昭和22・1947年


3月

3月25日 火曜日
「宝石」二・三月合併号発行日。「幻影城通信」第六回に「「本陣殺人事件」を読む」を発表。
□横溝正史「横溝正史の秘密 第二部 自作を語る」昭和50・1975年
□小林信彦「小説世界のロビンソン」昭和59・1984年−昭和62・1987年

11月

11月8日 土曜日
朝の急行で東京を発ち、夕刻に名古屋駅到着。熱田中学創立四十周年の記念講演を依頼されたため、岡山の横溝正史、京都の谷崎潤一郎らの訪問も日程に入れた関西地方の講演旅行とし、「探偵小説行脚」と称した。《少し思い上った言い方になるが、わたしはこれを探偵小説復興のための行脚と考え、心中ひそかに、昔の俳諧の宗匠などの行脚になぞらえていた。各地の同好に会って、相励まし、その道を盛んにするための旅行という意味を含ませていた》。岡戸武平、福田祥男、山本直一、菅生辰次郎らの出迎えを受け、旅館に投宿。夜、名古屋タイムス主催の座談会が開かれ、岡戸武平、耶止説夫、福田祥男、服部元正、若松秀雄と出席。記事は十日に掲載された。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月9日 日曜日
午前は熱田中学同窓生と懇談会。午後は名古屋宝塚劇場の小劇場で講演会。熱田中学の罹災校舎復旧費の捻出のための催しだった。午後一時と三時半の二回、一時間ずつ講演し、映画「パレットナイフの殺人」も上映。二回とも満員となった。中部日本新聞と新東海の記者から取材を受け、前者は十日、後者は十一日に掲載。夜、若松秀雄宅で探偵小説談義。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)
愛知県立第五中学校は大正十一年五月一日、愛知熱田中学校と改称。昭和二十年五月十七日、空襲により校舎全焼。昭和二十二年十一月三日、創立四十周年記念式典を行った。・瑞陵高校の歩み年表link

11月10日 月曜日
午前は旅館で小酒井不木未亡人ら訪客の相手をし、岡戸武平、福田祥男と中部日本新聞社を訪問。午後、岡戸が顧問を務めている雑誌「パレス」の社長浅野保宅を訪れ、夕刻から愛知県警察部刑事課長と対談。そのまま一泊した。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)
愛知県刑事課長宇田新蔵との対談は「最近の犯罪を解剖する」として「パレス」十二月号に掲載された。

11月11日 火曜日
岡戸武平、福田祥男、服部元正、若松秀雄と五人で名古屋を発ち、午後、神戸駅到着。西田政治、山本禾太郎の出迎えを受け、詩村映二宅に逗留。夜は神港夕刊主催の座談会。記事は十五日に掲載された。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月12日 水曜日
午前、兵庫区会下山にある西田政治宅を訪問。午後一時から海洋会館で神戸探偵小説クラブ主催、神港夕刊後援の講演会。山本禾太郎、西田政治につづいて一時間あまり話した。終了後、会館内別室でクラブ同人との懇談会。夜、詩村映二宅に辻久一が来訪。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月13日 木曜日
西田政治と神戸を発ち、午後、岡山駅到着。山本直一の手配によるトヨペットの小型トラックで、六里の道を一時間あまり走る。横溝正史宅で正史一家、広島から先着していた鬼怒川浩に迎えられ、宿泊。正史とは翌朝五時まで話し込んだ。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)
□西田政治「二人旅四日太平楽」昭和22・1947年
□横溝正史「『二重面相』江戸川乱歩」昭和40・1965年10月

11月14日 金曜日
倉敷高等女学校で毎日新聞岡山支局主催、岡山県防犯協会後援の講演会。西田政治、横溝正史のあと演壇に立つ。つづいて二三会館で支局主催の座談会。記事は毎日新聞岡山版に十九日と二十日に掲載。夜、支局と協会から招待されて歓談。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月15日 土曜日
横溝正史宅で夕刊岡山主催の座談会。横溝正史、西田政治、鬼怒川浩、妹尾韶夫、阿知波五郎らと出席。日本探偵小説のベストスリーを選び、乱歩は「押絵の奇蹟」「鬼火」「赤いペンキを買った女」をあげた。記事は二十日に掲載。夜、横溝、西田と三人で「桜三吟」と題する連句を巻いた。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月16日 日曜日
横溝正史宅を辞し、倉敷駅から京都へ向かう。西田政治は神戸駅で下車、一人で銀閣寺前の橋本関雪邸を訪れる。戦争末期まで池袋の同じ町内で住んでいた当主の節哉と歓談し、一泊。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月17日 月曜日
午前、橋本関雪邸の庭園と美術品を見る。谷崎潤一郎と交際のある節哉に仲介を依頼し、二人で谷崎の新居潺湲亭を訪ねる。《谷崎さんとは十年も前に一度文通したことがあるだけで、お会いするのは今度がはじめて、奥さんも同席され丁重な食事のおもてなしに預かり、お酒も出ていろいろ話をしたが、谷崎さんは文学談など好まれぬ様子なので、こちらも差し控え、結局文学以外の話の方が多かった》。二時間あまりで辞去、節哉と嵐山をドライブし、苔寺の庭を見る。夜は京大の小南又一郎の来訪を乞い、法医学の話を聞く。橋本亭に宿泊。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)
谷崎潤一郎は昭和二十一年十一月、左京区南禅寺下河原町に一戸を構え、潺湲亭と名づけた。二十四年四月末、左京区下鴨泉川町に転居。それぞれ前の潺湲亭、後の潺湲亭と呼ばれることになる。・野村尚吾「谷崎潤一郎年譜」/『伝記谷崎潤一郎』六興出版 昭和47・1972年

11月18日 火曜日
京都から名古屋へ。岡戸武平、山本直一と落ち合って桑名の都築高光を訪問。桑名に疎開していた辰野九紫、名古屋の尾崎久弥も来て、夜遅くまで歓談。桑名市に一泊。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月19日 水曜日
岡戸武平、山本直一、辰野九紫と津市へ。墓参。三重県警察部長から講演を依頼されたため、二日間の余裕が必要となる。四人で松阪市に行き、後藤次郎の世話で和田金に一泊。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月20日 木曜日
四人で鳥羽町へ。坂手島に渡り、隆子の実家村山家を訪問、宿泊。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月21日 金曜日
四人で津市へ引き返し、午後一時から津警察署で県下の警察官百人あまりに講演。夜は県警察部長らと歓談したあと、名古屋駅に戻り、急行で帰京。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

11月22日 土曜日
朝、東京駅に到着。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)

Rampo Fragment
名張人外境