もぐらもちさま、こちらでは始めまして。こちらでもよろしくお願いいたします。
『明智小五郎対怪人二十面相』は、てっきり金曜日だと思っていたんですが、後輩連と会っていたため、前半は酒場の音のないテレビで、後半は後輩のアパートで他人の論文の校正をしながら観ていたので、まとまった印象もろくに語れないです。
最後の場面で二十面相扮する殿村が、石膏像から子供を救出した場面は、『妖怪博士』(だったかな)でお馴染の場面ゆえ、あれが二十面相だよと後輩連に言ったら、よく分かりましたねと尊敬されました(苦笑)。常識だっちゅーの。そのときいた後輩連は、これまでの二十云年間、少年探偵団を1度も読んだことがなかったそうで、ああ、これからはこういう世代が増えるんだなあ、と感慨深いものが……。
後輩連は、叶姉妹の妹とか、豪華キャストを話題にしておりましたが、横井は、宮沢りえが文代さんという役名なのが気に入らず、何で文代さんが二十面相のもとに走るんだ、と思ってしまったのは、きちんと腰を据えてみなかったせいでしょうか。
で、西田敏行扮するマッド・サイエンティストは、何の実験をやってたんでしょう? 変装名人の究極のスパイでも作ろうとしてたんでしょうか。二十面相は自分の顔を失ったのを悲しんでいたようでしたが、若い後輩は、その悲しみが分からないようでした。たけしの顔も持っているわけですから、それをかぶって生きればいいといえばいいんですが、ま、安部公房でも読みなさいと突っ込みたい感じですね。
ただし、それも腰を据えてみなかったからかもしれませんし、何よりも、変装ばかりしていると本当の自分の顔すら分からなくなるくらいだよ、というルパンから二十面相にまで通底するモチーフが、ライバルの顔に変えられてしまったから復讐心を抱くという精神構造と、うまくリンクしていないような気はします。結局、二十面相というのはハウス・ネームのようなもので、したがって二十面相に対して今回の文代のように、ある種の感情を持つというのは、違和感があるといえばいえます。「二十面相」とは名前だけで人格が空虚なんですから、恋愛に類する感情の対象にはならないのではないかという気がします。たけしの役には本名がありましたっけ? その本名で呼びかけていれば、まだしも、というところでしょうか。
小林くんは詰め襟を着た紅顔の美少年ではなく、いかにも戦災孤児という感じでしたから、女の子に変装したのにはびっくり。ま、さすがに顔までは出せませんでしたが。それにしてもあのお馴染の空き缶を使ったコールタール尾行装置、あんなに大きいんじゃばれちゃうよねえ。笑っちゃいました。原作だと犬を使って追跡するんじゃありませんでしたっけ? あれだと確実に誰かに見つけられますよ。
田村正和はもう70歳くらいなんでしょうか? その年で、あの立ち回り。大変だなあと後輩連は申しておりました。確かに。先に書いたような変則的な観方をしたせいか、八本さんと違って、最後まで古畑の印象は抜けませんでした。殿村の正体を暴くシーンも、妙に声が甲高くて、変。ただ、明智というのはジジイの癖に若く見える奴ですから、その意味ではぴったりだったかもしれませんね(笑)。
あ、今思いつきましたが、戦前の怪実験、マッド・サイエンティストの2人の弟子の確執、というプロットは、まんま、京極夏彦の京極堂シリーズの背景を思わせますね。作品世界の時代はずれますが、影響受けてるんじゃないかなあ。いかがでしょ?
何とかレスをつけることができたので、変則的とはいえ観られてよかったです。はなはだ散漫ながら、以上です。
|