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2010年2月22日(月)

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2月22日 東京新聞(中日新聞東京本社)
2月22日付朝刊掲載
映画『キャタピラー』若松孝二監督 戦争と権力への抵抗貫く 石原真樹
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映画『キャタピラー』若松孝二監督 戦争と権力への抵抗貫く

2010年2月22日 朝刊

「映画監督は『自分はこれに腹が立っている』ということを1シーンでいいから見せるべきだ」と語る若松孝二監督=東京都渋谷区で

 戦争で人生を狂わされた夫婦の姿を鋭く描いた映画「キャタピラー」を、ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品した若松孝二監督。惜しくも受賞は逃したが、権力の横暴を憎み、人間の欲望を冷静に見つめる監督の視線は、一九六〇〜七〇年代、ピンク映画で若者らの支持を集めた当時から何一つ変わっていないように見える。彼の作品の底流にあるのは、世の中への怒りにも似た厳しいまなざしだ。

  (石原真樹)

 監督が「キャタピラー」を撮ろうと考えたきっかけは、三年前の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」にある。過激派・連合赤軍が七〇年代に引き起こした連続リンチ殺人と、あさま山荘立てこもり事件を再現しようとした作品。ベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞などに輝いた。

 監督は、学生たちが暴走したのは、戦争の悲劇と反省を忘れ経済発展にまい進する国家に憤ったため、とみる。あさま山荘事件から歳月が流れたが、状況は何も変わらず、日本人はますます戦争を「過去のもの」として片付けようとしている。監督の目にはそう映り、戦争の悲惨を作品として残さなければ、と考えた。

 監督は「日本人は戦争をすぐ忘れる。女性たちが(権力者の)政治家にキャーッと黄色い声を上げる姿を見て、自分たちが戦争で被害を受けたのに、なぜ?と、ぼうぜんとした」。

 「キャタピラー」の主人公は、戦地で四肢を失い、耳が聞こえず、口もきけない夫(大西信満)と、その妻(寺島しのぶ)。夫は昼も夜も布団に横たわり、勲章や戦功をたたえる新聞記事が精神的なよりどころだが、戦地で女性を暴行、殺害した過去におびえる。

 「お国の誇り」と近所から言われ、妻は身の回りの世話をするが、かつて自分に暴力をふるった夫を支配することに、やがて不気味なまでの快楽を覚える。

 夫婦は怒りや苦しみを表に出すことは許されず、やり場のない思いを抱えながら、食べて寝て、性行為を繰り返す。静かな農村でひっそりと営まれる異常な日常。若松監督は、情欲と本能のままに生きる傷病兵とその妻を通して、戦争の愚かさを生々しく描き出す。江戸川乱歩の短編「芋虫」などに触発されたという。

 映画評論家の村山匡一郎さんは「戦争の悲劇がじんわり伝わってくる。戦争映画はかつてエンターテインメント性高い『ドンパチもの』が多かったが、最近は個人に焦点を当て、感情から反戦を訴える作品が多い。『キャタピラー』もその流れにあるのでは」と指摘する。

    ◇

 若松監督は一九三六年、宮城県生まれ。高校一年生で家出をし、その後上京。仕事を転々とし、日雇い賃金をピンハネされた。かりんとう工場の従業員が油の煮えたぎる釜に転落死しても補償されない現実も目の当たりにした。このとき覚えた社会への憤りが「人生の原点」という。

 監督を志したのも、極道だったころ警察に逮捕され、その扱われ方に腹を立て、映画の中でなら警察を敵に回せると考えたからだ。「社会に人生を教わった。僕はへそ曲がりだが、怒りがあるから映画を撮れる」

 「赤軍−PFLP・世界戦争宣言」(71年)の撮影で日本赤軍メンバーと交流を持ち、国家と戦う人間を間近に見た。その関係で、自身も警察の家宅捜索を何度も受けた。そんな人生から、「兵隊さんになると思っていた」少年時代には気付かなかった国家の横暴が分かってきた。

 監督は、六三年のデビュー以来、百二十本以上の作品を監督したり製作したりしてきた。多くはピンク映画。かつては“ピンク映画の黒沢明”の異名を取った。女性の裸を出す約束以外、作品の中身は監督の裁量に委ねられる世界で「反権力」と「エロス」を自在に表現してきた。「キャタピラー」は、そこで磨き抜かれた腕と、貫いた「反権力」という信念が結実した所産といえそうだ。

 
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