連載4

探偵映画
我孫子武丸

1990年 講談社ノベルス

 ミステリは作者と読者の知恵比べなんて言われるが、そんな疲れることを考えていたら本は読めない。むしろ、少々アンフェアな手を使ってもいいから最後は思いっきり騙してよね、みたいな気分が楽でいい。とかくミステリ・ファンは理屈をこねたがるものだが、ものの見事に一杯喰わされても、何となく嬉しくなってしまうような文句なしに面白い作品もある。鮮烈で意外な幕切れが印象的な本書『探偵映画』は、折り紙つきのそんな貴重な一冊だった。
 物語は、“狂える映画監督”の異名を持つ大柳登志蔵が自らの独立プロの浮沈をかけた野心作「探偵映画」の撮影中に謎の失踪をとげることから始まる。映画の結末、つまり登場人物のうち誰が犯人かを知っているのは脚本を兼ねた大柳監督だけ、スタッフには途中までのシナリオしか渡されていない。迫る公開に、混乱に陥っていた出演者やスタッフは「探偵映画」を自分達の手で完成させようと、撮影済みのシーンを手掛かりに犯人探しに乗り出すことになるのだが……。
 とはいえ、小説内映画の形式をとる本書ではあくまでも映画と撮影がメイン・プロットであり、密室や殺人というミステリの要素のほとんどは映像上の出来事として展開されるのである。つまり、読者は本書を小説と映画、二つの表現方法を意識しつつ読むことを要求され、それが大胆かつ巧妙に本書に仕掛けられた謎を解くヒントにもなっている。
 もちろん、ここで著者が仕掛けた企みに言及するわけにはいかないが、何と言っても本書の魅力は全編に溢れるミステリ・スピリットである。プロローグでの大柳監督の「みんな騙してやる」という呟きや、冒頭から展開される登場人物による映画談義は、瞭らかに著者自身による「読者への挑戦」であり、自信の表れだろう。本書の仕掛けは本質的にミステリの伝統的なトリックに則ったものだが、映画という素材を得て類例のない作品に仕立てあげた着想が鮮やかである。これでもかというほどの伏線、あからさまな会話があるにもかかわらず、感動すら覚える意外な結末には誰もがきっと騙されるはずだ。映画ファンにも是非読んでもらいたい、快作と呼ぶにふさわしい作品なのである。
 但し、「シナリオ教室」の読者の貴方、貴方になら著者の企みを見事に見破ることが出来るかも知れません。種明かしは結末の約10頁です。さあ、挑戦してみませんか?

 付記(1999/10/17)
 叙述トリックは安易か? 確かにプロットやストーリーに大して目新しい工夫も着想もない作品でも、叙述トリックを使うことで読者をアッと言わせることが出来る。どちらかと言えば、ミステリ・マインドより技術的な側面を感じさせるトリックだけに、それで事足れりというものでもないし、むやみに使うのも考えものだろう。
 それにしても叙述と映像の融合という、本書の鮮やかな仕掛けを叙述トリックで片付けるには些か躊躇いがある。あれほど露骨な伏線の提示があるにも拘わらず、映像を文章で読み取ることのかくも困難であるかを思い知らされたのである。単なる文章技術ではない意外性と企みがそこにある。ミステリ・マインドはかくあるべし。


初出 「シナリオ教室」1997年8月号(7月28日発行)/サブタイトル「貴方は著者の企みを見破れるか?」
掲載 1999年12月7日