大正13・1924年 |
1月 |
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1月31日 木曜日 | |||
「二癈人」を脱稿。[■初出末尾] |
4月 |
4月1日 | |||
門真村から守口町の繁男の家の近くに転居。このころ、関東大震災に遭って大阪に移住した家元から河東節を習った。[■探偵小説四十年「大正十三年度の主な出来事」] 住所は大阪府北河内郡守口町二六六。九月までこの家に住んだ。[■貼雑年譜「京阪地方住居移転地図」] |
6月 |
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6月1日 日曜日 | |||
「新青年」六月号(第五巻第七号)の発行日。「二癈人」が掲載された。 |
6月 | |||
「双生児」を脱稿。[■初刊末尾] |
8月 |
8月5日 火曜日 | |||
「新青年」夏期増刊号(第五巻第十号)の発行日。 掲載された評論をむさぼるように読み、久米正雄、加藤武雄らの文章におおいに刺戟を受けた。とくに佐藤春夫が「探偵小説小論」に記した探偵小説の定義は長く記憶にとどまった。[■探偵小説四十年「私を刺戟した評論」] |
9月 |
9月 | |||
繁男が咽頭癌であることが判明した。家計上の理由で、ふたたび繁男の家に同居することになった。[■探偵小説四十年「大正十三年度の主な出来事」] 住所は大阪府北河内郡守口町外島六九四番地。家賃三十円。大正十五年一月までこの家に住んだ。[■貼雑年譜「大阪毎日新聞営業部員」] |
10月 |
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10月1日 水曜日 | |||
「新青年」十月秋季増大号(第五巻第十一号)の発行日。「双生児」が掲載された。 |
10月 | |||
「D坂の殺人事件」を脱稿。[■初刊末尾] |
11月 |
11月 | |||
「心理試験」を脱稿。繁男ときくの前で朗読した。繁男が面白がってくれたため、「新青年」夏期増刊号に掲載された探偵小説論の要所を読みあげ、職業作家になることの許しを乞うた。繁男の諒承が得られた。[■探偵小説四十年「私を刺戟した評論」] |
11月26日 水曜日 | |||
小酒井不木に手紙、二、三日前に書きあげた「心理試験」を別便で送り、それを一読して探偵小説家として一人前になれるかどうか判断してくれるよう依頼した。[■子不語の夢] |
11月29日 土曜日 | |||
小酒井不木が乱歩に手紙、「心理試験」に感服したと述べ、探偵小説家として立つことを勧めた。[■子不語の夢] ほぼ同時に森下雨村が乱歩に手紙、「新青年」に六回の連続短篇を書くことを提案した。[■探偵小説四十年「「D坂」と「心理試験」」] |
11月30日 日曜日 | |||
文筆だけで生活することを決意し、大阪毎日新聞社を退社した。[■探偵小説四十年「大正十三年度の主な出来事」] |
12月 |
12月5日 金曜日 | |||
小酒井不木に手紙、探偵小説に専念する決意を伝えた。[■子不語の夢] |
12月29日 月曜日 | |||
小酒井不木に手紙、翌年一月に上京する途次、訪問したいと伝えた。[■子不語の夢] |
12月 | |||
「黒手組」を脱稿。[■初刊末尾] |
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