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平成22・2010年5月13日 毎日新聞社 | |
アナクロですが 〈その33〉夜雨のD坂から 玉木研二 | |
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<その33>夜雨のD坂から2010年5月13日 江戸川乱歩 地番でいえば東京都文京区千駄木2、3丁目の境になる団子坂は、今はマンションなどにはさまれた、ただの坂道であるけれど、江戸川乱歩の熱いファンには「聖地」の一つであるらしい。初期の代表作「D坂の殺人事件」はここを舞台に生まれた。谷根千(下町情緒を残したこの辺りの谷中、根津、千駄木を合わせ呼んだ略称)散策コースだが、これ、別に何てことのない風景だった。ところが、とある雨の晩。地下鉄千代田線千駄木駅で下車し地上に出ると、そこには滑り降りてくる車列や街の明かりをにじませる団子坂。奥は闇に包まれ、ややっ、これぞ乱歩ワールドの気配ではないか。確かに「D坂」がそこにひっそりと息づいていた。 □ □ 乱歩の少年探偵シリーズ ここでおどろおどろしいメロディーでハモンドオルガンの間奏を入れたいところだ。ファンの域には達せず「巨人」乱歩の何たるかを知らない私は、乱歩といえば、まずそんな深夜のラジオドラマの印象が濃い。もっと幼時にさかのぼるとラジオで「ぼ、ぼ、ぼくらは」と歌う「少年探偵団」があり、本においては、「怪人二十面相」に始まる少年探偵シリーズがあった。(後年、我が家はポプラ社刊行の新装版全26巻を買いそろえた) 探偵小説家。乱歩はそう呼ばれるが、私には耽美(たんび)小説家のイメージが強い。彼の作品群が、時代を超えて新しい読者を獲得し続けているゆえんだと思う。 日清戦争さなかの1894(明治27)年10月、三重県名張の生まれ。早稲田大の政治経済学科を卒業するが、職はあちこち転々として定まらなかった。大阪で新聞記者をしたこともある。 傍ら、欧米探偵小説を耽読した。筆名は、探偵小説の始祖ともいわれる米国のエドガー・アラン・ポーからとったことはよく知られている。また谷崎潤一郎やドストエフスキーの影響を受けた。関東大震災前の1923(大正12)年春、雑誌「新青年」掲載の「二銭銅貨」で作家デビューする。そのころ彼は大阪に住んでいて、既に結婚し、子もあった。 1924年、30歳の秋、彼は作家として生きる決意をし、「D坂の殺人事件」を脱稿、翌25年1月号の「新青年」に発表され、大好評を得た。 団子坂 年譜にはこうしたことが記されているが、探偵作家というものが業としても分野としてもきちんと確立されていない時代、家庭も持ちながら新境地に踏み込んだ彼の功績は大きい。勇気が要ったはずだ。何の分野にせよ、開拓者(中国流にいえば、井戸を掘った人間)の恩恵を忘れてはならない。 実際、彼は欧米の新しい探偵小説を原文で読んで国内に次々に紹介し、探偵小説評論の世界も開き、戦後は65年7月に70歳で没するまで、若手作家ら後進への助力を惜しまなかった。 □ □ さて「D坂の殺人事件」である。この傑作短編は、後の名探偵・明智小五郎を初めて登場させ、不合理な人間の心理のあやを重要な要素とし、猟奇的なモチーフを事件に帯びさせている。本格的探偵小説の条件ともいうべき「密室犯罪」の謎。乱歩的なるものがギュッと詰まった感じだ。舞台になった団子坂は、乱歩が各地をさまようように職を転々としていたころ、弟2人と共同で古本屋「三人書房」を営んだ所である。小説でも古本屋を事件の現場にした。 団子坂上から藪(やぶ)下通りを下っていくと、ツツジの名所・根津神社 <それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私はD坂の大通りの中ほどにある、白梅軒という、行きつけの喫茶店で、冷やしコーヒーを啜(すす)っていた> 小説はこう始まる。「私」は学校を出たばかりで、これといった職業もなく、下宿でゴロゴロして本を読んだり、喫茶店の安コーヒーで時間をつぶしている青年。これは乱歩自身を投影しているに違いない。 喫茶店の向かい側に古本屋があり、美人の女房がよく留守番をしていた。銭湯のうわさでは、その体には生傷が絶えないという。この日は主人が出かけているのに、なぜか女房は奥に引っ込んだまま店番の席にいない。様子がおかしい‥‥‥。 女房は店の奥の畳部屋で絞殺体で発見されるのだが、犯人はどこから出入りしたのか。「私」が見ていた団子坂の通りに面した店には不審者の出入りはない。奥の裏側からも、他人に目撃されず逃走することはできない建物や路地の構造になっている。 警察の捜査とは別に、「私」と、偶然知り合いになっていた青年・明智小五郎とが推理を進める。「私」は理詰めである。あくまで物証と合理性の上に立ち、一見矛盾するようなことにも論理立てて筋を通してみせる。 明智は違う。彼は「私」の推理に対してこんなことを言う。<僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうにでもなるものですよ。いちばんいい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜くことです。だが、これは探偵自身の能力の問題ですがね> 未読の方のためにもうこれ以上は筋には触れないが、興味深いのは明智の人物像だ。後年、さっそうと活躍するヒーローのイメージとは随分違う。ここで表現された明智像は<二十五歳を越してはいまい。どちらかといえば痩(や)せた方>で<歩く時に変に肩を振る癖がある>。髪の毛は長く伸びていて<モジャモジャともつれ合っている、そして彼は人と話しているあいだにも、指でそのモジャモジャになっている髪の毛を、さらにモジャモジャにするためのように引っ掻(か)き回すのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物によれよれの兵児(へこ)帯を締めている> これはむしろ横溝正史ワールドの名探偵・金田一耕助に近い。はたまた刑事コロンボか。 この時の明智は「素人探偵」で、狭い下宿に内外の本に埋まるような生活をしている。「私」はこうみる。<彼がどういう経歴の男で、何によって衣食し、何を目的にこの人生を送っているのか、というようなことは一切わからぬけれど、彼がこれという職業を持たぬ一種の遊民であることは確かだ> 乱歩の願望がここに込められているに違いない。また、あの大正という、短いが、めくるめくような大衆社会の出現、急速なメディアの発達、広がったデモクラシー意識、都市壊滅の大災害(震災)がもたらした虚無感と刷新の機運が生じた時代。その空気も感じ取れる。 □ □ 雨夜の団子坂 不忍通り沿いは近年次々にマンションが建ち、道は谷間を行くような感じになった。夜歩きながら見上げると、月光届かぬベランダや非常階段などの高い暗がりに、乱歩が生み出したさまざまな異形のキャラクターがたたずみ、こちらを見下ろしている。ひそかに、そんな幻影を私は楽しむのである。(専門編集委員) (作品の引用は講談社の江戸川乱歩全集によりました) |
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掲載 2010年8月6日 (金) |