沢木耕太郎　　

　「人間椅子」江戸川乱歩
　少年時代、私が夢中になって読んでいたのは推理小説と時代小説だった。それもあって、このアンソロジーにはどうしても推理小説の短編を入れたかった。
　どれにしようか迷いに迷ったが、ひとたび江戸川乱歩の「人間椅子」が思い浮かんでしまうと、もうそれ以外には考えられなくなってしまった。
　美しい女流作家のもとに謎の手紙が届く。そこにはひとりの男の変質的で熱狂的な欲望が書き込まれている。それを読み終わると、さらにもう一通の手紙が届く。それによって、一応の決着はつくが、しばらくして考えはじめると、読者は無限の「右か、左か」の連鎖にとらわれていくようになる。どこまでが本当で、どこまでが嘘なのだろうか。手紙の主は、そのとき、どこにいたのだろうかと。