく拝見致しました。御親切な御言葉を切に感謝致します。森下さんから『二銭銅貨』の原稿を見せて頂いたときは、驚嘆するよりも、日本にもかうした作家があるかと、無限の喜びを感じたのでした。私の眼に誤りがあるかもしれませぬけれど、あなたには磨けば愈〔いよいよ〕光る尊いジニアスのあることを認めて居ります。どうか益〔ますます〕つとめて下さい。『創作のために費さるゝ時間の少い』といふことは如何にも残念ですが、あなたのやうな見方で人生を観察さるゝ方は、『無味乾燥』な生活のうちにも題材は得られませうから、怠らず心懸けて下さるやう御願ひします。
 私はドストイエフスキーが大好きですが『カラマゾフ』や『罪と罰』にはやはりあなたの仰しやるやうに探偵小説的色彩の多いために、引きつけられます。語学などは仰せの通り暗号を読むと同じ気分になつて始めて興味が湧いて来ます、私は高等学校時代に梵語をかぢつて見ましたが、限りない面白味を感じました。一時は辞書のない言語で書かれた記録を読む学問(広い意味の考古学)を研究して見やうかとさえ思ひましたがたうとう医学を修めるやうになつてしまひました。然し幸に動物実験といふ楽しい探偵的の仕事をするやうになつてから、多少なりとも好奇心を満足させられましたが今はかうして静養して居る身の実験室から遠〔とおざ〕からねばならぬやうになりましたから、探偵小説や犯罪学をかぢつて、せめてもの慰安として居るやうな訳です。どうかこれからどしどし立派な作品を生産して私を喜ばせて下さいませ。
 『恐ろしき錯誤』発表の日は待ちかねます。『赤い部屋』は出来上りましたら是非拝見致したいものです。今後はこれを御縁によろしく御交際を御願ひします。とりあえず御返事迄

大正十三年

 江戸川乱歩氏宛    十一月二十五日発

 玉稿『心理試験』繰返し拝読しました。いつもながらのプロツトの巧みさに心から感服致しました。実にいゝ所をつかまれたものと思ひます。叙述にも内容にも寸分の隙もありません。たゞ低級な読者はあまりに高尚だといふかもしれませんが、錦を見て高級な人でも低級な人でも一様に感服すると同じく、かうした上品な作物を示すことは読者にとつても極めて有益であらうかと思ひます。
 ひいき目で物を見ると正鵠を失するかもしれませんが私はあなたの凡ての作品を、海外の各篇と比して少しも遜色のないものと見て居ます。『D坂の殺人事件』はたしか『新青年』一月号に出る筈でまだ拝見して居りませんが、あとの作品は一つ残らず熟読しよく記憶して居ります。そしてあなたは探偵小説作家として十分立つて行くことが出来ると確信して居ます。作品の紹介は森下さんが喜んでやつてくれませうけれど私も及ばず乍らいつでもその労をとりますから一つ今後はその方面に専心になつて見られたらどうです。
 玉稿
 30頁の phygmograph は sphygmograph の誤ですからなほして置きました。膝の関節を軽く打つて生ずる筋肉の『痙攣』は生理学上の用語からいへば『■〔手偏+畜〕〔ちくじやく〕』とするのが本当ですが『収縮』として置けば痙攣よりも適当です。尤もこれは『膝蓋腱反射の多少を見る方法』とした方が医学的には正しいかもしれません。
 四月号にはまた一両篇御書きになるとの事是非拝見致したいものです。玉稿は別封御かへし致しました。御健在を祈り上げます。

大正十四年

 江戸川乱歩氏宛    六月十七日発

 御手紙うれしく拝誦致しました。序文遅れて申訳がありませんでした。別封書留郵便で御送りしましたから、御受取を願ひます。何だかヘンなものになつてしまひましたが、一般読者のことを考へて、あの程度にとゞめて置きました。探偵小説の沿革とか、外国作家のことなどを書かうかとも思ひましたが、キリがなくなりますし、又、前田河氏などに喰つてかゝるのも、場所が場所ですから、折角の創作集をだいなしにしてもいかぬと思つて、あつさりと片附けて置きました。然し私があなたの作物に対して持つて居る心持はあれで大分あらはれたと思つて居ります。お気に入らぬところは何とぞ御諒恕を願ひます。
 校正は出来るならばあなたの方で御すまし下さるか、春陽堂へまかせて頂いてよろしう御座います。
 探偵趣味の会益々隆盛の由愉快でなりません、近いところで出席が出来たらどんなにか喜ばしいだらうと思ひますが意に任せません。会員たること無論意義のあらう筈はありません。雑誌創刊について金がいるようでしたら出しあつてもかまひません。それにしても創立早々これだけの会員の出来たことは大成功だと思ひます、星野さんに御逢ひの節よろしく申し上げて下さい。
 『苦楽』の拙作に対しての御言葉恐れ入ります。碌なものではありません。いつも理屈つぽくなつて蝋をかむやうなものです。八月号には『ふたりの犯人』として打出二婦人殺しの解釈をして見たものを送りました。これも小説だやら講義だやらわからぬものです。『序文』の中へ書いたように探偵小説も芸術として書かれねばならぬといふ自分の主張であり乍ら自分の書くものは、やつぱり駄目です。春田君の批評は一々もつともです。然し自分ではあれでせい一ぱいなのです。いつも材料を取り扱ふたび毎にこれをあなたなら定めし私が満足するやうに表現するだらうになあ、と思はぬことはありません。苦楽の『夢遊病者』などあの題材をあれだけに生かす手腕は並大抵ではないのです。片岡さんのなど、軽くてよいけれど、あなたの作のやうに底力がない。やつぱり、どの作を見ても、あなたの持つて居る天才的な力のひらめきが充ちて居る。それが幾重にも羨しくもあり尊くもあるのです。
 『死蝋』なんども、ねらつた的にぴちんと射当てゝあるのがうれしいのです。春のいらいらした気持、犯人の裏の裏を行く恐ろしいたくみ。然しあれほどコツたものになると、恐らく通り一ぺんの読者にはこの味がわからぬかもしれません。『駄作乱発云々』とあなたは仰しやいますけれど、あれで駄作ならむしろ盛んに駄作をやつてもらひたいものです。そんなことに卑下して居られると、あなたの持ち味がひつこんでしまひます。憚りなくどしどし製作して下さい。平林さんや加藤さんたちが、いつかあなたの作を批評せられたところを見ると、やはり作品全体として感心してしまふので、やつとのことに、ちよつとしたアラを見つけて挙げて居る様子でしたから、『序文』の中へその弁護を書いて置きました。誰だつてアラのないやうに作りたいのは勿論ですけれど、筆の都合で多少の斟酌をしなくてはならなくなるでせう。誰が何といはうが、私はあなたの作の底に光つて居るものが何時もはつきりと眼につくのです。あなたを及ぶかぎりもり立てゝ行くこそ、私たち日本の探偵小説界に身を置くものゝ義務だと思つて居るのです。大に書いて下さい。
 『新青年』にはルヴエルの模倣のやうなものを送つて置きました。私としては小さいものゝ製作に相当の熱を感じます。三篇送るつもりのが二篇(尤も一篇は二つにわかれて居ります)しか送れませんでした。これから毎月一篇は送りたいと思つて居ります。
 『屋根裏の散歩者』楽みにして待ちます。
 横溝さんの構想はたしかによいものと思ひました。面白いことはあの中に『めくり暦』へ云々とあるところは私が今月の『子供の科学』に書いたことゝ偶然の一致で、私は毒瓦斯の秘密をめくり暦の中へかくして置くことにしたのです。自分の考へるやうなことは人も考へるものだといふことに苦笑させられました。

 御父さんはその後如何ですか、どうかせいぜい慰めてあげて下さい。
 先は御返事と御案内まで。

 江戸川乱歩氏宛    七月十七日発

 拝復
 今朝読売新聞の新刊書目録の中に『心理試験』のはいつて居たのを見て大に喜び早速この旨ハガキで御祝ひ申しあげやうとして居たところへ御手紙に接しました。
 まだ御送り下すつた書物はつきませんが明日は手に入ることゝ焦れて待ちます。

 御父上様の御病気思はしからぬ由本当に同情致します。私のように自由に筆執ることの出来る身分でも小説となると、いらいらしてちつとも思想が纏まらずほとほと閉口して居るのですもの御心配中どうして考を纏めることが出来ませう。探偵小説といふやつは、普通のものとちがひ無駄な時間を構想のために費さねばならず、この苦しさはつくづく私は味ひました。どうか気を挫かれないでやつて下さい。十二分に私は御同情申上げて居ります。私もストオリーその他を書かねばなりませんが、今日は朝から考へても一つもまとまらずポオの小説を読んで暮れてしまひました。
 実際小説書きは辞職したいやうな気持ちです。参考書を見て書く文章なら立ちどころに出来るのに今更、かつたいのかさうらみの為体〔しだい〕です。
 先日春日野さんから大兄が近いうちに来て下さるかもしれんとのことで心待ちにして居りました。父上様御が悪くては致し方ありません。又、少し時間の余裕の御出来になつたときに、来て下さいませ。御父上様の悪いに他行して居られることは気が落つきませぬから、少しよい日が来た時になさつて下さい。松原君はこの月は何でも目がまはる程忙しいのださうです。八月はたしか閑散になるとの事です。八月にゆつくり私の家で落ち合つて語ることにでも致しませうか。
 いずれ又書物を拝見した上に万縷〔ばんる〕申上げます。御父上様を大切に!!

 江戸川乱歩氏宛    八月二十二日発

 御手紙と巨勢氏原稿拝手早速読了致しました。趣味の会のこと、然らば会費の点などは先づぼんやりさせて紹介することにします。然し今月末ですから、二十五日に話がきまつたら一寸御知らせを願ひます、サンデーニユース三月号はたしかまだ貰はなかつたと思ひます。(加藤君のヒゲの小説ののつたのが最後でした)
 巨勢氏の言はるゝところ別に異議はありません、あなたの御作に対する批評も大たい私の心持ちと一致して居ります。全体としては大へんよく書けて居ります。
 探偵小説と所謂高級文芸との関係は近頃やかましく論ぜられるやうになりましたが芸術としていへば一般文芸ものと差別ある筈はありませんが、さうすれば探偵小説といふ名を撤廃してしまはねばなりません。さうなると妙なことになりはせぬでせうか。
 一たいあまり窮屈に考へすぎて従来の探偵小説の型を破らうとすると、こんどは又、之の作者の型が出来上つてしまひます。一般民衆を対象として考へると、型にはまるといふことは好ましいことではありません。之の時々の一寸した思ひつきであつてもちつともかまはぬから之れを作品にあらはして読者に一寸面白いなと思はしめれば之れで沢山でせう。といふ位の元気で書かなければ行き詰るだらうと思ひます。探偵小説の要件としては『面白く』なくてはなりません。ポオの作品には如何にも深い人生観とてはないやうですが、でも言ふに言へぬ程私には面白いのです。一般民衆が二三の優れた批評家のやうな鑑賞眼は持つて居ないのですから、批評家の言葉を無闇に気にするには当りますまい。あなたの持つて居る特殊な感覚、之れを作品を通じて見せて貰へば私には沢山です。あなたの作品が所謂純芸術的作品に近よつたといふやうなことは私にとつては実は第二義なんです。無論こんなことをいふと、何と低級な意見だらうと人は嘲ふでせう。然し笑はれてもかまひません。之れが事実ですから。そして世の中には私と同じくらゐの意見の人も可なりにあるだらうと思つて居ります。
 だからあなたが今後どんな風な工夫を凝らされやうが、あなたの持つて居る特殊な感覚さへあらはれて居れば私は無条件で挫服します。私は歌舞伎芝居を見るとき、役者がどうの、脚本がどうのといふより先に泣かされてしまふのです。泣ければ之れで私は満足するのです。他人の作品を見ましても、よほどメチヤメチヤのものでない限り先づ感心するのです。泣きたい、怖ろしがりたい、驚きたい、笑ひたい、これが私の心ですから、泣かしてくれ、怖がらしてくれ、笑はせてくれ、驚かせてくれるものであれば之れで十分です。

 先夜国枝史郎氏が来られ探偵小説の話が出でゝ私のは無論問題にならぬが、あなたの作品にも説明が多く描写が少ないと言つて居ました。同氏は松本泰氏のは描写になつて居るといふのです。然し描写になつて居ても面白くないものは仕方がないではありませんか。いづれにしても批評といふものは個人個人でちがふのですし、作品に存在の価値がなければ、自然に消滅するものですから当分はどしどし製作することに心がけて貰ひたいと思ひます。
 探偵小説の黎明期に際会して居るのですから、あまり考へすぎると手も足も出なくなり折角開けかかつた道が崩れてしまふやうになります。

 何だかとりとめのないことを書いてしまひました。要するに物ごとは棺を蓋ふて何とやらですから『書く、書く、書く、』で進んで下さい。
 御父上様は? 御大切に!!

 江戸川乱歩氏宛    九月二十五日発

 突然ですが、こんど東京で大衆作家同盟が出来、大兄にはいつて頂きたいと、発起人の池内氏が申して来て、私にも意向をたづねてくれと申して来ました。今のところ同人は、
 平山蘆江、本山、白井、国枝、矢田、長谷川伸、土師清二、直木三十三、池内、小生の十人、だそうです。大兄もはいつてやつて下さい。いづれ詳しくは池内氏から申上げるさうです。
 昨夜川口、国枝両氏来訪大兄の噂をしました。大兄のこと伝へて置きました。よく了解してくれたのみならず大兄を激賞して居りました。

 江戸川乱歩氏宛    十二月(底本は「二月」と誤記)十九日発

 御手紙うれしく拝見しました。大兄の御返事に接して浮び上つた気がしました。この意気込この意気込。大に引受け大に書き破つて下さい。週刊に旬刊に月刊二つは随分苦しいでせうが、(この上『大衆』もありますから)なあにこの元気だけで、突破して行くことが出来るだらうと思ひます。本当に『行き詰り』なんといふ言葉はきいても厭です。どうして大兄が行き詰るものか。早くこの活動振りをみんなに見せてやりたいと思ひます。人間の仕事は、古い言葉ですが『棺を蓋ふて後定まる』のですからさうして又、誰が何といはうと、どんな作物を示さうと、大兄の価値はもう動かすことが出来ないから、今後はたゞ元気を以て進んで下さい。実際また『闇に蠢く』のやうなアトラクチヴな作品を示せば誰も何とも言ひ様がありません。
 仰せのとおり『健全』ものにはどうも私も物足らぬ心持がするのです。ドイルのやうな完璧な作品ですら、やつぱり之れだけといふやうな感じがして来出しました。ちと、病膏肓に入つたのでせうか? 私もそのうちには健全派にはいつて行きたいとも思ひますが、まあ当分は自分の身体と同じく不健全で進むことでせう。
 横溝君の『広告人形』はあれを若し『人間椅子』を読まないで読んだらすばらしいものだと思ひますが、人間椅子を読んで居るために、印象が幾分弱められる憂があります。だから平林君も春田君もとりたてゝ言はなかつたのだらうと思ひます。先日私は新青年から各雑誌の新年号の作品推奨の問合せが来たとき、健全派に敬意を表して『予審調』と『ニツケルの文鎮』をあげ、それから大兄の『闇に蠢く』の三つを答へて置きましたが、前記二つの健全派の作品よりも、私としては横溝君の方が実は少しばかりよけいに好きなんです。けれど健全派の存在を紹介し之れをもり立てゝ行くのも私たちの義務と思ひますので、又実際予審調書は実に整然とした書き方なので、自分にはとても書けさうにないと思つて推奨しました。なお又前記健全派の二つよりも『踊る一寸法師』は比較にならぬほどすぐれたものでせう。国枝氏も非常に感心したといつて来ました。甲賀君の批評は当つて居ります。ポオのホツプフロツグを読んでなかつたら私はポオの何十倍もよい作品だといつたでせう。又実際ポオのホツプフロツグよりも現実的であるだけ私たちは余計に迫つて来ます。
 兎に角当分は御互に不健全に徹しやうではありませんか。さうしてこの世の中をむしろ不健全化してしまはうぢやありませんか。健全派は先づ甲賀君あたりに当分任せたいと思ひます。
 横溝君に御序の節よろしく伝へて置て下さい。横溝、水谷、城、などゝいふ人は今後の不健全派の探偵小説界を背負つて立つて行く人たちで、修行次第で、どんなにでも発展して行くことが出来ると思ひます。
 時に読売新聞に、東京へ御転居のことが出て居ましたがあれは本当ですか?
 御多忙中をさまたげて失礼しました。寒くなつたから御大切にして下さい。

大正十五年

 江戸川乱歩氏宛    二月十八日発

 江戸川兄
 その後はまことに申訳ない御無沙汰を致しました。度々春陽堂の捺印に御立合を煩はし恐縮に存じます。とくに御礼を申上ようと思ひながら失礼しました。といふのは大兄の長篇執筆中、わざと遠慮して居りました。
 そうして先達〔せんだつて〕、横溝君から健康を快復されたときいて早速喜びの手紙を差出そうと思ひましたが、柄にない探偵小説の劇化に一月以来ひまをつぶして、これ又、失礼してしまひました。
 ところが昨夜波屋書房の宇崎君が立寄られ大兄が又少し脈搏の頻数を来されたときゝ、久し振りにこの手紙を書くことになりました。『一寸法師』も愈よ映画になり何よりと存じます。こちらでも『疑問の黒枠』を映画にしようといふ計画がありますけれど、まだどうなるかわかりません。探偵小説が追々劇化され、映画化されて行くことは御互に愉快なことで、何とかして、その方でも物にしたいと思ひます。
 十九日より大阪の浪花座で拙作『紅蜘蛛綺譚』が上演されますので二十二日に春日野君の発起で探偵趣味の会の人が観劇会を催ほしてくれるさうです。是非出席せねばならぬと思ひますが、まだ健康が許さないやうですから出席出来ねば代理を出さうと思ひます。
 探偵小説も昨今は落つくところへ落ついたといふ感があります。それと同時に、この機運を持ち続けるためには長篇小説をどしどし出産せねばならぬやうに思はれます。ですから、この際大兄の健康を切に祈つてやみません。脈搏の頻数などは週期的に来るもので捨てゝ置けば自然に治つて行くと思ひます。どうか安心して執筆に従事して下さい。
 色々申し上げ度いことがありますけれど本日はこれで失礼します。
 御令室様によろしく。

 江戸川乱歩氏宛    二月二十日発

 拝復
 丁度入れちがひになりました。これも昔の以心伝心又はテレパシーの現象かも知れません。御元気な筆蹟を見て杞憂に過ぎなかつたことを知り愉快に思ひます。その調子でやつて下さい。
 二十二日に探偵趣味の会が開かれ、春日野君がどうしても来いといひますので行かねばならぬかと思ひます。新らしく書きおろした方ですと万難を排しても行かうと思ひましたが、といつて折角皆さんが集まつて下さるのをすつぽかすのも悪く一寸困りました。
 東京ではいつやるともわからぬことになりました。新作は大衆文芸の四月号に掲載してもらひます。若し東京でやることになりましたらよろしく願ひます。
 大衆文芸全集にはとても頁数が足らぬので、づつとあとにしてもらひ『疑問の黒枠』やこれから書くものもいれて貰はうと思つて居ります。
 甲賀兄の御元気には感心します。よほどの決心だと思ひます。私など遊び半分といふ気が抜けないのですが、甲賀兄の決心を思ふと、少しは真剣にならねばならぬかと思ひます。尤も又、大兄ほど真剣では、私など一たまりもなく健康を崩してしまふと思ひますが、叱られるかも知れぬけれど、どうかラクな気持で書いて下さい。
 大兄から御手紙を貰つたので久し振りに愉快な気持です。妻もいつも心配して居りました。よろしく申してくれとの事です。

 江戸川乱歩氏宛    三月三十日発

 御手紙うれしく拝見しました。其後私からも久しく御無沙汰して申訳ありません。追々御健康御恢復のことゝ存じます。
 探偵趣味の尊文実にうれしく拝誦しました。御詫びなど以ての外のことです。あれを読んで私は喜びこそすれ、些かの特異感情をも抱きませんでした。実は、小生の作があまりに医者くさく鼻につくといはれて居るので、自分でも之れに対して何か一言書いて見たいと思つて居た矢先、大兄の文に接して、実に愉快でなりませんでした。森下氏も国枝氏も、盛んに所謂研究室ものを続けよといつて下さつて居るのでその上に、あゝした大兄の言葉を頂いたことは、非常に心強く且つ自分の眼の前に垂れ下つて居た雲霧がはれたやうな気がしたのであります。
 私の作品が一部の人に不快な感じを与へるのは全く、大兄の仰せのとほりです。即ち取り扱ひ方があまりにも冷たいからであります。自分でも、いつも思つて居ることですが、自分のこの題材を江戸川兄に取り扱つて貰つたら定めし暖いものが出来るだらうになあといふことは、筆執るたびに考へるところです。科学的な物の見方に訓練された結果作中の人物に同情をもつことが私には出来ないのであります。同情を持たう持たうとして、つひ持てなくなるので、自分ながらあきれて居ります。然し私はなるべく情味の豊かな、暖か味のあるものを生産したいと心懸けて居ます。もう少し修行したならば多少自分の欲するところへ来ることが出来るかも知れません。いづれにしても、尊文は私を非常に力づけてくれました。感謝こそすれ、大兄があれを後悔せらるゝなど以ての外のことです。御友人が『生意気』だといはれたさうですが、ちと見当ちがひな批評ではないでせうか。大兄があれを書いて下さつた真情は私にはわかり過ぎる程よくわかつて居ります。私はあれを読んだ時『ハハァこれは森下氏が私が自分の作品について書き送つたことを江戸川兄に話したのだな』と直感し、之れを大兄が弁護してくれたのだと思つたのです。こんなことで大兄を煩悶させては、却つて私の心配の種です。『まだ神経衰弱が治りきらぬのではないのか』と反問したくなります。どうか御心配をさらりと捨てゝ下さい。

 五階の窓。愈よお書き下さつた由、最後のしめくゝりを受持つた私は好奇心と興味と心配とがごつちやになつて居ます。まあ何とかしてごまかすことが出来れば御なぐさみだと思つて居ます。
 一昨日国枝氏と料亭で会談してたのしく一夜を過しました。国枝氏も『火星の運河』に感心して居ました。あゝした夢幻的色彩をもつた作品は大兄の独壇場、これからもどしどし発表して下さるやう御願ひします。私も大兄はじめ一部の人々の御すゝめによつて、今暫らくは所謂研究室ものを続けて行かうと思ひます。

 どうかご家族の皆様によろしく御伝言下さいませ。とりあへず御返事まで。

昭和二年

 江戸川乱歩氏宛    十一月二日発

 拝啓その後御無沙汰致しました。
 偖〔さて〕突然のことですが、探偵小説界も大衆小説界もどうやら千篇一律になつて来ましたから、この際どうしても局面を展開する必要があります。之れについては本当の意味の合作をして二人以上の人が十分練り合つて、昔の浄瑠璃作者のやうにして、いゝものを多量に製産するに如くないと思ひます。それで国枝氏と相談した結果双方非常に乗気になり、国枝史郎氏は土師氏を誘ひ小生は大兄を御誘ひ致しこの挙に賛して頂きたいが如何でせうか。無論各自単独のものを発表することは従前通りにして或は若し都合よかつたならば当分合作専門で進んでも、大衆を喜ばせさいすればよいと思ひますが、如何でせうか。差し当りこの四人でないと一堂に一定期日間参集することが出来ぬのですから、殖す必要あれば後に殖すとして、とに角素晴らしい作品を提供したいと思ひます。先に連作をやりましたが、連作は尻取りですからいけません。本当の合作をして若し成功すれば大衆芸界を一時風靡し得ると思ひます。又それ位の意気込がなくてはなりません。探偵小説と髷物及び大衆劇といつたものをも製産したいと思ひます。西洋の大衆小説合作はヂユーマ、探偵小説の合作はリースやスーヴエストルなどすでにやつて居りますが、日本でははじめてゞ御座います。
 二月号から私は新青年に長篇を約束しましたが、若し出来たらこの合作で行きたいのです。とに角この手紙と同時に横溝君へ、大兄たちの御賛成なくとも国枝氏と小生合作で書くことに申出ました。いづれにしても、大兄の御意見を御伺ひ致したいので御座います。一方に於ては創作的の修業にもなり、単独でもいゝものが書ける気が起きるかも知れません。とに角御賛成を切望します。

昭和三年

 江戸川乱歩氏宛    一月三日発

 御手紙拝見しました。小此木氏に診て貰はれし由さういふ状態では嘸〔さぞ〕不愉快のことゝ存じます。鼻茸があるとすれば先づ鼻茸だけとれば非常に楽になると思ひます。三つとも一時に手術するのはどうでせうか。これは無論専門家の意見に従はねばなりませんが、この辺のところよく相談なさつて下さいませ。鼻茸の手術は一両日でなほつてしまふ筈です。蓄膿扁桃腺の手術もそんなに時日はかゝらぬものと思ひます。で、たとひ今すぐ手術を受けられても合作の執筆には差支ないと思ひます。
 若し大兄が名古屋で手術を受けられるやうでしたら八木沢教授にたのみ病室も都合してもらつて出来るだけの便利をはからひます。たゞさうすると、奥様が心配なさるで、これは強ひてすゝめることも出来ません。名古屋でしたら大兄が病床に居られても小生がそばへ行つて合作すればやれますから、その点は都合がよいと思ひますが合作ゆゑに色々な不便をしのんでもらふのは心苦しいですから、この点はたつてとは申しません。東京では名医がいくらもありますけれど鼻茸や蓄膿や扁桃腺肥大の手術は少し経験の積んだ人なら誰でもよいと思ひます。
 合作はなるべくなら大兄が一貫して書いて頂きたいですが、やむを得ぬ時には他の四君と相談して何とか致します。然し若し出来ることなら五十枚分を二十枚ぐらゐにした節書(?)でも書いて下さると非常に都合がよいと思ひます。
 尤も病気の程度にもよりますから、手術後の経過がどれくらゐかゝるものか一度小此木氏にきいて御覧になるとよいと思ひます。
 大兄の頭痛は必ずしも之れ等の三つの病の為ではないと思ひますが、然し不愉快のほどは御察ししますからあまりたえられぬやうでしたら、とに角手術を受けて早く苦痛から脱して下さい。若し名古屋でもよいといふことなら、すぐやつて来て下さい。その手順を運びます。

 江戸川乱歩氏宛    十一月三十日発

 拝復廿四日に小生宅にて四人集合、それから電車で新舞子国枝氏宅を訪ひ、後舞子館で夕食をとりました。小生のみ帰宅あと三人は舞子館にとまられました。東京出発前平山さんに電話をかけてもらひましたがよく通ぜずとの事でした。大兄が来られないので小生は殊更さびしい思をしました。大切にして下さい。来月は仕事のない限り会はやすみます。
 ヒキの方先日みんなに話しました。無論その条件で結構ですから博文館に約束して下さいませんか、題名変更は大兄に一任します。出版部の人と相談して然るべく御きめを願います。
 寒くなつたから大切にして下さい。そのうち一度名古屋へ来てくれませんか、小生目下研究室に詰めきつて原稿書きはやめて居ます。委細は後便に。


小酒井不木(こざかい・ふぼく)明治23年10月8日−昭和4年4月1日(1890−1929)
初出・底本 昭和5年(1930)/『小酒井不木全集第十二巻』1930年5月、改造社/p.388−389、p.400−408、p.411−415、p.420−422、p.462−464、p.473−475
注記 底本は総ルビ。昭和2年11月2日発の書簡は、底本では昭和3年11月2日とされているが、文中にある「合作」が昭和3年2月連載開始の「飛機睥睨」と見られるため、昭和2年の便と判断した。【2002年5月7日追記】大正13年11月25日発の書簡は、底本では大正14年11月25日とされているが、誤りであるため訂した。
掲載 1999年10月21日