小酒井不木

昭和2・1927年

江戸川氏と私
 関東の大震災の後、私は田舎から名古屋に移り住んだ。その翌年中、同氏はやはりポツリポツリ発表した。いずれも傑作ばかりである。私は、江戸川氏にむかって、探偵小説家として立ってはどうかということをすすめた。すると、森下氏あたりからも、その話があったと見え、同氏は「心理試験」の原稿を私に送り、これで探偵小説家として立ち得るかどうかを判断してくれというような意味の手紙を寄せた。
 「心理試験」を読んで、私は、何というか、すっかりまいってしまった。頭が下った。もうはや、探偵小説家として立てるも立てぬもないのだ。海外の有名な探偵小説家だってこれくらい書ける人はまずないのだ。そこで、更に大にすすめたのであるが間もなく、一度上京して、色々な人に逢って決したい。その序に立ち寄るという手紙が来た。
 私は大に待った。十四年の一月、とうとうやって来た。初対面の挨拶に頭の毛のうすいのを気にした言葉があった。私たちは大に語った。江戸川氏は、これから書こうとする小説のプロットを語った。それが、後に「赤い部屋」として発表されたものである。
 同氏はこのとき、頻りに私に、創作に筆をそめるようすすめた。私も、創作をして見ようかという心が、少しばかり動いていたときであるから、とうとう小説を書くようになったのである。「女性」四月号に出た「呪われの家」がいわば私の処女作であった。
初出:大衆文芸 昭和2・1927年6月号(2巻6号) 江戸川乱歩特集(人および作品について)
底本:小酒井不木『犯罪文学研究』国書刊行会 クライム・ブックス 平成3・1991年9月30日
掲載:2009/02/14

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