波多野完治

平成6・1994年

体験的古本屋論
 乱歩さんの英書読書力は有名で、一日にほぼ一冊の長編を読んだようだが、買うのもまたスピードで、毎日のように来店しては、三冊、四冊と求めて行かれた。これらの新しい推理小説研究の結果は、大体「幻影城」によってこれを知ることができる。
 新しい推理小説の研究は、江戸川乱歩さんばかりでなく、春山行夫もまた好んで読むところであった。その結果、わたしの店で入手したばかりの作品を二人で争う、という場面も、二、三回にして止まらなかった。わたしは、終戦当時、春山氏とは、まだゆっくり話しあったことがなかった。後にこの詩人兼名編集者は、NHKラジオの番組『話の泉』の常連として有名になり、その後は「優秀映画鑑賞会」の推薦委員として、毎月のように顔を会わせることになるのだが、終戦当時は、まったく面識がなかったので、わたしはもちろん、春山氏を見知ってはいたが、向うがあいさつしない以上、古本屋の仁義として、こちらも行きずりの客としてあつかうほかはない。これに反して、乱歩さんの方は、氏の長男が心理学を専攻され、長く東大の新聞研究所にいたので、後輩のおやじだ、という関係がある。で、自然と、推理小説のめずらしいものは、棚に出さず、しまっておいて、乱歩さんが来たときにお見せするという、いわゆる顧客関係が生じた。将兵本のように、流通経路がかぎられている場合、顧客関係があるのとないのとでは、大きな差が出る。乱歩さんの方は、いわゆるウブいものを入手し、春山さんの方は二冊目、三冊目の二番せんじをつかまされる。
初出:新潮45 平成6・1994年3月号
底本:紀田順一郎編『古書2』日本の名随筆別巻72 作品社 平成9・1997年2月25日

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