岩田貞雄

平成13・2001年

東京本郷「伊勢栄旅館」の夜  岩田鏡之助
 この五月末に、愚娘岩田準子の長編小説「二青年図 乱歩と岩田準一」が新潮社から刊行された。折柄、小生も亡父岩田準一の日記を活字化すべく原稿化に励んでいるが、父と乱歩との出合いは、大正七年に中学五年であった父が、鳥羽小学校で、「宮瀬準一夢二風個展」を開いたときであった。その後、乱歩が鳥羽造船所にいた間、当時インテリ青少年の溜り場であった鳥羽キリスト教会に於て六、七回の邂逅であったが、その後は探偵作家江戸川乱歩に再会するため、乱歩の寓居を訪うたときであった。父は文化学院の学生であったが、大正十四年十一月十三日の日記を抽出してみると──
 雨がしけてゐる。今朝の新聞をふと見たら江戸川乱歩氏が丸之内ホテルから本郷の伊勢栄に移宿し滞在してゐると云ふ記事を見た。数日前この人が東京の放送に「探偵趣味の話」をしたので上京してゐる事だけは分ってゐたが、住所が分らなかったので、一度逢ってみたいと思ひ乍らもそのまゝになってゐた。所が分ったので今日は早速訪ねて見るつもりで学校が終って二時頃、本郷に行くと生憎外出で不在だと云ふ。仕方がないので名刺だけ置いて今夜を期して一旦帰った。
 夜又雨の中を出かける。少し寒くなった様である。今夜はA君等の学校で英語研究会があり、劇の試演もあるのでA君から是非と招待を受けてゐたのであったが、それも構はず本郷へ再び出かけた。昼間、名刺を置いて来たのに、折角行ったら近所の梅本(寄席)へ出かけたと番頭が云ふ。そのまゝ帰らうかと思ったが、折角だと思って業々梅本へ這入る。直ぐ乱歩氏を見つけたが、乱歩氏は七、八年前の自分を忘れてゐたからと云って失礼を謝し、二人ですぐそこを出て旅館に戻り、十時過ぎまで久々で面白く快談をした。又の日の再会を約して探偵趣味の会へも自分は入会する事とし、自分の旧作の「彼の偶像」を是非見たいから大坂まで送って貰へないかと現住所も知らせて貰ひ、漸く別れて宿を出た。
 十二月十七日の条には、江戸川乱歩氏が来春早々大阪から東京へ引移って来るさうである。昨夜はその手紙に接し、今朝は又、いつか送った原稿や新聞切抜きなどを送り返して来た。
──と誌されている。
典拠・底本:岩田鏡之助(岩田貞雄)「東京本郷「伊勢栄旅館」の夜」〔文芸随筆 39号 平成13・2001年10月15日〕
掲載:2009/02/16

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