第二十六話
怪人二十面相の正体
もしくは明智小五郎最後の事件
付・少年探偵シリーズ関連年譜
八本正幸
 江戸川乱歩という作家が、今もなお人々に読み継がれているのは、作品の魅力はもちろんのこと、多くの少年ものによって、世代交代する年少読者を開拓し続けたことも、大な要因であろう。それらの多くは同工異曲であるにもかかわらず、常に趣向を凝らし、読者を飽きさせまいとするプロ根性にはやはり、脱帽せざるを得ない。
 時代が変り、人々の価値観が変っても、少年の好奇心の本質は変らないということを、それらの作品は立証している。乱歩を語る時、必ずといっていいほど引き合いに出される「少年愛」というテーマも、一連の少年探偵シリーズのある種健康的とも言いえる好奇心の在り方にまで敷衍して考察されるべきだろう。確かに、老成した大作家・乱歩の中には、常に永遠の少年が生き続けていたのだ。
 さらにこれらの作品群は度々映像化され、そのたびに新たな意匠のもとに読者を開拓して来た。いわばメディア・ミックスの先駆という側面もある。映像媒体によって乱歩作品の存在を知った読者の一部は、少年ものに飽きた頃、より深い魅力をたたえた大人向けの乱歩作品に手を出したはずだ。かく言う筆者もそのひとりである。
 そして何よりも忘れてならないのは、この少年探偵シリーズに於いて、乱歩が創造した怪人二十面相という魅力的な悪役の存在である。百面相ならぬ二十面相という「二十」という限定の仕方が、むしろ不気味なリアリティを醸し出すこの名悪役は、明智小五郎や小林少年という主役の存在を翻弄し、かすませてしまうほどのパワーを発揮する。それもそのはず、明智や小林といった既成のキャラクターとは違って、二十面相こそ、乱歩が少年探偵シリーズのために新たに創作したキャラクターであり、第一作のタイトルがズバリそのものであるのはもちろん、シリーズに於ける最重要人物であったからだ。
 ではまず、その怪人の魅力について分析してみよう。

 盗人にも三分の理などと言うが、たとえば「宇宙怪人」における怪人二十面相(この時は一応四十面相と名乗っている)の犯行動機ほど壮大なものも、めったにあるまい。伝書鳩をくくりつけた円形のボール紙を空飛ぶ円盤に錯覚させ、買収して偽証者まで作っていもしない宇宙怪人をでっちあげて、世間を混乱させただけで、ほとんど盗みらしい盗みもしていない。デマを世界中で同時にバラまくなど、いつになくスケールのデカい犯罪でありながら、だ。そうして名探偵明智小五郎にとらえられた彼は、こう言ってのけるのだ。

「おれたちは、悪ものだ。世界じゅうの警察に、にらまれている悪ものだ。だが、戦というものは、おれたちの何百倍も、何千倍も、悪いことじゃないのか!え、諸君、そうじゃないか。/世界各国の政府や軍隊は、いくど戦争をやっても、こりないで、何百万という、つみのない人間を殺しても、すこしもこりないで、また戦争をやろうとしているじゃないか。おれたちが、悪ものなら、そんなことを、考えているやつは、おれたちの万倍も悪ものじゃないか。/やつらが、地球の上でいつまでも、けんかばかりしているのは、この地球のほかに、世界はないと、思っているからだ。やつらの目をさますのには、宇宙の星の世界から、大軍勢が、おそろしい科学の武器をもって、せめよせてくることを、さとらせてやればいい。そうすれば、地球の上のけんかなどよして、宇宙のことを、考えるようになるだろう。地球ぜんたいが、星の世界に、せめほろぼされては、たまらないからね。そこで、おれたち、世界じゅうの悪ものが、星の世界からのスパイにばけて、ばかなやつらの目を、さましてやろうと、そうだんをきめたんだ。(中略)いまに見ろ。きっと星の世界から、せめてくるときがある。せめられるまえに、こちらが、せめたらどうだ。せまい地球の上のけんかなど、よして、大宇宙に目をつけたらどうだ。え、明智先生、四十面相の考えは、まちがっているかね。」

 あまりにスケールが大きすぎて、動機というよりは「志」と呼びたいくらいだ。東宝映画「地球防衛軍」のコンセプトにも通じるこの考え方は、後に金城哲夫がメイン・ライターとして活躍したテレビ・シリーズ「ウルトラセブン」でより深い展開を見せることになるのだが、海野十三などの先駆者がいたにしても、これが発表された昭和二十八年という年代を考えるなら、乱歩のSF理解の正確さに、今さらながら「さすがは乱歩!」と叫びたくなるほどだ。そして、遂にSF作家にはならなかった彼の、探偵小説への執着のすさまじさを感じないわけにはいかない。何故なら、この「宇宙怪人」など、無理やり探偵小説に仕立てているために、龍頭蛇尾の観をまぬがれないからだ。いっそのことSFにしてしまった方がよかったのではと思える作品が、少年探偵シリーズに限っただけでも、他にいくつもある。それがそうはならなかったところに、江戸川乱歩という作家のジレンマと、それゆえの魅力もあるのだが。
 殺人を嫌い、高価な宝石や美術品ばかりを狙い、シリーズ途中からは、盗むことよりも人をアッと言わせることに熱中するようになるこの怪人が、読者にいつまでも愛されている秘密のひとつが、このあたりにあるような気がする。
 さらにこの怪人には、他にも愛すべき点が多々ある。北村想が指摘したように、犯行のネタが、かなりショボいということだ。夜の都会や屋敷町を徘徊する不気味な魔人や怪物が、金属製の着ぐるみや空気人形だったり、空飛ぶ円盤の正体が、ボール紙をくくりつけた伝書鳩だったりと、子供だましもここまでくれば天晴と言いたくなるような例に事欠かない。一方で潜水艦や一人用の飛行機械を駆使しているのだから、落差の大きさにめまいをおぼえる読者も少なくないに違いない。極めつけは何と言ってもやはり「宇宙怪人」。空飛ぶ宇宙怪人となって人々を幻惑した二十面相は、木陰に姿をくらまし、使用した飛行機械を積んで自転車で逃走するのだ。
 自転車に乗った怪人!
 ギャップの大きさは言うまでもないが、逆にそのことがある種の不気味さを加速していることも確かだ。夕暮れの路地裏に現れては子供たちを誘惑する紙芝居屋や手品師や道化師といった御馴染みのメンツに加えて、自転車という日常的な小道具が乱歩一流の話術で語られると、とたんに胡乱なオブジェと化してしまうのだ。自分でも認めているように、乱歩はあらかじめきっちりと構成を立てて執筆することが苦手だったようで、ストーリーは行き当たりばったり、龍頭蛇尾はいかんともしがたいが、それゆえにこそ突発的に鮮烈なイメージを紡ぎ出すこともある。作品の完成度とは別の次元で彼の小説は光を放っているとも言えよう。
 作中人物を作者に重ねてみるのは安易な発想だが、このいささか滑稽な怪人の姿を乱歩自身、自嘲的な意味を込めて描いていたと言ってはうがち過ぎだろうか? 少年物をとの依頼に、どうせ自分の書くものは子供じみたものだからと筆を執る決意をしたと自ら書き残しているように、使い古したトリックをさらに使い回して、それでも少年読者が喜ぶのなら、乞われるままにタネの割れた手品を何度でも繰り返す手品師。たとえそうだったとしても、あながち乱歩が不幸だったと決めつけるのは早計というものだ。これもまた立派な少年愛のあり方ではないか。
 この件に関しては、中井英夫の鋭い指摘がある。

 乱歩こそ実は、あまりにも孤独すぎるため、次から次と扮装を変えて少年たちの前に現われずにいられなかった、あの〃存在そのものの恥〃怪人二十面相そのひとだったのである。(「孤独すぎる怪人」)

 実質的に最後の創作となった「超人ニコラ」においても、遂にその正体は解らないままだった。確かに「サーカスの怪人」で、明智小五郎は二十面相の正体は元サーカス団の団員・遠藤平吉であると言ってはいるが、唐突すぎて違和感がある。その後の追及がないことも不満だ。単なる思いつきと判断されても仕方ないだろう。これをヒントに平吉二十面相の生い立ちと大正・昭和史を重ねてみせた北村想の「怪人二十面相・伝」及び「青銅の魔人」は、メタ・フィクションとして楽しめる出来になっているが、これをして二十面相の正体とするのは、いささかためらわれる。何故ならこの怪人には、元サーカス団員に特定してしまうには、あまりに謎めいた魅力があるからだ。
 本当は二十面相などという怪人は、どこにも存在しなかったのではないのだろうか?
 たとえば怪人赤マントのように……。

 赤マントの正体ははっきりしない。集団不安の生んだファントマであろうから、われら小学生の間ではジゴマや怪人二十面相や黄金バットと混淆したイメージで語られていたように思う。子供をさらって血を吸うのだとも、いやあれは悪いことはしないのだともいう。それでも、近くの川越街道沿いの重林寺境内に出たなどという噂が立つと、夕暮時には背中の方から何物かがそくそくと迫ってくるような執拗な不安に追われて、トットと家に走り帰った。面白いのは、赤マントが好んで女学校の便所に出没するという説であった。女学生がズロースを下して壺にまたがると、下の方から変な声がする。赤い紙がいいかい、それとも青い紙がいいかい? そこで、可愛いらしいお尻を丸出しにした女学生が、赤い紙がいいワと答えると赤い紙、青い紙がいいと答えると青い紙を握った手が、金隠しのなかからにゅーっと伸びてお尻の始末を手伝ってくれるという按配である。(種村季弘「葦原将軍考」)

 あまりに面白いので、思わず引用が長くなってしまったが、口裂け女あたりからはじまって、近年の人面犬、人面魚、トイレの花子さんにいたる都市伝説にも通じる赤マントの在り方は、怖さを通り越して滑稽味を帯びるあたりの消息が二十面相のそれと相通じるものがある。(赤マントの噂がひろがったのは、昭和十一年の阿部定事件の直後。同じ年に「怪人二十面相」が連載されていたのだから、出来すぎといえば出来すぎだが)人々はその正体を知ることよりも、ふくらむデマゴギーに自らも参加することによって、ゲームを楽しんでいるのだから、たとえ実際にモデルになった人物なり事件なりが特定されてしまえば、たちどころに興ざめしてしまうのは仕方あるまい。そう、少年たちは二十面相の正体なんか知りたいとは思わなかった。永遠に続くトワイライトの冒険ごっこを、ハラハラドキドキしながら楽しんでいたかっただけなのだ。だから二十面相は、実体として存在してはならない。何よりも、誰でもあるということは、誰でもないというこではないか。
 それでも、野暮を承知で二十面相の正体を特定するとしたら……。
 確かに怪しい人物がいる。それはほら、読者のすぐそばで、何気ないふうをして、朗らかに笑っているではありませんか。
 そう、少年探偵シリーズ全作品を通して最も怪しい人物は、宿命のライバル明智小五郎その人だ。怪しいなどと、曖昧な表現はよそう。
 断言する。
 怪人二十面相の正体は明智小五郎である。
「D坂の殺人事件」でデビューした明智には、探偵らしさと犯罪者らしさが同居していたばかりでなく、一度は容疑者にされている。本人はまた、その状況を楽しんでもいるように見える。後年象徴的に現われる高笑いや、窮地に陥れば陥るほど、逆に余裕を感じさせる独特のセリフ回しの原型は、すでにこの時点で萌芽している。「屋根裏の散歩者」では犯人郷田三郎の友人であり、メフィストフェレス的存在すら演じている。もじゃもじゃ頭の、犯罪への関心が強い、どこかうさん臭い高等遊民という明智の印象が変わりはじめるのは、乱歩がより多くの読者を対象に「朝日新聞」に連載した「一寸法師」あたりからで、「蜘蛛男」「魔術師」「黄金仮面」と長篇作品がシリーズ化するにしたがって加速をつけて定型化されたヒーローへと堕落して行く。一方、彼と対決する犯罪者も、「心理試験」のラスコーリニコフ的青年や、郷田のような趣味的犯罪者から、それを専門とするプロフェッショナル的怪人へと変貌し、さらに「人間豹」のような異形の者へとエスカレートして行く。まさに「人間豹」は、デッド・エンドとしか思えない作品で、このまま続ければ、探偵小説ではなくなってしまうというギリギリの瀬戸際に立っている。乱歩自身も危機感を感じていたに違いない。以後の長篇には、あまり明智を登場させていないことでもそれは察せられる。しかし、明智小五郎は葬られたわけではなかった。怪人二十面相という、少年を間に対称をなす犯罪者との、いつ果てるとも知れぬいたちごっこにのめり込んで行くのだ。
 心性的に両者が共通の土壌に立っていることは、多くの論者が指摘していることだ。

 二十面相こそ、犯罪者と探偵の二重性を備えたかつての明智小五郎の完璧な分身に他ならない。名探偵・明智と怪人二十面相との関係は、現在の明智と過去の明智との関係であり、名探偵になってしまった明智と姿を消した明智のうちなる犯罪者との関係でもあるのだ。(川崎賢子「探偵のもうひとつの顔」)

 もちろん、物理的にも探偵イコール犯人というこのトリックは成立する。
 怪人の犯行が行われている時、大抵明智は不在である。地方や海外の事件を調査するために出張しているということになってはいるが、その事件がどういう事件なのか、まるで記述がないのだから、鵜呑みにするわけには行かない。揚げ足取りを承知の上で言うならば、この時期、他の事件に関わっていたのなら、当然それに相当する作品が書かれてしかるべきであるにもかかわらず、「化人幻戯」「影男」など、数えるほどしか書かれていないのはどういうわけだろう。そればかりか、単に旅行中であったりもするのだ。その間に、二十面相として活動する時間はたっぷりあったはずだし、ここぞという時に登場して、事件を解決する舞台効果のための時間稼ぎも出来たはずだ。
 もうひとつ重要な要素を忘れてはならない。明智には、彼そっくりの影武者がいて、第一作から活躍しているということを。ならばその影武者が明智と名乗って旅をしている間に、本人は二十面相として暗躍することは可能である。変装の名人という二十面相の自己宣伝は、逆に素顔を見られても、いくつもの変装のバリエーションのひとつという言い訳を成立させることにもなるのだ。怪人がしばしば明智に化けるのは、ある種の盲点を突いた大胆で危険な(その上最も簡単な)変装だからに違いない。
 では、遠藤平吉とは何者だろう? サーカス団出身ということから推測するなら、アクロバティックな見せ場を演じるもうひとりの影武者、スタントマンだったと考えるのが妥当だろう。事実「塔上の奇術師」では二十面相(くどいようだが一応ここでは四十面相と名乗っている)にも替え玉があると明かされている。北村想の小説に矛盾しないように説明するなら、平吉の師匠初代二十面相丈吉こそが影武者であり、二代目の平吉は、そのトリックを知らずに、まんまと怪人を演じさせられていたのだと。
 まだある。
 二十面相の犯行が、乱歩が以前書いた小説の焼き直しであることは誰が見ても明らかだが、対戦者の明智なら、それらの犯罪を少年向けに再構成することも、また可能である。そしてその構想を彼が思い立った時点も特定出来る。昭和五年。「黄金仮面」の事件だ。犯人(みんな知ってると思うけど、特に名を秘す)が、正体を隠すためにより目立つ黄金の仮面を被るという逆説的な方法を取ったのを、さらにひねったのが二十面相というほとんどオールマイティの隠れ蓑である。その上、美術品ばかりを狙い、殺人はしないというところまでちゃっかりいただいている。
 蛇足ながら付け加えると、「黄金仮面」が発表された昭和五年には、さらに重要な作品が二つ書かれている。すなわち、「魔術師」と「吸血鬼」だ。「魔術師」に於いて賊に育てられた薄幸の女性文代と恋に陥ちた明智は、次の「吸血鬼」では彼女を助手にしている。そしてここが肝心なところだが、文代が助手になるのと同時に、何の前ぶれもなく小林少年が助手として登場することだ。後世になって乱歩作品に触れた読者は、必ずしも作品を発表順に読んでいるわけではないので、何となく小林の登場を「怪人二十面相」以後と思いがちだが、少年探偵シリーズは、実際の執筆開始より五年も早く準備されていたことが解る。文代は後に明智夫人となるのだが、これを偽装結婚と言ってしまっては、ミもフタもないかも知れない。(結婚してからの文代の存在感は限りなく稀薄になり、少年探偵シリーズ後期の「黄金豹」では、とうとう病気中ということにされてしまうのであった)
 もし仮に二十面相の正体が明智ではないとすると、理解に苦しむシーンが多々あることも確かだ。例えば「怪奇四十面相」で怪人が小林少年に「おれは、ほんとうに、きみがすきなんだからね」だとか「きみはかわいいからね」などと告白するところなど、まさに「仮面の告白だ!」などと下らない洒落のひとつも言いたくなるし、同じ作品で、小林をとじこめた部屋が火事らしいと知った怪人が、まっさきに小林を助けなければと思ってしまうところ。対する明智にいたっては「わたしと四十面相とは、ものを考える力がほとんど同じくらい」だなどとうそぶく始末。
 捕まったはずの怪人が、いともたやすく脱獄してしまうのも、警察に顔のきく明智が根回ししたからと考えれば簡単だし(投獄されていたのが、実は替え玉であることは、今更言うまでもないこと)、寺山修司が指摘したように、少年探偵団の団員が良家の子息ばかりである理由も、容易に理解出来るというものだ。少年たちのほとんどは親が大金持ちであり、世に知られた財宝のひとつやふたつは必ず持っていたし、団員の家庭なら、事前の調査が万端であったとしても、不思議ではない。シリーズ中二十面相に狙われる財宝のありかのうち、団員の家に所蔵されているケースの多さがそれを物語っている。さらに下世話な憶測をするなら、明智は怪人に狙われた資産家のボディガードとして、それ相当の報酬は受け取っていたはずだし、一旦奪われた財宝を奪還した場合は、特別手当が支給されたと考えるのは妥当だろう。探偵団員としての子息の保護監督の役目も担っているのだから、それだけの報酬でも、相手が資産家だけに、ばかにならない額だったに違いない。その財力をしてなら、二十面相の科学の先端を行く装備や人海戦術も可能であったはずだ。毎回作戦は失敗し、折角奪った財宝を売りさばく暇もなかった二十面相が、すぐに次の作品では、とてつもないスケールの犯罪を仕掛けて来るのだから、どっからそんな資本が流れて来るのか、不思議だとは思いませんか?
 もうひとつ、第一作「怪人二十面相」における鉄道ホテルの怪人対巨人の最初の対面以来、しばしばふたりが個室で対峙するシーンがあることを、読者諸氏はご存じのことと思う。明智が二十面相であるならば、何故そんなまわりくどいシーンが出現するのか。もちろんそんなシーンは存在せず、後で明智がでっちあげただけなのだと理解することも可能だが、ここはもう一歩突っ込んで、盗聴や窃視を前提とした茶番劇であったと考えた方が奥行きが深くなる。
 確かに、これらの推理には、物的証拠が欠けているかも知れない。だが、明智が二十面相ではないという証拠も、実はテキスト内に発見することが出来ないのだ。作者がそのことに自覚的であったとは思えないが、無造作に書かれたとおぼしき文章の端々に、それをにおわせる表現が散見しているのは見逃せない。
 代表的な例を挙げるなら、「怪奇四十面相」おいて、世界劇場で「透明怪人」の芝居がかかっているという場面がある。この芝居で主演俳優が探偵と怪人の二役を演じているという設定は、無意識のうちに作者の脳裡に探偵イコール犯人という古典的トリックがよぎったために発想されたのではないかと思わせる。
 だけどぶっちゃけた話、「虎の牙」に登場する魔法博士の正体は二十面相であると断言しておきながら、「探偵少年」で登場した魔法博士を明智が「雲井良太というお金持ちの変わりもの」と親しい友人のように説明し、彼との知恵くらべを小林にそそのかしているところなど、自らネタを割っているわけで、語るに落ちるとは、まさにこういうことを言うのよな。さらに「魔法博士」に登場した時には、性懲りもなく二十面相説をとっているのだから、もう、何も言う気はせんわ。
 追う者と追われる者とにかよう奇妙なシンパシーが、やがて恋愛感情に発展する経緯に焦点を絞った三島由紀夫版「黒蜥蜴」において、女賊の心を奪った盗賊が他ならぬ探偵であったという指摘は、そのあたりの消息をよく把握している。また、結末の曖昧さで一部のミステリ・ファンには不評だという「陰獣」において、脅迫者と被害者は逆転し、探偵役の作家もまたこの迷宮的な関係の中で、いつしか対局の位置に立つ自分を発見する(浜田雄介「『陰獣』論」参照)。この考えをさらに推し進めると、探偵と犯人と被害者が同一人物であるという構図も成立するというわけだ(百瀬久「江戸川乱歩『屋根裏の散歩者』論」参照)。
 乱歩がこのことにもっと自覚的であったなら、我々はすてきもない「明智小五郎最後の事件」という作品を読むことが出来たかも知れない。トリックをあばくのは、現役を引退した明智にかわって日本一の名探偵となった小林青年であろう。
「先生、二十面相はやっぱりあなただったんですね」
 小林の指摘に、明智は微笑みながら首肯く。
「長い間隠しておいてすまなかったね。でも小林君、君ならきっとこのことに気づいてくれると思っていたよ。僕をうらんでいるかい?」
「いいえ」と、小林は首を振るに違いない。「あなたのおかげで、私たちの少年時代は、かけがえのない輝きを獲得することが出来たのです」と。
 そんな小説、読んでみたかったとは思いませんか?

少年探偵シリーズ関連年譜
大正11年 「二銭銅貨」「一枚の切符」を脱稿。「一枚の切符」には、モジャモジャ頭の青年が探偵役で登場している。
大正12年 「二銭銅貨」(「新青年」)でデビュー。
大正14年 「D坂の殺人事件」で明智小五郎登場。続く「心理試験」「黒手組」「幽霊」にも連続して登場し、次第に名声を高める。(「幽霊」では早くも実業家とのコネクションを作っている)一方、「屋根裏の散歩者」では犯人の友人としてメフィストフェレス的役割も演じる。
大正15年
昭和元年
「一寸法師」上海帰りの明智、支那服で登場。
昭和3年 稲垣足穂との交遊はじまる。
昭和4年 小酒井不木逝去。
「芋虫」(「新青年」)「悪夢」とタイトルを変え伏せ字だらけで発表。
「蜘蛛男」明智「アフリカかインドの植民地で見る英国紳士」風に変貌。
この年後半期より内外同性愛文献の蒐集をはじめる。
「生きるとは妥協すること」(「探偵小説四十年」の記述)
昭和5年 短篇集「明智小五郎」(先進社)刊行。
「魔術師」明智、文代と恋におちる。
「吸血鬼」文代、明智の助手として登場。同時に少年探偵小林も登場。
「黄金仮面」アルセーヌ・ルパンと対決。
昭和9年 「人間豹」対戦相手が人間以外の化け物になる。
昭和11年 「怪人二十面相」(「少年倶楽部」)明智に影武者がいることが判明。
昭和12年 「少年探偵団」(「少年倶楽部」)少年探偵団、正式に発足。
昭和13年 「妖怪博士」(「少年倶楽部」)明智が社交倶楽部の会員で、少年たちの父親である富豪たちと顔見知りであることが明らかとなる。
昭和14年 「大金塊」(「少年倶楽部」)二十面相登場せず。
昭和24年 「青銅の魔人」(「少年」)二十面相のパフォーマンス化。
昭和25年 「虎の牙」(「少年」)魔法博士を名乗る二十面相。
昭和26年 「透明怪人」(「少年」)
昭和27年 「怪奇四十面相」(「少年」)世界劇場で上演中の芝居「透明怪人」で、主演の役者が怪人と探偵の二役を演じている。怪人が小林に「おれは、ほんとうに、きみがすきなんだからね」と告白(?)する。
昭和28年 「宇宙怪人」(「少年」)犯行目的の変化。
昭和29年 「鉄塔の怪人」(「少年」)「カブトムシ少年隊」を組織する怪人。
昭和30年 「海底の魔術師」(「少年」)冒頭シーンは「ゴジラ」の影響か?
「灰色の巨人」(「少年倶楽部」)サーカス団を利用して逃走する怪人。
「探偵少年」(「読売新聞」絵物語)小林と魔法博士の知恵くらべ。明智、魔法博士の正体は雲井良太というお金持ちの変わりものであると説明。
昭和31年 「天空の魔人」(「少年クラブ」増刊)二十面相登場せず、明智も最後にチラリと出て来るだけ。
「魔法博士」(「少年」)黄金仮面を操る魔法博士の正体は、やっぱり二十面相。(「それとも四十面相と呼んだほうがいいのか」と明智のセリフ)
「黄金豹」(「少年クラブ」)明智夫人、長い病気中。以後登場せず。
昭和32年 「妖人ゴング」(「少年」)マユミおねえさま登場。すかさずおねえさまに女装する小林君。
「魔法人形」(「少女クラブ」)「ルミちゃんもこんな人形になりたいとは思わないかね」と少女をかどわかす怪人。
「サーカスの怪人」(「少年クラブ」)明智、怪人二十面相の正体は元サーカス団員、遠藤平吉であると発言。
「まほうやしき」(「たのしい三年生」)
「赤いカブトムシ」(「たのしい三年生」)またもや魔法博士との知恵くらべ。虎や青銅の魔人も使い回されている。
昭和33年 「奇面城の秘密」(「少年クラブ」)二十面相の手下、ジャッキー、五郎、のっぽの初こう登場。(但し今回のみ)
「夜光人間」(「少年」)
「塔上の奇術師」(「少女クラブ」)四十面相にも替え玉があることが判明。
「ふしぎな人/名たんていと二十めんそう」(「たのしい二年生」)
「鉄人Q」(「小学四年生」〜「小学五年生」)
昭和34年 「仮面の恐怖王」(「少年」)仏像に化ける二十面相。
「かいじん二十めんそう」(「たのしい二年生」)
昭和35年 「電人M」(「少年」)よりSF的展開に。
「おれは二十面相だ」(「小学六年生」)
「怪人と少年探偵」(「こども家の光」)
昭和36年 「妖星人R」(「少年」)明智、二十面相と同じ飛行具で空中戦を演じる。
昭和37年 「超人ニコラ」(「少年」)少年探偵シリーズ最後の作品であると同時に、乱歩最後の創作となった本作でも、遂に二十面の正体は明らかにならない。但し、「猟奇の果」に登場した人間改造術が披露される。
掲載2004年4月19日(copyright 八本正幸)
八本正幸〔やもと・まさゆき〕昭和33年7月8日(1958)−/人でなし倶楽部
初出平成9年(1997)/「『新青年』趣味」5号(4月)