第四話

『心理試験』を読む

平林初之輔

 探偵小説の類は、西洋でも所謂『軽い読物〔ライトリーデングス〕』として、文学上には大した地位を占めてゐないのが普通である。戦後に書かれた二三冊のフランス文学史を開いて見ても、私はモオリス・ルヴエールの名前すら発見することができなかつた。探偵小説の本場である英米に於ても恐らく同じであらうと思ふ。ウエルズや、チエスタトンやハガアドなどは別として、純粋の探偵小説家で、所謂『文壇』に重きをなしてゐる人は殆んどなからうと思ふ。
 それには色々な理由があるであらうが、作者自身が『肩の凝らぬ読物』を書くのだといふことに、一種責任が軽くなつたやうな感じをもつて、自分で求めて文学界に特殊の一郭を形づくつて満足してゐたせゐもあるであらう。
 けれども凡ての文化の進化がさうである様に、文学も益々細かく分化して行くと同様に、益々広汎な範囲に綜合されてゆく。ちやうど、科学界に於て、細かい発見が年と共に附加されてゆくと同時に、より一般的な原理によりてこれが包括的に説明されてゆくのと同じである。古典時代の文学と二十世紀の文学とを比較して見れば、そのことは一眼でわかる。前者に於ては文学の領域は極めて単純で、殆んど韻文に限られてゐたがその韻文が如何に細々しい形式に別れてゐたことであらう。悲劇、喜劇、史劇、抒情詩、叙事詩、牧歌、悲歌……其他々々が、それぞれ形式的にきちんと区別されてゐたのである。ところが今日では、百千のイズム、形式が混在してゐると同時に、文学の全体的綜合、更に進んで音楽も絵画も文学をも包括する綜合的境地が開拓されつゝあるのである。
 小説もますます細かく分すると同時に、各部門の境界が混融して合体せんとしてゐる。日本の文壇で執拗に信じられてゐる純文学と通俗小説とのやうな素朴な二元論は今や存在理由を失ひつゝあるといつてよからう。この意味で私は探偵小説の個性をも認めると同時にその一般性をも認めたいのである。
 江戸川乱歩氏の近業『心理試験』は、この意味で興味がある。江戸川乱歩は日本が生んだ最初の探偵小説家であるといふことは氏の作を読んだ人々の間の定評である。この『定評』を分析して、もつと正確に言ふと、江戸川乱歩は、探偵小説を芸術のレヴエルに引き上げたといふことになる。何となれば赤本の探偵小説は従来いくらも日本にだつて流布してゐたからである。
 小酒井不木氏は『心理試験』の序で、江戸川氏の作品を評して『到底外国人では描くことのできぬ東洋的な深みと色彩』とを強調してをられる。実際西洋人の作品にばかりなれた私どもには、これ等の作品に通ずる『東洋的』色彩をはつきりと感ずることができる。けれども、これまで、日本の探偵小説ばかりよんでゐた人を仮定して、その人が『心理試験』から受ける感じは、恐らく、『東洋的』ではなくてモダアンといふ色彩であらう。『日本刀のニホヒ』の他に、注射針の感覚や麻酔薬のニホヒにも打たれるであらう。
 といふわけは、『日本的』であるに拘はらず、可なり大胆に『日本的』を脱してゐるといふ意味なのである。特に『赤い部屋』などに於ける、変質的刺激追求者の心理の描写には少くも伝統的な『日本的』と相容れないものがある。奔放に『日本的』の堰〔せき〕を躍り出してゐるところがある。これほどの奔放さは、江戸川氏自身の私淑する谷崎潤一郎氏をおいて他に類例がない。そして谷崎氏は日本的よりもより多くコスモポリタンである。

 犯罪が構成されるには色々な動機や機縁があるであらうが、江戸川氏は、その中で、特に、変質とか偶然とかに興味をもつてゐるやうに思はれる。そこで犯罪のための犯罪、刺激のための刺激、探偵のための探偵といつてもよいやうな場合が許されてゐる。併しそれが程度を越すと必然性を犠牲にしなければならなくなり、事件が人生と遊離して来る危険がある。勿論ウイツトを主とするものにまで私は『人生味』を註文しはしない。又事件の進行を主とするものにもあまりにそれを註文しはしない。たゞ氏の最も得意とする異常心理の描写物は、蔦〔つた〕のやうにしつかりと人生にからみついてゐる必要があると思ふ。
 『心理試験』をよんで感心するのはむらがなく、どれも相当の苦心をもつて書かれてゐる点である。どれを読んでもごくつまらんといふやうな感じがしないことである。そして作者の表現力と、豊かな常識と、努力とが三拍子そろつてゐて、危つかしい、たどたどしいところが微塵もない点である。
 たとへば、暗号などは、それだけ考へるにでも二日や三日はつぶさねばならぬやうな念のいつたものがつかつてある。但し暗号もたゞ暗号のために暗号をつかつたやうな形跡がないでもない。暗号のつかつてある作は、『二銭銅貨』と『黒手組』と『日記帳』と『算盤〔そろばん〕が恋を語る話』とであるが、暗号が之等の作品をすべて硬化してゐる様に思はれぬでもない。
 要するに私は、この集にをさめられた作品の全部を近頃にない非常な興味をもって一気に読了した。あつと言はされたり、ほとほとうまさに感心した場合も少くなかつた。けれども、戦慄とか恐怖とか雀躍〔こおどり〕とかいふやうな程度の高度の神経細胞の攪乱を与へられたことはなかつた。そこに、この作者のみならず、恐らく一般探偵小説の一歩前進を期待してやまない。
 一言でこの創作集の価値をあらはすならば小酒井博士の言葉をかりるのが最も便利である。曰く、
 『この創作集は日本探偵小説界の一時期を劃する尊いモニメントといふことができるであらう。』


平林初之輔〔ひらばやし・はつのすけ〕明治25年11月8日−昭和6年6月15日(1892−1931)
初出 大正14年(1925)/「新青年」10月増大号
底本 『平林初之輔文藝評論全集 下巻』1975年5月、文泉堂書店/p.238−240
掲載 1999年10月21日