須藤憲三

昭和44・1969年

乱歩先生の「少年もの」
 それまでの少年倶楽部の探偵小説は、みんな少年探偵が主人公で活躍する話ばかりだったが、どうもいま一つ迫力に欠ける憾みがある。この点を編集部内でいろいろ検討し合って昭和十一年度新年号の立案をしているうちに、“なあんだ、そんなことか”と思い当るふしにぶつかったのだ。つまり、主人公である名探偵は、多彩な特殊能力を身につけた、一種のスーパーマンであることが読者をひきつけるのである。シャーロック・ホームズにしても、半七にしても、むっつり右門にしても、みなそういう人物に設定されているではないか。そんな重い役割を少年にやらせようとするから、話がそらぞらしくなったり、すじが甘くなったりして感興をそぐ結果になる。こんなわかりきったことに、どうして今まで気づかなかったのかと、頭をたたいてくやしがったものである。
 さて、それではどんな名探偵に登場してもらうか。
 誰もの口から“明智小五郎”の名が出て、異議なくそれにきまった。その頃の少年倶楽部新年号案は、だいたい六月一ぱいに原案をまとめ、七月中にそれを社内数十人からなる中会議にかけて審議を経た上で、八月下旬から九月初めの社長邸大会議で最終的に決定するのであったが、その中会議で江戸川乱歩起用案はだいぶ論議の的になった。
 乱歩先生は当時講談倶楽部に“蜘蛛男”を、キングに“黄金仮面”を連載中で、ともに読者をうならせる抜群の評判作であったが、いわゆる良風美俗の選からははずれたものである。ましてそれ以前の、本社の雑誌以外に発表された作品は、何の制約もなく奔放自在に発想執筆したものだから、道学者流の眼には一段といとわしいものに受けとられていることも想像できなくはない。中会議での発言の多くは、やはりそこのところを案じて、
 「無理せん方がいいのじゃないかね。書きはじめてから悶着が起ったりすると、大人雑誌に迷惑がかかることにもなりかねないからな。どうも乱歩さんと少年ものというとりあわせは、われわれの常識ではまるでそぐわない気がするよ」
 という忠告めいたものだった。私どもはこれに対して今までの研究の経過を述べるとともに、明智小五郎がいかに闊達な、少年向きの英雄であるかを、例をあげて説いたものである。結局中会議は、
 「まあ、少年倶楽部は佐藤紅緑さん以来、畑ちがいの作家に傑作を書いてもらうのが得意の編集だから、その実績に信頼して賛成ということにしましょう」
 といった次第でパスした。東京会館で私が先生に会ったのは、この会議のあとだった。
初出・底本:江戸川乱歩全集月報 8号 昭和44・1969年11月10日
掲載:2009/02/24

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