宇野浩二

大正15・1926年

日本のポオ──江戸川乱歩君万歳
 江戸川乱歩といふ名前を私が初めて知つたのは、たつた去年(大正十四年)の春のことだつたと思ふ。しかもそれは活字で見たのではなく、いきなり彼自身私の前に現れたのである。彼はその時から一年と経たない中に、かくも有名になつてしまつた。かういふ江戸川乱歩に何か見るところがあつて訪問された私は、少くとも光栄を感じなければならぬ。もつとも彼は初めから私にいはゆる文学青年のやうな感じを起こさせなかつた。何故といつて、一見して、私自身と余り年齢も違はなささうだし、その態度もいふことも、いゝ意味ですつかりをとなだつた。その時彼は懐から一冊の雑誌を出して、「ところで、自分はかういふものを書いてゐるものだが、読んで見てほしい」といつた。現在は大阪在に住んでいる、そして一両日前に東京へ来たのであるが今夜にも帰るつもりであるといつて、彼は雑誌(新青年)を残して帰つて行つた。
 彼が帰つた後で、私はさつそく彼の置いて行つた雑誌を取上げて彼の名で書かれてある探偵小説を読んで見た。たしか「心理試験」だつたと思ふ。相当に感心したので、私は彼が私を尋ねてくれた名誉に報いるつもりで、当時報知新聞に彼を紹介する一文を書いたことがある。以来、江戸川乱歩とは誰か、彼はどこに住んでゐるか、と私はまるで縁者でもあるかのやうに、雑誌社の人とかその他のいろいろな人から尋ねられた。
 無論私が紹介するまでもなく、その後多くの雑誌記者は彼の寄稿をこふために大阪在の彼の住居の門を叩き、或は手紙や電報を飛ばしたことだらう。そして、瞬く間に彼はかくも有名になつた。最近新聞の消息欄を見ると江戸川乱歩大阪を引上て東京に来るといふやうな記事が出てゐた。江戸川君、来給へ。
 ◇
 さて、その後私は大阪に帰つた彼から「D阪事件?」の出てゐる雑誌を送られた。つゞいて「二銭銅貨」の出てゐるもの、それから「黒手組」「赤い部屋」などの出てゐる雑誌を次々と送られた。最後に単行本になつた探偵小説集「心理試験」を。
 私は「心理試験」と「D阪事件」とに最も感心した。彼の諸作を概観して驚くべきことは本家のアラン・ポオ以来の歴代の探偵作家たちのあらゆる観察法と手法とを悉く彼自身の薬籠中のものとしてゐる手際である。そして又彼の日本文の暢達さは、彼自身谷崎潤一郎と佐藤春夫と宇野浩二とを以前研究したことがあるといつた如く、彼らの文章をこれ又、悉く彼自身の薬籠中のものとしてゐる点である。無論、彼は単なる模倣家ではない。私は彼に初めて会つて、それから彼の作品の一つを初めて読んだ時、この人はたゞの駈出し作家ではないと思つた。随分長い間、文学に心をひそめて苦心惨憺して来た人に違ひないと思つたのである。何か一つ書いて当たつたといふやうな人ではなく、隠れてゐた間に随分文学を練つた人であらう。彼が現れると忽ちにして名をなしたのは偶然のことではないと思はれる。
初出・底本:サンデー毎日 大正15・1926年1月10日号
掲載:2009/02/14

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