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平成22・2010年8月5日 サイゾー
戦場から帰還した夫は"芋虫男"だった! ヤクザ監督の反戦映画『キャタピラー』 長野辰次
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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.78

戦場から帰還した夫は"芋虫男"だった! ヤクザ監督の反戦映画『キャタピラー』

戦場で手足を失った久蔵(大西満信)は、名誉の"軍神"として帰ってくる。 テレビ局主導の製作委員会方式では決して作られない、ホンモノの映画だ。
(c)若松プロダクション

 夜店で評判のフリークスをお見せいたしますというオドロオドロしい見せ物感覚と、正義の戦争なんかあるわきゃねぇだろうという明快なメッセージ性が、若松孝二監督の新作『キャタピラー』では見事に両立している。上映時間3時間10分の超大作『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)でも自己総括を求められた遠山美枝子(坂井真紀)が自分で自分の顔面を殴り続け、顔面崩壊する過程を延々と描き、観る者の背筋を凍らせた若松監督だが、今回の見せ物感覚はさらに最上級形だ。お国のために日中戦争に出兵した久蔵(大西信満)は妻・シゲ子(寺島しのぶ)の待つ農家に帰ってくるが、久蔵は戦争で両手両足を失い、芋虫状態となっていた。しかも顔半分はケロイドで覆われ、聴覚も失い、しゃべることもできない。だが、食欲と性欲だけは異常にある。生きた"軍神"となって帰ってきた夫の世話するシゲ子は"妻の鑑"として村中で讃えられるが、シゲ子にとっては家の中が戦場である。畑仕事でくたくたとなったシゲ子を、食欲と性欲だけの肉の塊となった久蔵が責め立てるのだった。

 最初は久蔵の性のはけ口となっていたシゲ子だが、やがて手足のない久蔵の下の世話から食事の面倒まで全てをひとりでやらなくてはいけない貞淑な妻の反撃が始まる。1日中、部屋で寝ているだけの久蔵の上にシゲ子は股がり、シゲ子から挑発するようになる。戦場での忌まわしい記憶がフラッシュバックする久蔵は、シゲ子の求めに応えることができない。「この役立たず!」とシゲ子は"軍神"となった夫を罵倒する。さらには身動きのできない久蔵をリヤカーに乗せて外へと連れ出す。シゲ子は畑仕事中、久蔵をあぜ道に放置する。通りかかった村人たちは「あぁ、軍神さまだ。ありがたや」と拝んでいく。出兵前に夫の暴力に耐えてきたシゲ子の考え出した陵辱プレイである。そんな日々を重ね、やがてシゲ子は自分なしでは何もできない肉の塊である久蔵に愛おしさを覚えるようになっていく。怒りや憎しみ、悲しみも含めての夫婦愛、家族愛ではないのかと、このフリークスショーは客席に訴えかけてくる。

食欲と性欲しか残されていない久蔵は、毎晩の
ごとく妻・シゲ子(寺島しのぶ)の体を執拗
に求める。

 ベルリン映画祭のコンペ部門に出品された本作は、若松監督の狙い通りに寺島しのぶに最優秀女優賞が贈られた。「これで宣伝費をかけずに済む」と若松監督はにんまり。常に体制側とは反対の立場から映画を撮り続ける"インディペンデント映画の帝王"若松監督は製作・配給まで全てを自分でやることをモットーにしている希有な映画人だ。自分でお金の管理ができないと、自分の思った通りの作品を撮ることも上映することもできないことを肌身に染みて知っているからだ。前作『実録・連合赤軍』は自宅と名古屋で経営している映画館「シネマスコーレ」を担保にして製作費2億円を捻出。クライマックスの「あさま山荘」での攻防シーンは仙台に所有していた若松監督の別荘でロケを行ない、物の見事に別荘をぶっ壊してみせた。若松監督にとって、映画製作=オノレの人生なのだ。

 本作は江戸川乱歩の怪奇小説『芋虫』からインスピレーションを受けていることから、若松監督が日本文藝家協会にタイトル使用の許可を求めたところ、150万円を請求されたそうだ。「冗談じゃない」と若松監督が断ると、「じゃあ、50万円でいいので」と言われたらしい。「バナナの叩き売りじゃあるまいし」と若松監督はとっとと"芋虫"から英訳の"キャタピラー"に変更した。都内での先行上映時に語ったエピソードだが、タイトルが"キャタピラー"になったことで、戦車や戦争を連想させるよりベターなタイトルとなったわけだ。転んでも決してただで起きないのが、若松監督の仕事の流儀である。

ベルリン映画祭銀熊賞を受賞した寺島しのぶ。
「日本では、"また脱いだんですか?"としか
尋ねられない」と寺島は日本のマスコミをチクリ。

 サイゾー本誌2005年9月号で若松監督をインタビューした際、ヤクザの世界から映画業界に転職した経緯を語ってくれた。17歳のときに父親とケンカして実家を飛び出し、宮城から夜行列車に乗って上京。カリントウ工場で働いていたが、カリントウを煮詰めていた巨大鍋の中に同僚が誤って落ちて死んだことから、マジメに勤めるのがバカバカしくなった。新聞配達、肉体労働などを経て、新宿を拠点にする暴力団の組員となり、縄張り内で撮影される映画やドラマのロケ現場に立ち会ううちに、「映画の世界は面白そうだな」と思うようになったと語る。その後、対立する組との抗争から半年ほど拘置所に入り、塀の中でヤクザ稼業から足を洗い、映画の世界に進むことを決意する。留置所での体験がよほど強烈だったのだろう、若松作品には監禁、もしくは抑圧された若者の怒りが爆発するストーリーが多い。また、このとき取り調べをした警察官たちが横柄な態度だったため、若松作品は終止、反体制的立場から描かれることとなった。若松監督は銃と爆弾の代わりに、映画でもって社会を挑発し続ける。

 今年74歳になったと思えないほど過激なアナーキストの若松監督だが、その一方では撮影で余ったロケ弁当はホームレスに配るなど心優しい一面も持つ。また、これは映画館スタッフに聞いた話なのだが、公開初日に若松監督は赤飯を炊いて自分でオニギリを握り、上映館まで自転車を漕いで赤飯のオニギリを運ぶのだそうだ。かっこ良すぎるよ、若松監督!

 他人の敷いたレールを走ることなく、無限軌道(キャタピラー)のごとく荒野を突き進む若松監督だが、不合理なものは大キライ。大本営発表に疑問を呈する。入場料がどの作品も1,800円という均一料金になっている日本の映画界に対しても、本作は一石を投じている。「戦争の真実を若い人に知ってほしい」という考えから、高校生は料金500円、大学生・専門学校生800円という格安プライス。大人でも前売り1,000円という安さだ。ベルリン映画祭受賞のニュース以降、『キャタピラー』を上映したいという全国の映画館から申し入れが殺到しており、配給も手掛ける若松監督は「この値段で構わないという映画館とだけ話をしている」という。

 本作はリハなし、全シーンほぼ一発撮り、撮影期間わずかに14日間という強行スケジュール(それでも早撮りのため12日間で撮影終了)で撮り上げられたため、全シーンに緊張感がみなぎっている。何もできずに悶え苦しむ久蔵が壁に頭を打ち付けて流血するシーンは血糊ではなく、リアルな出血である。また、それを見たシゲ子は笑い転げるが、これは寺島のアドリブ。共演者の出血を見て笑い出すという寺島の役への没頭ぶりがすごい。そんな中で、女物の着物を羽織ったキチガイ男をゲージツ家のクマさん(篠原勝之)が演じており、コメディリリーフ的な役割を果たしている。元々は脚本になかったキャラクターで、新潟のロケ地に若松監督から呼び出されたクマさんは、よく分からないままキチガイ男を演じていたそうだ。村中が本土決戦に備え、竹槍やバケツリレーの訓練に励む中、キチガイ男は赤フンドシ姿でひとり気ままに村中をゲラゲラ笑いながら徘徊する。

 ネタばれになってしまうが、映画のラストでキチガイ男はポツダム宣言受諾を伝える玉音放送を聞き、シゲ子と共に「終戦、ばんざ~い!」と叫ぶ。玉音放送は聴き取りにくかった上に「耐えがたきを耐え......」という言葉から、いよいよ本土決戦かと勘違いした人も多かったという。その玉音放送を聴いて喜ぶキチガイ男は、実はかなりのインテリということだろう。マーティン・スコセッシ監督の『シャッターアイランド』と通じる風刺の効いたエンディングとなっている。世の中が狂っているのなら、まともな人間はキチガイのふりをするしか生き延びる手だてはないのだ。
(文=長野辰次)

『キャタピラー』
企画・製作・監督/若松孝二 脚本/黒沢久子、出口出 撮影/辻智彦、戸田義久 主題歌「死んだ女の子」元ちとせ 出演/寺島しのぶ、大西満信、河原さぶ、地曳豪、ARATA、篠原勝之、吉澤健 8月6日(金)広島、8月9日(月)長崎にて先行上映、14日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次ロードショー公開 <http://www.wakamatsukoji.org>

2010.08.05 木

 
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掲載 2010年8月6日 (金)