第九話

乱歩氏の懐し味

海野十三

 誰しも江戸川乱歩といへば、氏の作品に現れてくるやうなグロテスクな人物を想像するだらう。ところが氏に会つてみると、凡そ氏がそれと反対に、如何にも慈悲深いお地蔵さまのやうな人物であるのに駭かされるであらう。或る酒席で若い妓がその席に乱歩先生が交つてゐられると聞き、先生はどこにいらつしやるのか教へてくれと私にせがんだ。私は、それより君が当ててみろといふと、彼女はそれなればと一座を見廻して、遂に指したのはその中の最もグロテスクなる人物だつた。私はその大変な誤りを指摘したが、後で本物の乱歩氏を知り当てた彼女は私に向つて、乱歩先生が、あんな優しい方とは鳥渡信じられないわネと感歎したのであつた。
 しかし乱歩氏の優しさとか懐しさとかはその風貌に於て発見するよりも、更に著しく、氏の平常生活に於て見出すものである。氏は極めて正直であつて飾らない。そしてよく探偵小説のことを心配し、友人の身の上を案じそして新人に関心を持つことも比類なく、「あの人はどうなつたかなア」などと、途中で名前を消した同好の無名作家のことを想出して不図述懐されることが屡々である。人間乱歩の懐し味を感ずる者は、私だけではなからうと信ずる。
 平凡社版の乱歩の全集の第十三巻の最後に「探偵趣味十年」といふのがある。これは氏が十年に亘る創作三昧の赤裸々なる叙述であるが、この一篇を読んだ者は私が此処に云つたことを容易に理解してくれるだらう。私はあの一篇をバイブルとしてゐる。私は腹立たしい時や面白くない時や悲しい時には、人間乱歩を綴つたあの一篇を読みかへして機嫌を直すのが例である。筆を擱くに当つて乱歩氏に申す。どうか貴方もあれを読みかへされてそして以前のやうに元気になつて下さい、と。


海野十三〔うんの・じゅうざ〕明治30年12月26日−昭和24年5月17日(1897−1949)
初出・底本 昭和10年(1935)/「探偵文学」5月号《江戸川乱歩号》/p.6−7
掲載 1999年10月21日