第三話

日本探偵小説界寸評(抜萃)

国枝史郎

 「二銭銅貨」を提げて、探偵小説創作界へ、突如として姿を現はしたのが、他ならぬ江戸川乱歩氏である。トリツクを二重に使つた所が、この作の最も面白い点で、それに過大に引つかゝつたのが小酒井不木氏だから更に面白い。その結果最上級の讃辞なるものが小酒井氏によつて提供され、忽ち乱歩氏は斯界に於ける第一人者に押し上されて了つた。また多幸なりといふべきである。この意味に於て「二銭銅貨」は、処女作であると共に出世作であり、通用価値は二銭でも、どうしてどうして粗末にはならない。千金ぐらいに当らうもしれぬ。よろしく財布の底の方へ大切に仕舞つて置く必要がある。
 「心理試験」も有名ではあるが、既にポワロの作があり、それに本来心理試験なるものが、犯人捜索の手段として、指紋ほどには必然性が無く、探偵小説の材料にするには、多少力弱い難がある。それにもかゝはらずその心理試験を、無雑作に肯定してかゝつた所に、この創作の不用意さがある。心理の推移解剖が、常識圏内から出られなかつたのも、その欠点の一つであらう。また「D坂の殺人事件」に於て変態性慾者を二人まで出して紛糾した事件を片付けたのは、よく云へば利口であり悪く云へば狡猾である。アブノーマルの人間を、探偵小説の舞台へ出したら、どんな怪奇でもどんな不思議でも、きはめて楽々と作ることが出来る、その代り作の感銘が稀薄になるの嫌ひがある。聞けば同氏は職業を捨て、探偵小説の創作に、専心努力する決心だといふ。
 「探偵趣味の会」も、氏の事業の一つださうな。情味豊な其文章、行き届いた描写の筆、これは既に定評あるもの、関西式ぞんざいの其中に、一味沈鬱をまぢへたやうな、氏の性格は面白い。


国枝史郎〔くにえだ・しろう〕明治21年10月10日−昭和18年4月8日(1888−1943)
初出 大正14年(1925)/「読売新聞」8月31日
底本 『江戸川乱歩全集第十一巻』1932年4月、平凡社/p.475−476
掲載 1999年10月21日