第八話

江戸川乱歩の持ち味

浜尾四郎

 江戸川乱歩氏の全集が世に出た。まことに喜びに堪へない。この全集は夙に出づべくして出なかつたものである。
 乱歩氏は実にわが国に於ける探偵小説の祖である。現今の如く日本探偵小説華かなる時代からは、一寸想像もつかぬことであるが、乱歩氏がその処女作を発表した当時のわが国は、探偵小説については全く無関心であつた。たまたまこれにふれるものあるもわが国民の生活様式、建築方法等から見て純粋の日本式探偵小説は到底出来るものではない、といふ悲観論が多かつたのである。
 この時代において、敢然として力作を発表した氏は、これらの批評に向つて烈しき抗議を出したわけである。評者達は悉く驚異の眼を見張った。
 それからつゞいて、探偵小説の流れをたやさず現今の隆盛時代にひきづつて来たのは必ずしも氏一人の功績とはいへぬかもしれないが何といつても氏がまづ第一にその道を開いたといふ功績を認められなければならぬ。
 氏の作には本格と称する形式のものと然らざるものとある。非本格探偵小説の中にも、純粋に理智的な作品と、全く煽情的な鬼気人に迫るものとがある。この後者に至つてはポーを偲ばせるものが多々あるが、現代わが国において乱歩氏以外の何人にも企て及ばざるものが多い。
 本全集の構成を見て先づ気が付くのは、その分類法の巧なることだ。どの一巻をとつてもその中に今いつた種々のフオームの作品が盛られてゐるのが面白い。
 最近、氏は、全く大衆的な作を陸続として発表してをられる。これは氏の盛名を特に大になしたものであるが、さういふ作ばかりで氏を知つてゐるものは、本全集を手にしてその初期、または第二期の作品を見て再び驚嘆するであらう。また反対に第一期第二期の作に親しき人々は最近の大衆的な作品を見てまた驚くことだらうと思ふ。なほ氏の作品についてはいろいろ批判したいが今こゝにはさし控へる。私が、乱歩氏よりおくれること、約八年にして探偵小説を書きはじめなかつたなら、堂々と批評の一文を草するのであるが、すでに探偵小説家の驥尾に付してゐる以上、乱歩氏は私にとつては大先輩である。従つて批評することは大先輩に対する礼儀としてゑんりよする。


浜尾四郎〔はまお・しろう〕明治29年4月24日−昭和10年10月29日(1896−1935)
初出 昭和6年(1931)/「東京日日新聞」5月
底本 『江戸川乱歩全集第十二巻』1932年2月、平凡社/p.513−514
掲載 1999年10月21日