江戸川乱歩という作家が、今もなお人々に読み継がれているのは、作品の魅力はもちろんのこと、多くの少年ものによって、世代交代する年少読者を開拓し続けたことも、大な要因であろう。それらの多くは同工異曲であるにもかかわらず、常に趣向を凝らし、読者を飽きさせまいとするプロ根性にはやはり、脱帽せざるを得ない。 時代が変り、人々の価値観が変っても、少年の好奇心の本質は変らないということを、それらの作品は立証している。乱歩を語る時、必ずといっていいほど引き合いに出される「少年愛」というテーマも、一連の少年探偵シリーズのある種健康的とも言いえる好奇心の在り方にまで敷衍して考察されるべきだろう。確かに、老成した大作家・乱歩の中には、常に永遠の少年が生き続けていたのだ。 さらにこれらの作品群は度々映像化され、そのたびに新たな意匠のもとに読者を開拓して来た。いわばメディア・ミックスの先駆という側面もある。映像媒体によって乱歩作品の存在を知った読者の一部は、少年ものに飽きた頃、より深い魅力をたたえた大人向けの乱歩作品に手を出したはずだ。かく言う筆者もそのひとりである。 そして何よりも忘れてならないのは、この少年探偵シリーズに於いて、乱歩が創造した怪人二十面相という魅力的な悪役の存在である。百面相ならぬ二十面相という「二十」という限定の仕方が、むしろ不気味なリアリティを醸し出すこの名悪役は、明智小五郎や小林少年という主役の存在を翻弄し、かすませてしまうほどのパワーを発揮する。それもそのはず、明智や小林といった既成のキャラクターとは違って、二十面相こそ、乱歩が少年探偵シリーズのために新たに創作したキャラクターであり、第一作のタイトルがズバリそのものであるのはもちろん、シリーズに於ける最重要人物であったからだ。 ではまず、その怪人の魅力について分析してみよう。 盗人にも三分の理などと言うが、たとえば「宇宙怪人」における怪人二十面相(この時は一応四十面相と名乗っている)の犯行動機ほど壮大なものも、めったにあるまい。伝書鳩をくくりつけた円形のボール紙を空飛ぶ円盤に錯覚させ、買収して偽証者まで作っていもしない宇宙怪人をでっちあげて、世間を混乱させただけで、ほとんど盗みらしい盗みもしていない。デマを世界中で同時にバラまくなど、いつになくスケールのデカい犯罪でありながら、だ。そうして名探偵明智小五郎にとらえられた彼は、こう言ってのけるのだ。 「おれたちは、悪ものだ。世界じゅうの警察に、にらまれている悪ものだ。だが、戦というものは、おれたちの何百倍も、何千倍も、悪いことじゃないのか!え、諸君、そうじゃないか。/世界各国の政府や軍隊は、いくど戦争をやっても、こりないで、何百万という、つみのない人間を殺しても、すこしもこりないで、また戦争をやろうとしているじゃないか。おれたちが、悪ものなら、そんなことを、考えているやつは、おれたちの万倍も悪ものじゃないか。/やつらが、地球の上でいつまでも、けんかばかりしているのは、この地球のほかに、世界はないと、思っているからだ。やつらの目をさますのには、宇宙の星の世界から、大軍勢が、おそろしい科学の武器をもって、せめよせてくることを、さとらせてやればいい。そうすれば、地球の上のけんかなどよして、宇宙のことを、考えるようになるだろう。地球ぜんたいが、星の世界に、せめほろぼされては、たまらないからね。そこで、おれたち、世界じゅうの悪ものが、星の世界からのスパイにばけて、ばかなやつらの目を、さましてやろうと、そうだんをきめたんだ。(中略)いまに見ろ。きっと星の世界から、せめてくるときがある。せめられるまえに、こちらが、せめたらどうだ。せまい地球の上のけんかなど、よして、大宇宙に目をつけたらどうだ。え、明智先生、四十面相の考えは、まちがっているかね。」 あまりにスケールが大きすぎて、動機というよりは「志」と呼びたいくらいだ。東宝映画「地球防衛軍」のコンセプトにも通じるこの考え方は、後に金城哲夫がメイン・ライターとして活躍したテレビ・シリーズ「ウルトラセブン」でより深い展開を見せることになるのだが、海野十三などの先駆者がいたにしても、これが発表された昭和二十八年という年代を考えるなら、乱歩のSF理解の正確さに、今さらながら「さすがは乱歩!」と叫びたくなるほどだ。そして、遂にSF作家にはならなかった彼の、探偵小説への執着のすさまじさを感じないわけにはいかない。何故なら、この「宇宙怪人」など、無理やり探偵小説に仕立てているために、龍頭蛇尾の観をまぬがれないからだ。いっそのことSFにしてしまった方がよかったのではと思える作品が、少年探偵シリーズに限っただけでも、他にいくつもある。それがそうはならなかったところに、江戸川乱歩という作家のジレンマと、それゆえの魅力もあるのだが。 乱歩こそ実は、あまりにも孤独すぎるため、次から次と扮装を変えて少年たちの前に現われずにいられなかった、あの〃存在そのものの恥〃怪人二十面相そのひとだったのである。(「孤独すぎる怪人」) 実質的に最後の創作となった「超人ニコラ」においても、遂にその正体は解らないままだった。確かに「サーカスの怪人」で、明智小五郎は二十面相の正体は元サーカス団の団員・遠藤平吉であると言ってはいるが、唐突すぎて違和感がある。その後の追及がないことも不満だ。単なる思いつきと判断されても仕方ないだろう。これをヒントに平吉二十面相の生い立ちと大正・昭和史を重ねてみせた北村想の「怪人二十面相・伝」及び「青銅の魔人」は、メタ・フィクションとして楽しめる出来になっているが、これをして二十面相の正体とするのは、いささかためらわれる。何故ならこの怪人には、元サーカス団員に特定してしまうには、あまりに謎めいた魅力があるからだ。 赤マントの正体ははっきりしない。集団不安の生んだファントマであろうから、われら小学生の間ではジゴマや怪人二十面相や黄金バットと混淆したイメージで語られていたように思う。子供をさらって血を吸うのだとも、いやあれは悪いことはしないのだともいう。それでも、近くの川越街道沿いの重林寺境内に出たなどという噂が立つと、夕暮時には背中の方から何物かがそくそくと迫ってくるような執拗な不安に追われて、トットと家に走り帰った。面白いのは、赤マントが好んで女学校の便所に出没するという説であった。女学生がズロースを下して壺にまたがると、下の方から変な声がする。赤い紙がいいかい、それとも青い紙がいいかい? そこで、可愛いらしいお尻を丸出しにした女学生が、赤い紙がいいワと答えると赤い紙、青い紙がいいと答えると青い紙を握った手が、金隠しのなかからにゅーっと伸びてお尻の始末を手伝ってくれるという按配である。(種村季弘「葦原将軍考」) あまりに面白いので、思わず引用が長くなってしまったが、口裂け女あたりからはじまって、近年の人面犬、人面魚、トイレの花子さんにいたる都市伝説にも通じる赤マントの在り方は、怖さを通り越して滑稽味を帯びるあたりの消息が二十面相のそれと相通じるものがある。(赤マントの噂がひろがったのは、昭和十一年の阿部定事件の直後。同じ年に「怪人二十面相」が連載されていたのだから、出来すぎといえば出来すぎだが)人々はその正体を知ることよりも、ふくらむデマゴギーに自らも参加することによって、ゲームを楽しんでいるのだから、たとえ実際にモデルになった人物なり事件なりが特定されてしまえば、たちどころに興ざめしてしまうのは仕方あるまい。そう、少年たちは二十面相の正体なんか知りたいとは思わなかった。永遠に続くトワイライトの冒険ごっこを、ハラハラドキドキしながら楽しんでいたかっただけなのだ。だから二十面相は、実体として存在してはならない。何よりも、誰でもあるということは、誰でもないというこではないか。 二十面相こそ、犯罪者と探偵の二重性を備えたかつての明智小五郎の完璧な分身に他ならない。名探偵・明智と怪人二十面相との関係は、現在の明智と過去の明智との関係であり、名探偵になってしまった明智と姿を消した明智のうちなる犯罪者との関係でもあるのだ。(川崎賢子「探偵のもうひとつの顔」) もちろん、物理的にも探偵イコール犯人というこのトリックは成立する。 |
少年探偵シリーズ関連年譜
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大正11年 | 「二銭銅貨」「一枚の切符」を脱稿。「一枚の切符」には、モジャモジャ頭の青年が探偵役で登場している。 |
大正12年 | 「二銭銅貨」(「新青年」)でデビュー。 |
大正14年 | 「D坂の殺人事件」で明智小五郎登場。続く「心理試験」「黒手組」「幽霊」にも連続して登場し、次第に名声を高める。(「幽霊」では早くも実業家とのコネクションを作っている)一方、「屋根裏の散歩者」では犯人の友人としてメフィストフェレス的役割も演じる。 |
大正15年 昭和元年 |
「一寸法師」上海帰りの明智、支那服で登場。 |
昭和3年 | 稲垣足穂との交遊はじまる。 |
昭和4年 | 小酒井不木逝去。 「芋虫」(「新青年」)「悪夢」とタイトルを変え伏せ字だらけで発表。 「蜘蛛男」明智「アフリカかインドの植民地で見る英国紳士」風に変貌。 この年後半期より内外同性愛文献の蒐集をはじめる。 「生きるとは妥協すること」(「探偵小説四十年」の記述) |
昭和5年 | 短篇集「明智小五郎」(先進社)刊行。 「魔術師」明智、文代と恋におちる。 「吸血鬼」文代、明智の助手として登場。同時に少年探偵小林も登場。 「黄金仮面」アルセーヌ・ルパンと対決。 |
昭和9年 | 「人間豹」対戦相手が人間以外の化け物になる。 |
昭和11年 | 「怪人二十面相」(「少年倶楽部」)明智に影武者がいることが判明。 |
昭和12年 | 「少年探偵団」(「少年倶楽部」)少年探偵団、正式に発足。 |
昭和13年 | 「妖怪博士」(「少年倶楽部」)明智が社交倶楽部の会員で、少年たちの父親である富豪たちと顔見知りであることが明らかとなる。 |
昭和14年 | 「大金塊」(「少年倶楽部」)二十面相登場せず。 |
昭和24年 | 「青銅の魔人」(「少年」)二十面相のパフォーマンス化。 |
昭和25年 | 「虎の牙」(「少年」)魔法博士を名乗る二十面相。 |
昭和26年 | 「透明怪人」(「少年」) |
昭和27年 | 「怪奇四十面相」(「少年」)世界劇場で上演中の芝居「透明怪人」で、主演の役者が怪人と探偵の二役を演じている。怪人が小林に「おれは、ほんとうに、きみがすきなんだからね」と告白(?)する。 |
昭和28年 | 「宇宙怪人」(「少年」)犯行目的の変化。 |
昭和29年 | 「鉄塔の怪人」(「少年」)「カブトムシ少年隊」を組織する怪人。 |
昭和30年 | 「海底の魔術師」(「少年」)冒頭シーンは「ゴジラ」の影響か? 「灰色の巨人」(「少年倶楽部」)サーカス団を利用して逃走する怪人。 「探偵少年」(「読売新聞」絵物語)小林と魔法博士の知恵くらべ。明智、魔法博士の正体は雲井良太というお金持ちの変わりものであると説明。 |
昭和31年 | 「天空の魔人」(「少年クラブ」増刊)二十面相登場せず、明智も最後にチラリと出て来るだけ。 「魔法博士」(「少年」)黄金仮面を操る魔法博士の正体は、やっぱり二十面相。(「それとも四十面相と呼んだほうがいいのか」と明智のセリフ) 「黄金豹」(「少年クラブ」)明智夫人、長い病気中。以後登場せず。 |
昭和32年 | 「妖人ゴング」(「少年」)マユミおねえさま登場。すかさずおねえさまに女装する小林君。 「魔法人形」(「少女クラブ」)「ルミちゃんもこんな人形になりたいとは思わないかね」と少女をかどわかす怪人。 「サーカスの怪人」(「少年クラブ」)明智、怪人二十面相の正体は元サーカス団員、遠藤平吉であると発言。 「まほうやしき」(「たのしい三年生」) 「赤いカブトムシ」(「たのしい三年生」)またもや魔法博士との知恵くらべ。虎や青銅の魔人も使い回されている。 |
昭和33年 | 「奇面城の秘密」(「少年クラブ」)二十面相の手下、ジャッキー、五郎、のっぽの初こう登場。(但し今回のみ) 「夜光人間」(「少年」) 「塔上の奇術師」(「少女クラブ」)四十面相にも替え玉があることが判明。 「ふしぎな人/名たんていと二十めんそう」(「たのしい二年生」) 「鉄人Q」(「小学四年生」〜「小学五年生」) |
昭和34年 | 「仮面の恐怖王」(「少年」)仏像に化ける二十面相。 「かいじん二十めんそう」(「たのしい二年生」) |
昭和35年 | 「電人M」(「少年」)よりSF的展開に。 「おれは二十面相だ」(「小学六年生」) 「怪人と少年探偵」(「こども家の光」) |
昭和36年 | 「妖星人R」(「少年」)明智、二十面相と同じ飛行具で空中戦を演じる。 |
昭和37年 | 「超人ニコラ」(「少年」)少年探偵シリーズ最後の作品であると同時に、乱歩最後の創作となった本作でも、遂に二十面の正体は明らかにならない。但し、「猟奇の果」に登場した人間改造術が披露される。 |
掲載●2004年4月19日(copyright 八本正幸)
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八本正幸〔やもと・まさゆき〕昭和33年7月8日(1958)−/人でなし倶楽部 初出●平成9年(1997)/「『新青年』趣味」5号(4月) |
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