昭和21・1946年


1月

1月1日 火曜日
《餅なく、雑煮なく、しめ飾りなく、門松なく、国旗もない敗戦第一年の正月なり。終日来訪者なし》・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

1月2日 水曜日
午後、前田豊秀が来訪。前田からは前年末、乱歩を主幹として探偵雑誌を発刊したいと依頼があった。その条件を覚え書きとして手渡す。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

1月9日 水曜日
小栗虫太郎が来訪し、一泊。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)
《二人は焼野原の中に辛うじて残った私の家の一室で夜をふかして探偵小説の事を語った》・小栗虫太郎君(昭和21・1946年/うつし世は夢)

1月10日 木曜日
小栗虫太郎、再泊。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)
小栗虫太郎は1月4日に上京し、海野十三宅に宿泊した。海野は1月10日の日記に「乱歩さんは相変らず老人ぶって引込んでいるのは遺憾である。しかし色気は皆無というには非ず、一年一作で十分たべられるというものをやりたいとのべていると、小栗虫太郎が帰って来ての話だ。これは大いによろしい」と記した。・長山靖生「解説」/海野十三『海野十三敗戦日記』中公文庫 平成17・2005年

1月23日 水曜日
前田出版社から探偵雑誌を発行する計画が不調に終わる。《クイーン雑誌にならいて「江戸川乱歩・ミステリー・ブック」と題し、内外の名作再録雑誌にするつもりなりしが》・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

1月26日 土曜日
夜、名古屋へ出発。井上良夫未亡人ゆき子を訪ね、英文探偵小説の蔵書約百冊を譲り受ける。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

1月28日 月曜日
名古屋から一番列車で帰京。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

2月

2月10日 日曜日
小栗虫太郎、四十四歳で死去。
午前、小栗虫太郎の死去を知らせる電報が届く。弔電と香奠を送る。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

2月16日 土曜日
城昌幸、岩谷書店の岩谷満と武田武彦を同伴し、探偵雑誌「宝石」創刊の挨拶に来訪。長篇執筆を依頼されるが、断る。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

2月19日 火曜日
終日、アイリッシュ「ファントム・レディ」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

2月20日 水曜日
朝、春山行夫が来訪。春山が編集長を務める文芸科学ニュース誌「雄鶏通信」で「ファントム・レディ」を優先して紹介することを約す。終日、「ファントム・レディ」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)
「ファントム・レディ」の表紙裏に「昭和二十一年二月二十日読了、新らしき探偵小説現われたり、世界十傑に値す。直ちに訳すべし。不可解性、サスペンス、スリル、意外性、申分なし」などと記す。「ファントム・レディ」は厳松堂で春山行夫に売約済みだったものを横取りした。・ウールリッチ=アイリッシュ雑記(昭和28・1953年/幻影城)
□春山行夫「本を浚われた話」昭和29・1954年
□波多野完治「体験的古本屋論」平成6・1994年

2月24日 日曜日
「ロック」に「小栗虫太郎」原稿三枚、速達で送る。午後一時、初音町(小石川二丁目)の源覚寺で営まれた小栗の埋骨式に海野十三らと参列。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)*乱歩は「源光寺」と誤記

2月25日 月曜日
「宝石」の岩谷満と武田武彦、写真班二人を同伴して来訪、乱歩の写真を撮影。「新人ウールリッチ」原稿五枚、手渡す。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

2月27日 水曜日
午後三時から新橋の銀八で雄鶏社推理叢書の会合。雄鶏社の武内俊三、木々高太郎、大下宇陀児、海野十三、小島政二郎と出席。クイーン雑誌を閲覧するため放送会館の進駐軍図書館に行くが、日比谷に移転中で果たせず。ディクスン「孔雀殺人事件」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月

3月2日 土曜日
大慈宗一郎と中島親が来訪。ディクスン「ユダの窓」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月5日 火曜日
スピカ社の湯沢が来訪、猪熊弦一郎による乱歩選集の表紙絵を持参。「苦楽」の広瀬照太郎の子息が来訪、「ファントム・レディ」の翻訳を連載することに決める。ディクスン「ユダの窓」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月7日 木曜日
クレイグ・ライスの記事が「タイム」に掲載されたことを読売新聞で知り、アメリカの探偵小説を紹介する原稿に訂正が必要となって春山行夫を訪ねるが、不在。日比谷の米軍図書館で「タイム」を閲覧。帰途、神田の厳松堂に立ち寄り、ジョセフ・ジュリアンという進駐軍の文官と話す。波多野完治と会う。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月8日 金曜日
朝、春山行夫宅を訪問、原稿を取り戻し、「タイム」1月23日号を借用。午後五時、波多野完治と新橋の第一ホテルにジョセフ・ジュリアンを訪ね、持参の無惨絵を見せて話す。午後八時辞去。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月10日 日曜日
「苦楽」の小柳が来訪、海外作品の翻訳が困難なため、「ファントム・レディ」の連載をやめることにする。翻訳は十五枚で中絶。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月15日 金曜日
チャンドラー「大いなる眠り」、ハメット「シン・マン」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月17日 日曜日
クイーン「災厄の街」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月19日 火曜日
渡辺健治が来訪、自筆雑誌「黄金虫」第一号を持参。渡辺の実兄祐一(氷川瓏)の「乳母車」が掲載されていた。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月21日 木曜日
赤坂山王(千代田区永田町)の山の茶屋で新日本芸術聯盟発起人会。探偵作家ではほかに大下宇陀児が出席。ライス「すばらしき犯罪」、ウールリッチ「黒衣の花嫁」「コカイン」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

3月30日 土曜日
第一ホテルにジョセフ・ジュリアンを訪問、日本画の掛軸を贈り、帰国したら探偵小説を送ってくれるよう依頼。午後一時から交詢社で「宝石」主催の座談会。進駐軍のタトル大尉を囲み、大下宇陀児、木々高太郎、水谷準、角田喜久雄、渡辺健治、城昌幸、岩谷満と父親、武田武彦らと出席。チェスタトン「木曜日の男」、ラティマー「モルグの麗人」、アイリッシュ「食後の物語」、コリア「緑の思想」、スタウト「ゴムバンド」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

4月

4月8日 月曜日
日比谷の米軍図書館で波多野完治と話す。ジュリアン中佐がペンシルバニア大学の教授と来る。十日、松沢病院を訪ねると約す。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

4月10日 水曜日
ジュリアン中佐、日仏会館のオシュルコン、波多野完治と米軍の自動車で松沢病院を訪問。アイリッシュ「暁の死線」、クイーン「神の燈火」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

4月16日 火曜日
「旬刊ニュース」に「神の燈火」抄訳を四回連載することを約す。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

4月17日 水曜日
正午から高円寺の新山水で「ロック」の会。社長の成田義雄、木々高太郎、海野十三、大慈宗一郎、中島親と出席。午後四時まで。渡辺健治が来訪。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

4月22日 月曜日
「宝石」の岩谷満と城昌幸が来訪、創刊号の完成が月末まで延びたと知らされる。ディクスン「白い准僧院の殺人」、フーラー「ハーバード大学の殺人」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

4月27日 土曜日
延原謙が上海から引き揚げ、来訪。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

4月29日 月曜日
渡辺健治が京都から帰り、来訪。巌松堂に行く。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

5月

5月7日 火曜日
山本直一が来訪。コールタールで自宅の屋根を塗る。クイーン「デヴィル・ツー・ペイ」を読む。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

5月9日 木曜日
小川一彦(双葉十三郎)が初めて来訪。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)
□双葉十三郎「ぼくの特急二十世紀」平成20・2008年

5月12日 日曜日
双葉十三郎と植草甚一が来訪。・探偵小説四十年(昭和32・1957年)

Rampo Fragment
名張人外境