第二十一話
 江戸川乱歩論序説
村山徳五郎

    

 江戸川乱歩氏の自伝「彼」は、昭和十一年十二月号から、翌年の四月号にわたって、雑誌「ぷろふいる」誌上に連載された。「ぷろふいる」誌は五月号から「探偵倶楽部」と改題し、純営業雑誌として新たに出発することを約束しながら、予定としても最後の「ぷろふいる」四月号をもつて、突如廃刊した。「彼」も命運をともにして未完に了つたのである。「探偵倶楽部」の予告にも引き続き「彼」が見えることから、「彼」は筆者の意に反し、中絶を余儀なくされたと云える。
 その後「彼」は、戦後(昭和二十三年)出版された江戸川氏の第三随筆集「幻影の城主」に収められたが、異同は雑誌連載時の便宜の小見出しが削除された程度で、一行も書き継がれていない。したがつて、氏の幼時の記述をもつて終つた「彼」は、連載自伝と銘打たれながら、事実上彼の「幼年時代」に過ぎないのである。
 しかし、「彼」は「江戸川乱歩」の人間及び芸術家としての生い立ちを立体的に描こうとする意図を最初から看取せしめ、「幼年時代」で終るべく書きおこされたものではない。不惑をこえた氏が、四十歳の年輪と声望とを基盤にした回想であることは随所にうかがわれる。実証的にいつて、「彼」の文中、後述に委ねる部分の少くないことからも、「彼」が更に何倍も書き継がるべき性質のものであつたとする推測は、必ずしも無謀ではあるまい。
 「彼」の中絶は、「彼」の如きが探偵作家によって書かれたこと以上に、不思議な事実なのだ。

 「彼」を取扱うにあたつて、アンドレ・ジイドを引合いに出すのは、たんなる私の趣味ではない。ジイドの名はJ・A・シモンズに連なつて、氏の一時期にかなり特異な役割を果している。のみならず「彼」の執筆自体、ジイドの「一粒の麦もし死なずば」を度外視して考えることはできない。
 江戸川氏は、本来自己を語ることの多い作家で「相当饒舌に回顧談を筆にしている」(探偵小説三十年)が、同じ「自身の性格解剖と告白に関するもの」でありながら、「彼」は、「悪人志願」に収録した「乱歩打開け話」「恋と神様」等とは、筆者の態度に於いて遠く隔たるものがある。後年の氏によつても、「彼」は「甚だ生真面目に何事かを語ろう」とし、それは氏自身の「戯作者の立場から恥しいものであり、しかし、そうでない立場からは恥しくないものである」(以上「幻影の城主」自序)と回想されている。
 勿論「彼」の「生真面目」さを考えるには、「彼」の執筆された昭和十一、二年当時が氏の作家的系譜の上で、どういう時代であつたかも計算に入れる必要はあるが、「彼」が生真面目さの面目を苛酷な迄に、というより、筆を硬直させるまでに徹底して維持させたということと、その直前念読したらしい「一粒の麦」とは、決して切り離し得ないのである。更に積極的に云えば、「一粒の麦」を内面的支柱に設定したことによって、素材の面ではかなり重複しながら、結果的に「悪人志願」の世界を脱出した「彼」は、始めて可能になつたと云えよう。

 「僕は皆と同じでないんだ。僕は皆と同じでないんだ。」十一歳のアンドレ・ジードは母の前に啜泣きながら絶望的に繰り返した。──「一粒の麦若し死せずば」

 之は、「彼」全篇の冒頭に掲げられた一節である。厳密にいえば右の一節は「一粒の麦」からの正しい引用ではない。それはジイドの幼年時代「自分の麻痺状態にあつた精神を一瞬間揺り動かして過ぎた二つの輝き、二つの飛躍」として挙げた二つの挿話の一つの重要な部分である。幼いジイドの精神にとつて「名状しがたい苦悩」であり、「説明しがたい苦悶」の閃光的表現として、暗示に満ちた「一粒の麦」の中でも、象徴的重みをもつ一節である。「彼」の中で類似の個処を求めるなら、おそらく内腿の擦れあうとき、彼の感じる全く霊妙な原始的感覚を記した部分が附会するだろう(この体験は「恋と神様」でも語られている)。
 けれども右の短章は、もつと限定した意味で受けとらなければならない。「僕は皆と同じでないんだ」という、絶望的な幼い表現だけに注目しよう。それは、あらゆる陰翳を背負つた異端者の自覚として、江戸川氏の強い共感を得たに違いない。「彼」の根底を貫くのは異端者の自覚だ。成否はともかく、「異端者」の形成過程を内面の問題に還元して探ろうとした処に、「彼」のひとつの特質がある。

     

 「一粒の麦もし死せずば」のはじめの部分に、血統及び遺伝に関する示唆的な個処がある。例えば「いま手近にあるどの伝記、どの辞典にも、」「偉人及び英雄の母方の血統については何等の示唆をも見出だすことが出来ない有様だ」とある。つまり具体的には、遺伝によつて継承される先天的素質を重視せよということである。
 未完のまゝの「彼」は、先天的素質の考察に過分の頁数を費している。精神の後天的形成を、殆ど許さぬばかりに、「彼」は自己の性格のすべての要因を、父母の血統に宿命的に求めようとしているのである。そういう「彼」は「彼」の祖先の記述をもつてはじまる。
 この方法は、自己の性格解剖に於いて、最も単純な意味で科学的だ。その上、自分の探偵小説が、ほとんど「身についたもの」によつてしか書かれなかつたことを、江戸川氏自身誰よりも適確に意識しているからである(「日本探偵小説の系譜」参照)。かゝる個性がその生い立ちに目を向けるとき、体験より先天的素質に注目するのは、当然といわなければならない。

 こゝまで考えてきたことを一口に云えば、彼は、父からは自由主義的な物の考え方と、論理好きと要点を掴むこと、つまり物分りの早さとを譲り受け、母からは「夢」と「芸」とを解する心を譲り受け、間接に母方の祖父からは、家計に無関心な趣味生活と、若しかしたら放浪性とを譲り受け、父方の祖母からはおめかしの心を譲り受けたかと思う。(後略)

 右は、「彼」の三十枚目許りに位する一節である。「彼」の書きぶりはおよそこんな風のものだ。この公式的な明快さは、良かれ悪しかれ、「彼」の一つの特質をなして、種々の問題を提起するのである。
 「彼自身の現在の関心から」書かれた「彼」は、当然の論理の帰結のように「彼」の筆者をして「彼の現在の性格は、殆んどこれらの人々から伝えられたものに尽きているとも考えられる」と云わしめる。そこで自伝「彼」そのものの性格は、全面的に「彼自身の現在」に制約されてしまう。
 事実「彼」は、「彼自身の現在」について暗黙の解釈を前提とし、江戸川氏の提供する「彼自身の現在」に関する解釈の強い束縛なしに、いかなる部分の「彼」も読みえない。しかもそれは公式的な明快さに端的に示されるように、恐ろしく観念的である。
 つまり、こゝでは厳密な投影法が採用され、幼時の「彼」は現在の江戸川氏の全き反映としてしか把握されない。技術的にも、「彼自身の現在」を理解した上でないと、幼時の「彼」を理解しえない仕組になつており、かゝる構造の自伝にあつて、前掲の如き明快な断定の下されたあと、いつたい筆者は何を書けばいいのか。「彼」は、この奇妙な主客転倒の論理の錯覚によつて、思わぬ窮屈さを余儀なくされる。事実上、最初の三四十枚のうちに「彼」は固定し、その後のいかなる展開も、その予め設定された枠から、逸脱することを全く期待させない。
 「彼」が「幼年時代」に終つた原因は、発表事情等の外的要因ばかりでなしに、恐らくかゝる「彼」自体の性急な論理構造に胚胎するものと云えよう。
 「彼」はまた、その公式的な明快さ(澄明さ)と表裏して、信じがたいほど観念的である。「人生の最初の十年間において、われわれの愛したり何かしたのと同じものをわれわれは一生の間、いつも愛したり何かするものだ」というようなことを、ハンス・カロッサはその「幼年時代」の序文の中で述べているが、「彼」にはそういう「愛したり何かしたもの」が、極めて観念的にしか与えられない。
 江戸川氏自身、「彼」という呼称の裡に、突き放した客観的存在として、自己をきびしく捉えようと意欲しながら、少くも「彼」にあらわれた幼年時代に於いて、客観化すべき生活内容の恐るべき貧困さに、当惑し、その筆は不器用に萎縮して、動きのとれぬ観念性のために「彼」は窒息症状を訴えるのである。そして「彼の知能は少年時代から既に記憶力にかけては恐らく水準以下であつたのだ」と、残酷な結論に自ら追い込まざるを得ない。
 多少逆説的にひびくのを畏れさえしなければ、生活内容の客観化の困難さに、むしろ江戸川氏の異端者たる特質があらわれると云える。

     

 「彼」の読者は、「彼」から奇妙な抵抗を感じるに違いない。「彼」のあらゆる部分が、江戸川氏の解釈と説明に整序されて、外部からのいかなる註釈も頑強に拒けて些かの介入も許すまいとする。のみならず、「彼」を他と異つたもの、何か格別の存在として是非なく認めさせずに措かない。そういう種類のいわば筆者の気概が、抵抗を感じさせるのである。之は本質的には、幼児の頑固さである。
 この「彼」の幼児性は、「彼」の中で危く観念性の難をまぬがれ、じかに迫るものであるだけに、私は最も重視している。

 江戸川氏の数少い幼時の記憶の一つに、極めて興味深い一場の喜劇がある。四、五歳の頃、威厳を誇示する「異形の風体で」、家族や門前に集つた子供達を「異国人のように睨みつけて、たゞ威張つていたということである。」
 勿論かゝる一場面は誰の幼時の記憶にもありそうな事柄である。江戸川氏の場合、それが「同類嫌悪」とか「現実逃避」とかの形で一層把握しやすくなつたとしても、結局、前記の一場面に象徴されるような幼児の感情の異様な持続に於いて、「異端者」の生涯が展開されてゆくのである。
 かゝる性格を萌芽のうちに育くんだのは、「千石取りの奥方であつた祖母の町人蔑視の感情」を頂点とする士族出の明治ブルジョアジーである平井家の生活感情の総体であつたに違いない。「不思議なことに、彼はこの最も彼を愛してくれた祖母から、何を受けついでいるかを知らない」にも拘らず、全くのおばあさん子に育つた「彼」は、祖母の「千石生活の華やかな」寝物語や、最も寛容に甘やかした祖母の盲目的愛情が、遺伝的素質以上に幼児の「彼」に深い根をおろすのである。家長的権威をもつた祖母の絶対的支持をえていたひとり子の江戸川氏は、恐らく、幼児の唯一の社会、家庭に於いて城主的存在をかちえていたことだろう。
 しかし、子供心にも、家族をふくめた他人を、就中批判的存在として意識したとき、「ぼん」は「ぼんやりもの」の「ぼん」であるし、「あかんぼん」の「ぼん」であり、羞恥心の強い「ぼん」の自信と誇りはいたるところで、ほめられることにさえ傷つく。
 この人生に於ける最初の危機に、「彼」は現実の「城主になることを諦め、幻影の国に一城を築いて、そこの城主に」(幻影の城主)ならんと志した。この道に於いて「現実逃避」の代償を払いながら、幼時の誇りと地位を、「今一つの世界」で持続することに成功するのである。「彼」は架空の今一つの世界に於いて、何ものの干渉も受けず、「幻影の城主」たりえたのである。
 「幻影の城主」たりうる彼にとつて、現実世界の彼は「余りにも弱者な少年」であり、そのおずおずとはにかんだ無器用さが、むしろ「幻影の城主」たる彼に、真実の人生を見出だしている江戸川氏を、やりきれぬ自己嫌悪に誘いこむのは、当然である。つまり、幻影の世界に在る彼が、他者の目から把握しえないと同様に、現実に行動する彼が他者の目に映ずる限りにおいて、激しい自己嫌悪を感じるのであつて、今一つの世界の彼に対して、氏は稀にみる旺盛な自愛の精神をもつているのだ。
 かような精神にとつて、社会とか、周囲の他者というものは、「彼」に対して積極的意義を全く喪い、前掲の挿話の示すように、幻影の城主たりうる彼からみれば、奇蹟に対する畏敬にも似た驚嘆を捧ぐべき木偶の存在として設定される筈である。幻影の世界の彼と外界の人間は、本質的に無縁のものとしてしか認識されない。城主たる神秘的権威の保持のためには、外界の彼に対する理解をも嫌う。彼は、幻影の内容を豊かに養うかぎりにおいて外界と接触し、幻影の世界に自壊作用を起さしめるような要因は、本能的な敏感さをもつて峻酷に排除してゆくのである。かくして氏はその「幻影の城主」であることに就いて、恐らく懐疑ということを知らないで生長した。それはほとんど奇蹟と呼んでいい。
 したがつて、異端者としての江戸川氏は、精神の奇蹟的に狭隘な閉鎖性において特徴づけられる。二十歳を過ぎた氏が、押入れの中で Einsamkeit と書いたとき、人間に真実孤独を知らしめる外界というものは、多分、氏の胸中に片鱗だも留めなかつたろう。不思議なことだが、氏の場合、孤独は苦悩の表現としてゞなく、幼時への非時間的回帰の場を与えるものとして、むしろ快楽の意味で使われているのである。
 かゝる精神を基底として可能な探偵小説自体、奇態な存在といわねばならぬが、江戸川乱歩氏の探偵小説が、まさにかゝる精神の所産として、極めて個性的であつたことは否めない。幻影の世界に燃焼を続けた生命が、その芸術のうちに、原始的な生理的体臭の強烈さをもつて、比類のない開花を遂げるのである。それは幻影の幼児性において、ある程度の純粋ささえもつている。

掲載2000年5月12日(copyright 村山徳五郎)
村山徳五郎〔むらやま・とくごろう〕昭和7年12月22日(1932)−
初出・底本昭和29年(1954)/「黄色の部屋」6巻2号《江戸川乱歩先生華甲記念文集》昭和29年10月、中島河太郎発行/p.79−86