大坪直行

平成20・2008年

乱歩編集『宝石』を支えた男──大坪直行インタビュー
聞き手・構成:新保博久

──話が先走ってしまいましたが、『宝石』の昭和三十四年十月号から、それまで乱歩さんが掲載作品の全部にルーブリックと称する紹介文を書いて(R)と署名していた、その(R)が消えていますね。このあたりから大坪さんと手分けして書くようになったのではないかと……
大坪 そうだったかも知れないね。ちょっと記憶が定かじゃないけれど、これは乱歩先生が一部書けないから手伝ってくれって言われて、はじめ乱歩先生の文体に似せて書いたことが確かにありましたね。それが何時からか分からない。
──昭和三十五年十一月号から、編集後記も乱歩さんから大坪さんに変わると宣言されて、ルーブリックの文体も一変しています。ここからは完全に大坪編集長の時代ですね?
大坪 その前から実質的な編集長みたいなことをやっていました。光文社へ行ってからもそうなんだけど、僕はまず目次作っちゃうんだ。こういう人のこういう作品を載っけようって、編集会議でこれで行きましょうって言って、それから作家に発注するの。
 先生が三十三年十二月に聖路加病院に高血圧で入院した(診たのは日野原重明博士)ときはまだお元気だったんだが、三十五年の九月から十月まで一ヶ月間、蓄膿の手術を慶応病院でやったあたりから、どんどん悪くなった。それまで、乱歩先生は月に一回くらい出社されていたのが、二ヶ月に一回になり、遂に月一、二度ハガキか手紙で意見や指示がくる程度になりました。先生が『宝石』からもほぼ手を引かれるのと同じころ、一時的に回復していた宝石社もまた翳ってきた。
初出・底本:本の雑誌 平成20・2008年2月号
掲載:2008/04/06

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