第十四話

薄暗い仕事場と赤い錦絵の蒐集

E・F・G 

 江戸川乱歩──
 『本名平井太郎、三重県の産、本年四十一歳、大正五年早稲田大学政治科卒業……』
 と書いてみたつて別段何の変哲もないのだが、その次へ、
 『落語家、柳家金語楼は、氏の令弟なり』とつけ加へると、大抵の人は
 『へへーえ?!』
 と驚くだらう。驚くはずだ。ほんたうをいふと、こりや嘘なんだから。たゞ、探偵小説家江戸川乱歩さんと、落語家柳家金語楼君とは、ちよつとこんなことをいつてみたいくらゐ顔や、頭の禿具合や身体つきが似てゐるのである。
 【乱歩さん失敬! 金語楼君失敬?】
 乱歩氏は探偵小説家だから、金語楼みたいに矢鱈無精にへらへら笑ひはしない。
 喜劇俳優だの落語家だのといふものは職場以外では却つて陰鬱な人が多いらしいから素面の金語楼を乱歩氏と並べたらますますよく似てゐるかもしれない。
 ては商店の番頭もやつた。会社員もやつた。新聞記者、化粧品製造業、古本屋、チヤルメラを吹いて支那ソバ屋もやつた。一年平均二つ位の高速度で転々として商売を変へたが、いまは探偵小説の第一人者として落付いてゐる。
 曾て兼業として下宿屋をやつたことがあるが、下宿人が待遇改善の争議を起すに及び、迷宮入りの犯罪を解決する名探偵の如く此争議を解決した。つまり、下宿屋を廃めてしまつたのである。で、さて立教大学の横の氏の家を訪ねる。
 『探偵小説をお書きになる様になつた動機といふ様なものを──』
 『もとは、文筆をもつて世に立つなどといふ考へは無かつたんです。探偵小説は好きだつたんでよく読んでゐましたが、そのころ、丁度「新青年」が盛んに外国の探偵小説を飜訳して載せてゐたころでしてね。その時分には、日本には本格的な探偵小説といふものは出現出来ぬといはれてゐたのです。
 つまり、紙や竹で出来てゐる
 本家屋は探偵小説的な犯罪には不向きだといふ理由なんですね。それで、日本の家屋の中でだつて探偵小説的な犯罪は行はれ得るといふので、書き出したのが最初なんです』
 氏の最初の探偵小説は知らないが、その出世作『屋根裏の散歩者』といふのは読んだことがある。
 世の中に飽いて、強い刺激を求めようとする男が、下宿の屋根裏を歩いて、節穴から同宿人の寝姿をのぞいて殺したくなり、開けてゐる口に毒薬をたらし込んで殺すといふ筋だ。これなどは、天井の節穴などといふところ、確かに日本的である。
 も筆者そのころ学生で、この小説を読みながら、天井裏を散歩しても下の部屋の人間に気付かれない程のしつかりした天井を持つた下宿屋もあるものかと、自分の住んでゐた安下宿の、反つくり返つた薄つぺらな天井板を仰ぎみて、慨嘆したことを覚えてゐる。
 『探偵小説のヒントは、概してどういふ点から得られますか?』
 『全部想像です。僕には実際起きた犯罪といふやつは、ちつとも興味がないんでしてね。空想でつくつて面白いと思ふ犯罪でも、それが実際上行はれたりすると、もうすつかり面白くなくなるのです』
 『それでは、旅行したり、道を歩いてゐたりしてるときに、ふと小説のヒントを得るといふ様なことはない訳ですね』
 『ありません。種探しに旅行したりしたこともあるんですが、何もこれといふ様な材料を得たことはないんです。ですから、
 の探偵小説の筋は、みな家の中で、煙草を喫みながら、空想して作り出したもの許りなんですよ』
 『純文芸のものなどもお読みになりますか』
 『えゝ、読みます。いゝものを読んだあとは、自分の仕事も捗どりますね。
 ドストイエフスキイの「罪と罰」なんか大好きですね。この間も繰返し読んだけど、矢張りいゝですね。四、五遍も読んでるんだけれど、矢張りいゝですね。いまごろ始めて読んだら、さぞいゝと思ふのだけれど。日本の作家のでは谷崎さんのものが好きです。谷崎さんのものは、出るたびに皆読んでゐるんです』
 『新聞はどうですか?』
 『新聞の事件などを読むと、却つていけないんですよ。どうもこのごろは新聞を読み過ぎていけない』
 『新聞といへば、かつて「朝日」に「一寸法師」を書かれましたが、近ごろも何かに書いてをられますか?』
 『どうも新聞に書くといふのは苦手でしてね。全部出来上つてから載せる様にするといゝんだけれど、さうでないと、一回一回に何か山をつくりながら筋を運んでゆくといふことが、探偵小説だけに一寸厄介なんですよ』
 『ところで、
 偵小説といふものは、これからどういふ風になつてゆくでせうか?』
 『大体において変りはありますまいね。探偵小説なんだから、その根本が変るわけにはゆかないし、まあ、個性を出すといふ点で変化を示してゆくだけでせう。そいつが厄介で──。このごろ小栗虫太郎といふ人の書いてゐる探偵小説。あれなんかは、なかなか作者の独特の個性が出てゐて面白いですね。僕なんかも、人の真似なんかしても仕様がないし、何処までも自分の流儀のものを考へ、そして書いてゆくつもりです』

×

 『可成り風変りな書斎をお持ちの様ですが……』
 『いや、別に何も変つてもゐないんです。たゞ、土蔵を書斎にしてゐるんです。この前の家でも蔵の中に引込んでゐました。明るいところより、暗い方が、考へるのに都合がいゝし、夏は涼しいですしね。電気も明るいのは使はないで、五燭のを点けてゐます』
 『そのほかに、仕事をなさる時の、なにか癖といふやうなものがお有りですか?』
 『癖といふほどのこともありませんが、書出すと人に会ひ度くなくなるのです。それと机に倚るよりも寝転んで書く位のところですね』
 事をしない時も氏は別に道楽がないんで終日部屋に引籠つてゐるだけださうな。
 出来ることなら一つ素晴らしい地下室が造り度いといふ。迷路の様な怪奇な設計をして、毎日その中を散歩してたらちよつと愉快だらうといふのである。
 ガンドウ返しや抜け道のある地下室なんかは、カフェや待合が造るとなると、とても許されるはずはないが、単なる趣味なら許されるはずだ。
 怪しげな地下室を、独りでニヤニヤしながら歩きまはつてゐても、これが神経が表皮の上に露出してゐる様な、痩せて、蒼い顔の男ででもあると、一寸奇であるかもしれないが、乱歩氏なら別にグロでもあるまい。エロでないことは勿論である。
 『グロテスクなどといふ言葉がお嫌ひとか新聞のゴシップに出てましたが?……』
 『えゝ。グロテスクそのものは嫌ひではないんです。僕が探偵小説を書き出したころ、よくグロテスクなどといはれたものですが、だんだん省略してグロなどといふやうになると嫌ですね。それに「グロ」だつて、「エロ」だつて、グロテスク、エロチシズムといつた言葉の本来の意味とは違つた意味に用ひられてゐるんですね。どうも、いはゆる流行語といふやつは何となく薄つぺらな感じがして嫌ですね。
 の「モチ」なんて言葉を作品の中に入れて書く人なんか、定めしいやだらうと思んだけど。
 どうも流行語になつてしまふと嫌になりますね』
 と、こいつ頗る同感である。
 氏は、血の錦絵が好きで、よく集めてゐるらしい。芳年のものを、以前こくめいに集めて歩いたさうだ。
 奥さんに持ち出さして来させて、いろいろと見せて呉れた。どれも血潮の書かれてある怪奇なものだ。中に一枚釣るし斬りの絵がある。氏はこの絵の、逆釣りの女の裸体に流れる血にヒントを得て、『火星の運河』を書いた。
 『芳年の画いたものは、実に陰惨ですね。
 の色が素晴らしいでせう。にかわを使つてあるらしいんです。顔だつて、後に気の狂つた画家だけに、いかにも狂人の様な顔がよく画かれてゐますね。もつとも、この蒐集も、近ごろはもう飽きてしまつて──』
 と、次々にグロテスクな絵を並べながらいつた。

(E・F・G)


初出 昭和9年(1934)/「週刊朝日」9月発行号、連載「作家と語る」第8回/p.11
底本 「『貼雑年譜』擬 6」1997年2月、江戸川亂歩研究会発行
掲載 1999年12月5日