連載3

バルーン・タウンの殺人
松尾由美

1994年 ハヤカワ文庫JA

 近未来の東京、人工子宮の普及によって女性が妊娠・出産から解放された時代に、あえて昔ながらの出産を選んだ女性たちがいた。東京都第七特別区(通称バルーン・タウン)はそんな女性たちが天然記念物並みの保護を受けて暮らす妊婦の町である。殺人事件の捜査のため、別世界同然の町に派遣された女性刑事・江田茉莉奈は、町に住む妊娠中の友人・暮林美央の協力を得て、数々の難事件に挑むことになる。
 本書は、そんなバルーン・タウンを舞台にした四つの事件を解決する、妊婦探偵・美央と刑事・茉莉奈の活躍を描いた連作短篇集。ニコチン・タール無しの煙草をくわえ、名探偵らしい辛辣さで颯爽と事件を解決、最後の第四話では自ら男の子を出産してしまうという堂々たる妊婦探偵・美央のキャラクターが何と言ってもユニークだ。
 四つの事件と解決が特殊な舞台設定と結びつく卓抜な発想が魅力の本書は、ミステリとしての工夫も充分な異色作。妊婦はお腹以外は透明人間だという着想が秀逸の第一話、妊婦の町でなければ成立しない第二話の密室事件。そして、バルーン・タウンを舞台にした国際的陰謀を暴く、男性作家には思いつけそうもない第四話。なかでも、第三話「亀腹同盟」が面白い。ホームズ物のパロディだが、もちろん読んでなくても楽しめる。腹の形(亀腹)が良いということだけで、意味もなく高給を得ることになった妊婦の周囲で続く不可解な事件。誰が? 何のために? 逆転の発想の解決はお見事。
 とはいえ、本書の面白さはそれだけじゃない。陽当たり良好で抜群の環境の中、全編を通じて時代錯誤の思い込みと自己陶酔にエスカレートしていく妊婦たちの描写がとにかく凄いのである。ブランド物のジャンパースカートに身を包み、蚤の市で見つけた年代物の犬印の腹帯に狂喜し、妊婦としての総合的な美しさを競う「黄金の器コンテスト」に熱狂する妊婦たちの日常生活は、ユーモアというよりブラック・ユーモアそのものだろう。
 ミステリには時折、異能の作家の手になる一味違った作品が出現して驚かされることがある。さしずめ、本書もそんな一冊かもしれない。一見真っ当なSFユーモアミステリに見える本書だが、それに止まらない魅力が確かにある。その魅力が何であるかは読んでのお楽しみ、自分自身で確かめて欲しい。

 付記(1999/10/15)
 ミステリの作家には、ミステリ以外の様々な分野で名を成した人も多い。異能の作家とはいかにも陳腐だった。但し、ここで言う異能は、そうした意味合いとはちょっと違う。
 そのミステリらしい発想の面白さにも拘わらず、どうやら本書の著者にはそれほどミステリに対する関心が無さそうなのである。著者の興味は常に本書の舞台である妊婦たちの世界にあるようだ。その意味でも本書は、ミステリと社会風刺をユーモアで融合した異色のエンターテインメントになっている。とはいえ、そうした思い入れが強すぎると「ジェンダー城の虜」のような鼻につく作品になる。
 幻想味の濃い「ブラック・エンジェル」が著者の個性だろう。


初出 「シナリオ教室」1997年7月号(6月28日発行)/サブタイトル「妊婦探偵のキャラがユニークな異色作」
掲載 1999年11月18日